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それからはよく分からない。いつの間にかあの金髪のお兄さんたちと獅子色の髪をしたお姉さんに引っ張られるような形で、目によく馴染まない見知らぬ建物に連れてこられた。
「嬢ちゃん、もう大丈夫だぞ。」
制服のようなきっちりとした服を着ている男の人が安心したような笑みを頬の上に刻んで、あたしの頭をゴシゴシと撫でる。だけどいざなじゃない他の人の大きな手は酷く気持ち悪く、不愉快と恐怖以外の感情は産まれてこなかった。
そんなことよりも今はいざなについてだ。
『ねぇ、いざなは?いざなどこ?』
警察と呼ばれていた男性の服の裾を引っ張り、不安の滲んだ声でそう問いかける。
それまでキリッとした笑みを浮かべていた警察の瞳があたしの言葉を聞いた直後、大きく見開かれ、何とも言えない複雑な表情のままゆっくりとしゃがみ込み、困惑を顔いっぱいに映すあたしと目線を合わせた。
そのまま眉間の間に濃い皺を寄せて、警察の男性が真剣な顔をする。
「いざな…ってのは黒川イザナのことか?」
ひどく神妙な顔つきで固く問いかけてくるその男性に恐る恐るコクンと頷く。
─…いざなはどこにいるのだろうか。
その疑問が脳を占めるたびに、心が嫌な予感に揺さぶられる。壁に貼り付けられているカレンダーの“2月22日”という数字が天井に設置されている大きな照明に反射して、ピカリと嫌に怪しく光り出す。
「嬢ちゃん、今までそのイザナって奴と一緒に居たのか?」
『う、うん…』
またもや真剣に改まった声で問われた言葉に、同じく1つの頷きを落とす。
「殴られたり蹴られたり、傷つけられるようなことされなかったか?」
『いざなはそんなことしないもん!』
告げられた言葉が体の中で上手く消化できず、つい激越な口調になる。
でも、だって仕方がない。全く知らない人に大好きな人を侮辱されたのだから。
『いざなはやさしいもん!ママとパパとはちがうもん!』
喉が裂けそうなほどの激しい怒りのこもった大声が深夜の警察署に響く。いくら叫んでも暴れても、腹の中でグツグツと煮えたぎる怒りの感情は一向に収まらず、荒々しい甲走った声が舌を跳ね続けていく。
「…嬢ちゃん。嬢ちゃんは2年間、行方不明者として扱われていたんだよ。」
だけどそんなあたしに驚くことも怯えることもなく、ただ淡々と右の人差し指と中指を同時にあげ、告げられたその言葉が異様に鼓膜に引っ付く。いつもは突っかかっていたその疑問が、何故だが今日は素直に身体の中を落ちていった。
「嬢ちゃんの言うその黒川イザナって奴はおじさんたちや世間から見れば“誘拐犯”、“犯罪者”。……分かるかい?」
少し緊張の含まれた声で紡がれたその言葉に、ドンッと頭に鈍器で殴られたかのような激しい衝撃が走った。
ショックや失望したからなんて、そんな理由じゃない。
『…いざなは、違うもん。』
『いざなはそんなんじゃないもん!ほんとだよ!』
あたしといざなの関係を否定されたことについての怒りが体をきつく締め付けて、猛烈な痛みを作り出していく。怒気が激しい波のように全身に広がる
「…親御さんの件はおじさんたちに任せておきなさい。」
「嬢ちゃんは養護施設に預かってもらうように話をつけよう。あと精神科のカウンセリングにも。」
警察は「もうあの誘拐犯は居ないから大丈夫だぞ」と同情と軽んじる表情を混ぜ合わせたような複雑な声でそう意味の分からないことを言う。なんとかその誤解を解こうと言葉を紡ぐあたしの頭を警察は宥めるように撫でると、茶を入れ替える風にさりげなく席を立ち、部屋の奥に据えてあった電話機の方へと向かう。
『……いざな、』
スラスラと慣れた口調でどこかへ電話を掛ける警察官の姿を横目に、いつまで経っても迎えに来てくれない大好きな人の名前を落とす。
─…『いざな、きをつけてね』
─…「オマエも部屋から出んなよ。」
ふわりと鼓膜に蘇るありきたりな言葉たちがいざなとの最後の会話だと理解したのは、あたしが養護施設と呼ばれる場所に預けられて少し経ったときだった。
せっかく色々なことを覚えられたのに、いつも褒めてくれるいざなはいなかった。
それから12年後。
腰まで伸びた自身の黒髪を結ぶことなく背に垂らしながら、みんなとお揃いの藍色の制服に引っ付いた小さな埃を払う。
「○○っ!誕生部おめでとう。」
そんななか、放課後を告げるチャ イムが自身の耳に届いたその瞬間、クラスの女子の群れがキラキラと楽しげな表情であたしの席を囲む。
ドンッという軽い体当たりとともに自身の腕に絡ませられた女子の腕を不自然に思われないようにゆっくりと解き、人工的な笑顔を顔に刻ませる。
『ありがとう。』
穏やかに穏やかにと、丁寧に取繕われたような微笑みはクラスの女子たちには作り笑顔と見抜かれなかったのか、変わらず手を繋いだり、髪をいじくったりと自身の体に密着してきた。そのたびに激しい厭わしさが触られた箇所に湧きあがって来て、あたしの貼り付けた笑顔を崩そうとしてくる。
─…もしも触れられる相手がこの人たちじゃなくて大好きな人だったらこんな不快な気持ちにならないのに。
そんな考えが脳裏を過った瞬間、胸に悲しみと嫌悪の感情が湧き起こる。
「もう高校も卒業だねぇ…」
「18歳だもんね」
だけど、そんなドロドロとした酷い嫌悪感に包まれていた気持ちも、群れにいる一人が告げた18歳という単語に段々と洗い流されていく。心臓を中心をした体全体の飢えが収まっていくような温かさを感じる。
大好きな人の歳。 大好きな人と結ばれることが出来る歳。
そう考えると、乾ききっていた笑みの上に本物の笑みが浮かび上がる。
『…やっと18歳になれた。』
小さく晴れやかな笑声とともに、心の中にとどめておこうと思った喜びに満ちた声がうっかり口から落ちてしまった。ハッと咄嗟に口を右手で抑えたがもう遅い。
その声は不幸なことに女子の群れの真ん中に落ちてしまい、女子特有のあの期待の籠った熱い視線が一斉にこちらへと向いてきた。その様子に、あたしはこっそりとため息という名の細い息をひとつ吐く。
「え、なになに。18歳になったらなんかあるの?」
案の定、あまり踏み込んできてほしくない話題に足を突っ込まれてしまい、心の中に言葉には表せられない複雑な嫌気が差す。
『…うん、大好きな人と結婚するの。』
そう言葉を落とし、意識的に口角を少し上げるが明らかに強張りは不自然だった。せいぜい作り笑顔だということがバレなければいいが。
「え、学生婚!?てか彼氏居たの!?」
群れのうちの一人が興奮気味に身を乗り出して、周りのみんながそれに便乗してキラキラとした眼差しを向けながらあたしに問い詰めてくる。
『うん、そう。…今から会いにいくんだぁ』
それを機械的な笑みでのらりくらりと交わしていき、あたしを呼び止めるような甲高い声が飛び交う教室を出る。あんな所で時間を潰すほどあたしは暇じゃない。
キャーキャーと不愉快なノイズ音のような女子たちの声を無視して、転がるように大股で階段を駆け下りる。乾いた泥や砂や、僅かに鉄の匂いを放つ赤錆がこびりついている下駄箱から自身の愛用しているスニーカーを手慣れた手つきで取り出し、足を滑らすように素早く履く。
そのまま誰にも引き留められないよう勢いよく駆け出し、足元から煙霧のように舞い上がる土埃に見向きもせずに目的地である“海”へと向かう。
大好きなあの人と一緒に行こうと約束した場所。
叶わなかった願いだけど、もうこの際関係ない。
目的地である、カラーペンのインクを溶かしたように青く綺麗で静かな海が視界を埋めた頃にはもう肺に溜まっていた空気が底をついており、自身の激しく空気を吸う荒い呼吸音が波のぶつかり合う音に紛れ込む。
その光景に微笑みながら先ほど履いたばかりのスニーカーと靴下を脱ぎ捨て、柔らかく小さい砂の上を歩き、あたしは冷たい水へと進んでいく。
『……ねえいざな、あたしもう18歳になったよ。』
段々と深くなっていく海底に歩みを進めながら、沈むように海の中に肩を埋める。
海の塩っぽい匂いが嗅覚を擽り、息を封じ込む。視界が水に覆われ酷く滲んでいく。
─…「○○が18になったら結婚しような。」
「○○」とあたしの名前を呼ぶ、耳の奥にはっきりと残っている甘く優しい声の持ち主と交わした約束の実行日。あの日交わした約束がたまらなく懐かしい。
大好き、好きだよ、ずっと好き。
愛してる。
段々と遠のいて行く意識の中、カランとずっと昔いつも聞いていたピアスの音が耳を貫いた。見慣れた褐色の腕があたしをギュッと抱きしめ、ズルズルと海の底にあたしの体を引きずり込んでいく。
「永遠に二人きりで居ような」
その言葉にギュッと彼の体を抱きしめ返し、あたしは笑顔で頷いた。
🔚