コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「匡ちゃん、ありがとう!」
「どーいたしまして。あんまり友達に自慢しちゃだめだよ」
「うん! 勿体ないから誰にも見せない」
梨々花にこんなミーハーな部分があるとは知らなかった。
「匡。無理したんじゃない?」
「いや?」
「それならいいけど。要求がエスカレートすると困るから、ちゃんと断ってよ?」
「あら! 断ったら結婚に反対されちゃうかもしれないし、多少の無理はしちゃうわよねぇ」
お母さんが会話に割り込んで茶化す。
孫との暮らしを楽しんでいる割に、すぐに結婚の話をするから困る。
「どうしてすぐ――」
「――お母さんが匡と結婚したら、転校しなきゃいけないの?」
ゆっくりとお好み焼きを食べ進めている湊が、ポツリと聞いた。
「それ、私も気になってた」と梨々花。
私と匡は顔を見合わせてしまう。
子供たちが札幌での生活に慣れるまで結婚は保留と決めてから、その話はしていなかった。
「あら、相談してないの?」
お母さんが意外そうに聞く。
部屋がシンと静まり返り、私と匡に注目が集まる。
「急いでないから――」
「――実は!」
私の言葉を遮ると、匡が少し大きな声を出し、箸を置く。
「家を建てようかと思ってます」
聞いてませんけど!?
「まだ、千恵にも言ってないんですけど」
ハハハと笑って見せるが、笑い事ではない。
「転校しなくてもいい場所に、土地が……あるので」
「え? それってめぼしい土地が売りに出てるってこと?」
「いや、俺の土地?」
「はぁ!?」
これから結婚しようって時に、相談もなく土地を買ったってこと!?
いくら財産があっても、これはない。
「いや! 買ったんじゃない。名義変更しただけだ」
「名義変更!?」
「そう。実家の土地」
「……実家? そういえば、匡の実家ってどこだっけ?」
匡が肩を落とす。
「千恵。旦那の実家の場所も知らないの?」
なぜか、お母さんがため息をつく。
「え? だって! 中学の時はそんなに仲良くなかったし」
「それにしたって――」
「――実家は五条なんですけど、俺が大学の頃に両親はマンション暮らしを始めてるんです。なんで、人に貸してたんですけど、その人が少し前に引っ越したんで、結婚祝いに貰ったんです」
「え! ご両親に結婚のこと話したの!?」
札幌に帰って来た時に話し合って、匡の実家へは子供たちが結婚を了承してくれてから挨拶に行くことにした。
「あんたたち、結婚するのに報連相が足りなくない?」
まさかお母さんの口から報連相の言葉を聞くとは。
「俺、知ってる! 報告、連絡、相談でしょ?」
湊がドヤ顔で匡に言った。
「うん、そうなんだけど――」
「――学校では『いかのおすし』が大事だって言われるけどね」
「いかのおすし?」
「行かない、乗らない、押さない? あれ?」
「いや、今はそれいいから」
正直、よく聞くけれど私もうろ覚えだ。
「とにかく! 更地にして売るつもりだって聞いたから、俺が貰った」
匡のご両親は会社を手放した後、手元に残していた不動産収入で生活されていて、今は年金も貰っているとか。
一年に一度、お兄さんのいる香川に旅行するのを楽しみにしているんだそう。
「そういうわけなんで、湊と梨々ちゃん」
匡がお好み焼きを頬張る二人に向き直る。
「千恵と俺が結婚すんの許す気になったら教えて。家、建てるから」
え、家を建てるタイミングを子供に任せるの?
「引っ越しはするけど、この家から歩いて行ける距離だし、転校はしなくていいから」
冗談っぽく始まった会話のはずが、匡が真剣に子供たちと向き合い、子供たちも箸を置いてじっと聞いている。
両親もいるのに、何を言うつもりなのか。
「もちろん、一人部屋をつくるし、習い事とかやりたいことがあったら応援する。お父さんやお祖母ちゃんに会いに東京に行きたかったらそうしていい。だから――」
話している匡よりも、聞いている私や両親の方がよほど緊張している。
心臓がドッドッドッと、割と大きめの和太鼓のような音を立てている。
両親もそうだ。
いや、父親だけ。
母親は、目を輝かせて匡を見つめている。
「――前向きにご検討ください。なるはやで」
ガバッと頭を下げる匡と、小首を傾げる子供たち。
真剣なんだか、なんなんだか。
「なるはや、ってなに?」
湊が聞く。
「出来るだけ早くってこと」
答えたのは、梨々花。
「ゴケントウって?」
「考えるってこと」
「前向いて考えるの?」
「ぷっ! あははははっ!」
我慢しきれずに笑い出したのは、お母さん。
なぜかお父さんは少し安心したように口元に笑みを浮かべ、野球に視線を戻す。
「出来るだけ早く、梨々花と湊のお父さんになりたいんだって」
少しバツが悪そうに、匡は耳の後ろを掻く。
私は若かりし頃を思い出していた。
匡に付き合おうと言われてすぐに返事ができずにいた私に、彼は言った。
『とりあえず前向きに考えて。ゆっくり。あ、けど、できれば、出来るだけ早く。返事待ってる間に激ヤセしそうだから』
私は笑って、『いいよ。私より細い男はイヤだから』と答えた。
あの時も、匡は嬉しそうに、だけどちょっとバツが悪そうに、耳の後ろを搔いてたっけ。
「良かったわね、お父さん。千恵が再婚しても、いつでも会える距離にいてくれるって」
お母さんがお父さんに、言う。
お父さんは「ん」とだけ言った。テレビから目を離さずに。
「お祖父ちゃん、梨々花と湊と暮らせるようになったのに、すぐに離れるのが寂しいんだって」
話している間に少し焦げてしまったお好み焼きを、匡の空の皿にのせる。
「だから、もうちょっとだけここで暮らしてあげて」
「うん」
頷いた湊の頭に、匡が手をのせる。
二人が父子になるのもそう遠くないことだろう。
ふと、考えた。
昔、別れずにいたら、結婚しただろうか。
そして、子供ができないことに苦しんだのだろうか。
もしかしたら、子供のいない人生を選んだかもしれない。
もしかしたら、子供ができないことを理由に別れていたかもしれない。
それは、わからない。
わからないけれど、匡が笑っている現在《いま》の姿を見たら、私たちの別れも無駄じゃなかったんだと思う。
子供を持てない匡を、父親にしてあげられる。
離れていた十六年。幸せだったり苦しかったり、笑ったり泣いたりした十六年は、きっとこうして笑い合える現在《いま》に繋がっている。
きっと、十六年後も私たちは一緒にいる。
大丈夫。
私たちは幸せになれる。
匡と一緒なら、絶対。
だから、子供たちと話し合ってみよう。なるはやで。
「打った!」
お父さんの声に、全員がテレビを見る。
ずっと不調続きだった若い選手が、確信のガッツポーズをしながら走っている。
「入ったぁ~!!」と両手を上げたのは、お母さん。
私の結婚話はどこへやら。
なぜかお母さんが盛り上がり過ぎて、ハイタッチを要求している。
「ずっと打てなくて可哀想だったのよぉ。もう大丈夫! こっからだ!」
テレビの前に正座して、誰にともなく言っている。
シーズン、もうすぐ終わるけど……。
「なんか、すごい野球好き?」
匡が耳打ちする。
「新しい監督に代わってから、ヒートアップしてるみたい」
「へぇ……」
お父さんとお母さんも人生を楽しんでいる。
「来年はみんなで観に行くか」
「そうね」
その頃には、名実ともに家族になっていたいなと、思った。