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「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ!」
荒い息が夜気を震わせた。視界を遮る木々がビシビシと身体に当たり、枝が肌を裂く。
だが、そんな痛みを気にする余裕などなかった。イタ王はただ――必死に走り続ける。
胸に抱いた小さな赤子が、突然の衝撃に怯えたように泣き声を上げた。
その声を聞くたびに、胸の奥がジワリと熱くなる。
「ごめん……ごめんね、イタリア……」
涙を堪えながら、イタ王は腕に力を込めた。
後方からは怒号と、追っ手の足音。
ヒュンと空気を裂いた音がした次の瞬間、矢が地面に突き刺さり――炎が広がる。
燃え上がる木々が道を塞ぐたびに、イタ王は新たな獣道を選んだ。
炎の壁を越え、煙に咳き込みながらも、ただ走った。
この命を、そしてこの腕の中の小さな命を守るために。
「どうして……こうなったんだっけ?」
息を乱しながら、誰にともなく呟く。
「どうして……こんな目に遭わなきゃいけないの?」
――ずっと、平和だったのに。
あの日までは。
あの日、“魔女狩り”が始まったその日から。
全てが崩れ去ったのだ。
『魔女狩り』――中世末期から近世にかけて、ヨーロッパで行われた迫害。
魔女とされた者たちは、法も理もないままに裁かれ、拷問され、火に焼かれた。
それは“信仰”の名を借りた狂気。
そして――それを広め、イタ王たちを“魔女”に仕立て上げたのは。
『行き止まりだ、イタ王。』
低く響いた声。
振り返れば、黒いマントを翻す一人の男。
――ナチス・ドイツ。
「……やっと森を抜けられそうだったのに。」
『逃すつもりなど、初めからない。』
「だろうね……」
イタ王は静かに息を整え、ナチスを見据えた。
その姿は、闇に浮かぶ死神のようだった。
いや――今の彼は、まさしく“死”そのものだ。
「ねぇ、なんで……こんなことをしたの?」
『それをお前に話す義務はない。』
「そっか……そうだよね。」
短く答えるナチスの瞳に、一瞬だけ迷いが走る。
そのわずかな揺らぎを見て、イタ王はふっと微笑んだ。
恨む気にはなれなかった。
『大人しく投降しろ。悪いようにはしない。だから――』
「……ナチス。」
『……?』
何かを言おうとして、言葉が喉で途切れた。
伝えたいことは山ほどあったのに、もうどれも届かない気がした。
だから、ただ――
「ごめんね。」
その言葉だけを残して、イタ王は踵を返す。
横手の獣道へと身を翻し、乱れる枝をかき分けて駆け抜けた。
やがて、視界の先に開けた光――崖だった。
眼下には、轟々と音を立てて荒れ狂う川が流れている。
足がすくむ。けれど、立ち止まれなかった。
『イタ王、その先には行けない。大人しく――諦めてくれ。』
背後から、ナチスの声。
「……それはできないよ。でもね、ナチス。」
イタ王は微かに振り返り、悲しげに笑った。
「僕、君のこと……信じてたよ。本当に。」
『……なに……?』
その笑みは、どこか月のようだった。
優しく、けれど儚く、今にも消えてしまいそうで。
『イタ……王……?』
ナチスの呼ぶ声を聞きながら、イタ王は腕の中の赤ん坊――イタリアを見下ろした。
ルビーとエメラルド。
二色の瞳が、無垢にイタ王を見つめ返す。
その小さな瞳が、痛いほど愛しかった。
「……イタリア。」
そっと頬を撫で、イタ王は崖の先へと一歩、また一歩。
『待てッ、イタ王!!!!!』
制止の声が響いた瞬間、イタ王は崖の向こうへと、
イタリアを――空へ放った。
風が唸り、時間が止まる。
――あの子なら、大丈夫。
――あの子は自然に愛されている。
――だから、生きられる。
ねぇ、イタリア。
最後にもう一度、その名を呼びながら、イタ王は微笑んだ。
「……愛してる。」