テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
私は彼の放つ凄まじい威圧感に足を震わせながらも、一歩ずつ間合いを詰めた。
獣の懐に飛び込む。
それは自ら死を招く行為に等しい。
だが、目の前で苦しんでいる命を見捨てることなど、私にはできなかった。
彼の手前で膝をつき、祈るように震える手を、その傷ついた足へと伸ばす。
「…痛いですよね。今、手当てをしますから……」
「グルルッ……!」
低い警告。
鋭い牙が覗き、私の喉笛をいつでも切り裂ける距離にある。
それでも、私は手を引っ込めなかった。
ただひたすらに、彼の痛みが少しでも引くように
薬草を手のひらですり潰して患部に塗り込み
引き裂いた布を丁寧に、かつしっかりと巻きつけていく。
「……よし。これで、少しは楽になるはずです…」
手当てを終えて顔を上げると、そこには奇妙な沈黙が流れていた。
強大な力を持つはずの獣人が、ちっぽけな人間の娘の献身を、ただ言葉もなく見つめている。
琥珀色の瞳からは先ほどの鋭利な敵意が消え
代わりに、名前のつけられない戸惑いと不思議な熱が灯っていた。
やがて、彼は重々しく口を開いた。
「……お前、見たところ令嬢だろ。警戒心もなく、よくこんな呪われた場所に、俺みたいな化け物に近づけたな」
声は低く、地鳴りのよう。
けれど、その響きは驚くほど理知的で滑らかだった。
私は一呼吸置き、乱れる鼓動を沈めて答えた。
「……気分を害されたなら、謝ります。警戒心がないわけでは、ないんです」
声を震わせないよう、スカートの端をぎゅっと握りしめる。
「じ、自分語りにはなってしまうのですが…私のお父様…ずっと、病気で苦しんでいて。……母を亡くしてから、男手ひとつで、私を大切に育ててくれた優しい人……なので、今度は私がお父様を助ける番なんです…」
私は、彼の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「そこで……狼さん、あなたのもとへ来れば、どんな病も治す奇跡の治療薬を作ってもらえると聞いて、ここまで来ました。腹は、とうに括っています」
「今ここで俺がお前を喰らうかもしれんのに、か?」
彼は私を試すように、一歩詰め寄る。
その巨大な影が私を覆い尽くした。
「…!わ、私を、食べても構いません。でも、その前に……お願いです。お父様を助ける薬を、作ってはいただけませんか…っ?」
「私はどうなろうと構わない。でも、お父様だけは…助けたいんです……!お願いします……っ!」
私は、深く、頭を垂れた。
お父様。ごめんなさい。私は、ここまでです。
でも、もし、これで薬が手に入るなら、私は本望です。
そう思いながらも
私の肩が、微妙に震えているのが自分でも分かった。
恐怖と、お父様への思いが、私を支配していた。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#王子