「へー、社長が来られるんですか、明日」
家に帰ると、雪丸が薪で風呂を焚いていたので、なんとなく側にしゃがみ、木がパチパチと爆ぜる音を聞きながら話す。
いい匂いだ。
木が燃える匂い。
社長が木の香りには魔除けの力があると言っていたが、わかる気がする。
なにかリラックスできるしな、と思いながら、もっと匂いと音を感じようと夏菜が目を閉じると、
「でも、社長が数々の罠をくぐり抜け、お嬢を迎えに来るなんて、まるで魔王の城に助けに来る王子様みたいですね」
と雪丸が笑う。
いや、貴方までお嬢はやめてください……。
銀次さんの口調が移っている、と思ったとき、背後からその銀次の声がした。
「どっちかと言うと、魔王が攻めてくる感じじゃないですかね?」
さっきまで薪でも割っていたのか、銀次は肩に斧を担いでいる。
……ライフルに見えるんだが、銀次さんが持ってると、と苦笑いしていると、
「じゃあちょっと罠を点検してきましょう。
二、三増やしてもいいですかね。
明日は早朝から私が見張っておきますよ」
と既に行こうとしながら銀次は言ってくる。
「いやあの……パーティ遅れるから」
と夏菜はなんとか銀次を止めた。
「ちょっと早めに着くかもしれない」
そんな余裕のLINEが有生から来た土曜日の朝。
夏菜が屋敷の廊下でそれを読んで笑っていると、
「なんですか?」
と山で見張ることを止められた銀次がそれに気づいて言ってくる。
「あっ、あの小僧からのLINEですね。
男女でLINEを交換するなんて、付き合ってるのと同じですよ、お嬢っ」
……銀次さん、と苦笑いしながら、夏菜は、
「仕事用ですよ」
と教えたあとで、
「そういえば、私、銀次さんのLINE知りません。
交換しますか?」
と訊いてみた。
すると、銀次は真っ赤になり、飛んで逃げる。
「そっ、そんなっ、私ごときがお嬢とLINEの交換とかっ。
滅相もないっ」
とんでもないですっ、と言っていなくなってしまった。
「面白いですね~、銀次さん」
と後ろから現れた雪丸が笑って言う。
「人が見たら、マフィアと今にもマフィアに売り飛ばされそうな小娘に見えるでしょうに。
銀次さん、お嬢には弱いんですね」
お嬢とか呼ぶわりに、小娘とか言ってますよ、この人……と思ったが、雪丸は、
「もうすぐ社長が来られるんですよね。
何時間くらいでたどり着けますかねー?」
と楽しそうだ。
いや、その人は濡れ衣とはいえ、貴方が一年間付け狙ってた人のばすですが……。
だが、雪丸は今の生活が新鮮で楽しいらしく、もう昔のことは気にしていないようだった。
そのとき、
「何時間もかかってないぞ」
と庭先で声がした。
見ると、あの罠をかいくぐって来たわりに、スーツの何処も汚れていない有生《ゆうせい》が立っていた。
周囲を見回し、
「玄関は何処だ」
と此処まで来ておいて、今更なことを言う。
……夏菜が、社長、すごい、という目で見てくれている気がする。
いや、気のせいか。
思い上がるまい、と有生は思っていた。
ちょっと誇らしい気持ちを顔には出さないようにする。
それにしても、指月の書いてくれた地図があって助かった。
何処に罠があるとわかっているだけでずいぶん違う。
もっとも、指月も途中で罠にかかってしまったので、その先は予測不能だったのだが。
最後の罠を抜け、林を出たとき。
なんとなくゲームクリア後、エンディングが流れているような気持ちで見下ろした崖下にその屋敷が見えた。
指月が言った通り、
『大きな今にも遺産相続で殺人事件が起きそうな屋敷』だった。
しかも、いまどき茅葺の屋根じゃないか。
これ、葺き替えたら幾らかかるんだ、とかまどからか風呂からか煙の上がっているその屋敷を見る。
弟子総出でやるのだろうかな、と思ったそのとき、庭先からスナイパーのような目でこちらを見上げているマフィアがいた。
あの新幹線の男だ。
「……スリの銀次」
となんとなく呟いていた。
今もそのスリの銀次が物陰からこちらを見つめている。
スリだからだろうか……。
いや、バレバレだが、と思っていると、夏菜が、
「まだ早いですし、お茶でもいかがですか?」
と微笑み、言ってきた。
「いただこう」
とスリを横目に見ながら、有生は言う。
「おじいさま。
うちの社長が来ました。
ご挨拶をお願いできますか」
と夏菜が祖父の部屋を覗くと、
「ああ、あの、お前を祟り殺そうとしている七代目」
と加藤となにか打ち合わせしていた祖父、頼久が言う。
「よし、奥の間に通せ」
と言ったあとで、何故か、
「ああ、ちょっとお前は席を外していなさい」
と言ってきた。
やはり迫力がすごいな、と頼久を前に正座した有生は思っていた。
夏菜はお茶を出してくれたが、すぐに引っ込んでしまう。
さすがの自分もこの頼久を前にすると、小童みたいだなと思っていると、夏菜が去り際、障子の隙間からこちらを見て、
社長っ、頑張ってくださいっ、という感じの視線を向けていた。
……なにを頑張ればいいのかわからないが。
いや、俺はお前を迎えに来ただけなんだが。
だが、この雰囲気、まるで、アレに似ている、と有生は思う。
偉いグルメの人みたいな頼久が鋭い眼光で自分を見つめてくる。
この状況、なんだか、お嬢さんをください、と言いたくなる感じなんだが……。
「君が御坂の七代目か。
我々を祟り殺そうとしている」
いや、祟り殺す気はございませんし。
そのような技術もございません、と有生は思う。
「何故か、夏菜は七代目で祟り殺されて一族が途絶えると思っているようだが」
「あのー、その間違い、何故、正さなかったんですか」
と訊くと、
「いや、そう信じて、一生懸命修行に励む夏菜が可愛かったんでな」
と頼久は笑う。
「だがまあ、我々はお前たちにやられたらやり返そうとして」
身を守ろうとしてじゃないのか。
「日々、鍛錬に励み、此処まで道場を大きくできた。
少しはお前たちに感謝してもいい気はしている。
あとはお前が七代目の夏菜を呪わなければいいんだが」
「呪ってません……。
と言いますか、貴方は実際、呪われたんですか」
と訊いてみたが、さあ、と頼久は言う。
「だが、そう言われて育ってきたので、子どもの頃から、転べば祟りかと疑い、フラれれば呪いかと思う。
夏菜も暗示にかかっているからな。
なにかあったら、お前たちの呪いだと思って育ってきたことだろう」
……濡れ衣だ。
「実際に呪われてなくとも、そう信じるだけで、呪いにかかってるようなものなのだ。
私は夏菜をその染み付いた呪いから解放してやりたい気がする」
いや、それ、夏菜に呪いの伝説を植えつけてきたあんたらのせいだろうが、と思っていると、頼久は言ってきた。
「そこで、お前、夏菜と結婚しないか」
「は?」
「お前のところとうちが一緒になったら、祟るも祟らないもない。
八代目は両方の子孫だし。
よし。
お前、夏菜と結婚しろ」
……何故、そうなる。
何故、そんな話になる。
くだらない。
俺があのペットボトル一撃娘と一緒になるとか。
ふっと心の中で頼久の提案を笑い飛ばし、有生は顔を上げた。
「わかりました。
そのお話、お受け致します」
……ん?
今、断ったよな?
「そうか。
受けてくれるか」
と頼久は豪快に笑う。
待て待て待て。
此処はスッパリ断らねば。
空気を読んでいる場合ではないぞ。
断ったら斬り殺されそうとか考えて、ビビッている場合ではない。
此処で断らなかったら、あいつと一生を共にすることになるんだぞ。
あんな落ち着かなくて、得体が知れなくて。
ちょっと可愛い女と。
俺を見上げるとき、いつも戸惑って、照れてる感じに、はにかんで笑う、あのぼんやり娘と。
朝も昼も晩も頼まなくても、迎えに来なくても、いつでも、夏菜が俺の側をうろちょろすることになるんだぞ。
此処は勇気を出して断らねば。
有生は手をつき、頭を下げて言った。
「必ずお嬢さんを幸せにします」
頭を下げたまま思う。
俺の口は妖怪にでも操られているのだろうか……。
そうかそうかと頼久は笑いながら言う。
「実は前から話していたのだよ、夏菜の親とも。
向こうの七代目と夏菜が一緒になれば、祟りも気にならなくなるなと」
豪快に笑う頼久をチラと上目遣いに窺いながら、有生は思う。
じゃあ、最初から、そう言う感じに夏菜に言えよ~っ。
だが、そこで頼久はらしくもなく、溜息をついて言ってきた。
「やれやれ、これで長い間の懸案事項が消えるな。
この現代に祟りなどないと思っていても、生まれてからずっと、いつも喉に小骨が刺さったような気持ちだったからな。
子が生まれ、孫が生まれても。
この子もその呪いを引き継いでいくのかと――」
……それは申し訳なかったな。
いや、そもそもお宅がなんだか知らないが、うちに恨まれるようなことをしたんだが、と思いながらも、
「長い間、申し訳ありませんでした」
と祟った先祖に代わって頭を下げると、頼久は、
「いや、こちらも申し訳なかった。
先祖がそちらの先祖の最愛の許嫁を奪ってしまって」
と頭を下げてきた。
……そんな話だったのか。
だが、なんだかんだで、子孫が残っているということは、うちの先祖も誰かと結婚して、それなりの暮らしをしたのだろうから。
そのときは恨んでそう言い放ったとしても、ずっと祟っていたはずはないのだが……。
まあ、庭先で転んでも祟りにされてたようだからな、と思いながら、頼久に挨拶して縁側に出ると、夏菜が障子に影の移らぬ位置で待っていた。