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脚気(かっけ)、それはビタミンb1、チアミン不足によって引き起こされる末梢(まっしょう)神経障害のことである。
白米に偏った食事をし続けると発症する事で有名な、所謂(いわゆる)『江戸患い(えどわずらい)』である。
善悪は理解した。
自分の無能を認める勇気が無かったばかりに、大事な友人を明治時代の流行病(はやりやまい)にしてしまったのだ。
何としても治して見せる! そう心に誓った瞬間、心の内は自然言葉となって出ていた。
「コユキ殿、拙者が付いているでござる。 必ず治して差し上げるでござる。 ビタミンb1は米糠(こめぬか)に多く含まれているでござるから、今日からコユキ殿は米糠を食べれば良いのでござる。 いや、待てよ。 確かアリシンと一緒に摂取した方が吸収率が格段に上がるのでござったな。 と言う事は玉ねぎ、それも外皮でござる。 うん。 今日からコユキ殿のメニューは『米糠と玉ねぎの外皮』(飼料)でござる! これでアリチアミン吸収し放題でござる! たっぷり食べて、あっという間に元通りで――――」
「先生、アタシこのままで良いです」
善悪の言葉を遮るように、コユキがその瞳を忙(せわ)しなく動かし続けながら言った。
馬鹿な? 命が惜しくは無いのか?
脚気(かっけ)は放置しておくと心不全を起こしたりする、わりかしおっかない病気だと言うのに?
驚愕の表情を浮かべた幼馴染に、コユキは自分の思いの丈を語って聞かせた。
曰く、
昨日為す術(すべ)もなく蝋に打たれている時に感じた一つの感覚について、である。
自分に向かって滴り続ける蝋が熱さを感じさせるよりほんの少し前、それこそ僅(わず)か数瞬の差では有ったが、『来る』という予見のような物に気が付いた事。
意識して感じてみると『来る』と感じてから、予見したその場所に寸分違(たが)わぬ正確さで、蝋が落ちた事に依る熱が齎(もたら)されていると確信に変わった事。
善悪が訓練の終了を告げた後も、何度と無く予見から着弾までの間に避ける事が出来るか、イメージトレーニングをし続け、今までの自分の動きではとても叶わないと認識した事。
そして、昨夜、帰宅してから明け方まで、回避を可能にする為の、新たな体の動きを模索(もさく)し続け、漸(ようや)く一つの可能性を見出すことが出来たかもしれない事……
不自然に眼球を揺らせながらそれらを語ったコユキを見つめていた善悪は、我知らず溢れ続ける涙を止める事が出来ずにいた。
いつも良い加減で、だらしなくて、意地汚くて、怠け者で、太っていて、臭くて……
でも、この幼馴染はそうだった。
本当の本当に追い詰められた時、有り得ないほどの粘り強さと、あきらめの悪さを発揮して、他人がさっさと放棄してしまいそうな事でも簡単に受け入れてしまえる芯の強さみたいな物を見せつけていた。
小さい頃、小学校の低学年の頃、コユキはクラスの皆から総スカンを喰らった。
あの切欠(きっかけ)は何だったのだろう? と善悪は考える。
それまで、クラスで浮いていたのは自分だった事を覚えている。
寺院の息子と言う事で、
「こいつと話すとお化けが付いてくるぞ! 」
だとか
「葬式饅頭、毒饅頭」
だとか
「お前んち父ちゃん近所の若い後家さんと……」
だとか良く虐(いじ)められた物だ。
そのころ、唯一自分と普通に接してくれていたのは、ツミコさんがパパンに相談に来る時に、一緒に連れてくる事が多かったコユキだけだった気がする。
ああ、そうか、そうだったんだ。
なんで今まで忘れていたんだろう。
あの日、クラスのガキ大将に教科書やノートを、溝に捨てられて泣いていた自分をかばって、そいつを張り倒したのは他ならぬコユキだった。
あいつらが逃げ出すと、溝から教科書とノートを拾い上げると汚れたそれをジッと見つめた後、黙って自分の教科書を善悪のランドセルに入れて、代わりにドロだらけになった教科書を自分のランドセルに入れ、無言のまま背負うとそのまま立ち去ろうとしたのであった。
慌てて呼び止めた善悪がお礼を言い、教科書の交換は悪いからと元に戻すように言ったのだが、コユキははっきりとした口調で返したのだった。
ずっと仲良くするように、おばさんとおしょうさんに言われているから、と、そして、これからもアタシが守ってあげるから元気を出しな、と言ってずんずん歩いて行ってしまった。
その日から、善悪の隣にはいつもたった一人の友達、コユキがいた。
逆にそれまで大きくて強くて、勉強も出来て人気者だったコユキの周りから人はいなくなり、たった一人の友達、善悪だけが残ったのだった。
思えば高校に進学した時も不思議に思った物だ。
当時から、コユキは怠け者だったし、運動はからっきしだし、コミュニケーションと言えば言い争いだけだったし、欠点ばかりが散見されていた。
特に、節制とか我慢とかお愛想とかダイエット等の『美徳』とは無縁の人間であった。
しかし、しかし、勉強だけは出来たのだ。