アリアが光の神を宿してより
約五百年の歳月が静かに過ぎていた。
その姿は今も尚
時の流れに囚われることなく──
戴冠の刻と変わらぬ美しさを湛え
燃える両翼を背に
女皇帝として君臨していた。
その日も
森の中央にある陽光の降り注ぐ
〝聖なる温室〟には
あどけない声が響いていた。
その場は
アリアの命により月に一度設けられる
特別な集いの場であった。
選ばれし転生者たち──
やがて来る〝産まれ直し〟の日に向け
その魂を持って生まれ変わった者たちが
子供のうちからアリアのもとへと
集められていた。
その目的はただ一つ
アリアと心を重ね、信頼を結ぶこと。
来るべき儀式に
心が乱れることなく進められるように。
この日は、特に賑やかだった。
「カイエン⋯⋯
またライエルをいじめたのか?」
アリアが問いかけた声は
陽だまりのように優しく
しかし、静かに諭す響きを帯びていた。
言葉を受けたのは、十五歳の少年──
重力の力をその身に宿した、カイエン。
琥珀色の瞳に悔しげな色を浮かべ
少し肩を揺らして反論する。
「アリア様!
こいつが、意気地なしなんです!
男として、俺は⋯⋯指導しただけです!」
その言葉に
肩の後ろから顔を覗かせたのは
六歳のライエル。
漆黒の髪に
青く深いアースブルーの瞳を湛えた
小柄な少年。
記憶の一族として産まれた
最年少の転生者であり
その性格は穏やかで人一倍臆病だったが
その眼差しの奥には
確かな知性と慈しみが宿っていた。
「カイエン⋯⋯
男らしさというのは
何も力の強さだけではないよ。
ライエルもまた
優しさという〝強さ〟を持っているんだ」
アリアがそう告げると
ライエルは耐えきれぬように鼻を啜りながら
小さく身を寄せる。
「ぐす⋯⋯アリア様ぁ⋯⋯」
その姿を見た瞬間
カイエンの眉が跳ね上がった。
「あっ!おいライエル!
アリア様に甘えるなってば!」
けれどアリアは、二人のやりとりを咎めず
ただ優しく微笑を浮かべたまま
ゆるりと手を伸ばし
ライエルの頭にそっと触れた。
その様子を眺めていたのは
十六歳のティアナだった。
守護結界の一族として名高く
その目元には常に冷静な光を湛えている。
彼女は隣に立つ九歳の少女──
植物の御力を持つローゼリアの手を取り
溜息を一つ、静かに吐いた。
「まったく、男たちは⋯⋯
本当に困ったものね。
ローゼリアの許嫁がカイエンで
大丈夫かしら?」
その言葉に
カイエンは振り返りながら声を張った。
「俺はっ!
アリア様の伴侶になるために
御力を鍛えてるんだ!」
そこに入ってきたのは、十二歳のフィン。
擬態の御力を宿す少年であり
どこか中性的な雰囲気を纏った少年だった。
その瞳には少しばかりの勝気な光が宿る。
「アリア様の伴侶は、私の予定ですよ。
カイエン?」
「ふん⋯⋯長老会で決まっただけで
まだ〝好機”はある。
余裕でいられるのも
今のうちだぞ、フィン!」
子供たちの声が、明るく響き渡る。
争いではない。
それは、誰よりもアリアを想い
誰よりも彼女の傍に在りたいと願う
幼き真心の火花だった。
アリアは、その姿を穏やかに見つめていた。
火遊びのような争いの奥に
確かな〝愛情〟を見つけて。
「⋯⋯ふふ。そうね。
皆の活躍を、私は楽しみにしているよ?」
その言葉に、子供たちは一斉に姿勢を正し
小さく、そして真剣な眼差しで
アリアを見つめた。
「アリア様の御為に⋯⋯!」
その叫びに、笑みを浮かべながら
アリアは一人ずつの頭へと手を伸ばし
そっと撫でていく。
彼女の手は、燃える翼と同じく温かく
どこまでも静かで、尊い祈りを湛えていた。
光の神の宿る者に傅く転生者たちの幼き声が
今日もまた
柔らかな陽光の下に降り注いでいた。
⸻
魔女たちの世界において
命の循環は決して奇跡のみによって
成り立っているのではなかった。
その根幹を支えてきたのは、目に見えぬ労と
尊き役割を担う二つの血脈である。
重力の一族と
植物の一族──
彼らこそが、すべての魔女一族の
〝食〟と〝命〟を司る存在であった。
重力を操る者は、大地を裂き、耕し
岩を動かし、根を通し、地形を調え
雨を導いた。
そして、植物を操る者は
その耕された大地に種を植え
緑を萌芽させ、実りを齎し、糧を育んだ。
この二つの力は
まさに〝根〟と〝幹〟のように
切り離すことのできぬ関係であり
魔女の国の根幹そのものだった。
ゆえに、古より定められていた。
この二つの一族から異性の子が生まれた場合
その婚姻は光を宿す者の
伴侶となることより優先され
神の御前に捧げる祝福と見なされること。
それは義務ではなく、定め。
血の記憶に刻まれた〝運命〟に等しかった。
アリアが即位してより五百年が過ぎた今
その〝運命〟を受け継ぐ者たちは
ゆっくりと成長を遂げていた。
そして、子供であった転生者たちも
やがてそれぞれの〝責務〟へと
歩を進めていく。
長きに渡る集いの場において
ティアナはいつしか、一族の長として
そしてアリアの侍女長として──
変わることなく、彼女の傍に仕えていた。
ティアナの白銀の髪と透き通る蒼い瞳は
結界の力により常に凛と澄み
誰よりも冷静に周囲を見渡す眼差しは
侍女でありながら
一族を導く者の気品を帯びていた。
アリアもまた
ティアナを〝親友〟のように信頼していた。
それは言葉よりも遥かに深く
魂の奥底に在る絆であり
永き孤独の中で
アリアに唯一寄り添い続けた存在だった。
一方
重力の一族として生を受けたカイエンは
成長するにつれ
ますますその能力を顕著に発現させ
若くして土壌統括を担うまでに至っていた。
だが、彼の胸には
幼き頃より抱えてきた
一つの〝想い〟があった。
──アリアへの恋慕
彼女に傅き、守りたいと願い
何よりも傍に在りたいと焦がれるその想いは
時と共に静かに
しかし強く深く積もっていった。
だが、彼には〝許嫁〟があった。
植物の力を宿す少女──ローゼリア
透き通る翠の瞳を持つ彼女は
物静かで控えめでありながら
常に傍でカイエンを支え
その背を押し続けていた。
カイエンがどこに心を寄せているのか。
ローゼリアは、誰よりも理解していた。
だが、彼女はその想いに決して
言葉を重ねることはなかった。
ただ、彼の〝未来〟が
どこへ向かおうと──
その道に添える花で在りたいと
彼女はただ、静かに咲き続けていた。
擬態の御力を持つフィンは
長老会によって定められた
〝アリアの伴侶候補〟という運命を
誰よりも真摯に受け止め
日々の研鑽を惜しまなかった。
彼の力は変化に応じ
あらゆる姿となり得る。
だが、アリアの前では
常に一貫して〝己〟であろうとした。
決して迎合せず、欺かず。
ただ純粋に
女皇帝に相応しき男で在ろうと──
日々己を磨いた。
そして、教皇の座を継ぐライエルもまた
幼少の気弱な面影を僅かに残しながらも
今や記憶の神殿にて祭儀を統べる司教として
数多の知識と記憶を継承し
己の使命に誇りを抱いていた。
すべては、女皇帝アリアの御為に。
この国の永き平穏のために。
──けれど
その誰もが、感じてはいなかった。
不死鳥が、内に孕む〝闇〟を
ほんのわずかに
色濃く滲ませていることを。
その羽ばたきが
かつてよりも微かに重くなっていることを。
その紅蓮が
かつてよりも僅かに黒を混じえていることを
アリアでさえも──
まだ、気付いてはいなかった。
まるで
神がすべての役者の登場を見届けるまで
その帳を、わざと下ろさずにいたかのように