テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
教室は、いつものように騒がしく、どこかよそよそしい。昼休みのざわめきの中、遥は無表情でパンの包装を剥がしていた。
向かいに座る蓮司が、ペンのキャップを口に咥えたまま、横目でそれを見ている。
「……なにそれ。今日も“泣き顔サービス”はなし?」
蓮司の声音は軽い。
けれど、その奥にあるものは、もう遥にはわかっていた。
からかいでも、好意でもない。ただの――興味。
もっと言えば、“反応を試す”遊び。
遥は目を合わせないまま、パンを噛みちぎる。
「食ってるとこに言うなよ」
「それ、怒ってるの? 拗ねてんの?」
冗談めかしてそう聞く蓮司に、周囲の女子たちがまたざわつく。
いくつかの視線が、突き刺すようにこちらに注がれているのがわかる。
──嫉妬? 嫌悪?
そんなのはもう、どうでもよかった。
というより、“どうでもいいふり”をするしかなかった。
「俺さ、遥ってさ……案外マジかもって思い始めてんだよね」
蓮司が、わざと大きめの声で言った。
教室の空気が凍るのがわかった。
「昨日の夜とか、すごかったし」
遥の指が一瞬止まる。
「……やめろよ、そういうの」
声はかすれていた。
抗議のつもりだったけど、蓮司は楽しそうに笑っただけだった。
「なんで? “恋人”だろ? おまえが言い出したんじゃん」
その言葉に、遥は目を伏せた。
教室の笑い声。ひそひそ話。女子たちの白けた視線。
どれもが、遥の首をじわじわと締めていく。
(──こんなの、全部嘘なのに)
でも、もう後戻りはできなかった。
日下部が、窓際の席からこちらを見ていた。
無言で。何も言わずに。ただ、遥を見ていた。
その目が、苦しかった。
信じようとしてる目。
信じたくないのに、信じそうになる目。
──やめろ。
そう言いたかった。
演技に意味があったと思わせるな。
この“嘘”に、救いを持たせるな。
けれど、遥は何も言えなかった。
そのまま、蓮司の言葉の続きを飲み込むしかなかった。
放課後。
掃除を終えて昇降口へ向かう途中、廊下に倒れていたプリントを拾おうとして、思わず呻いた。
腰に走る鋭い痛み。
──ああ、また……。
昨夜、蓮司の家で――
いや、それよりもっと前。
家でも、弟の颯馬に背中を蹴られた傷がまだ癒えていない。
朝食の時間。食卓に座っただけで義母に睨まれ、
「また色目使って」と茶をかけられた時、
足の間で痛んでいたのは、蓮司の爪痕か、それとも自分の無様な反応か。
何が原因で何が結果か、もうよくわからない。
誰が誰の加害者で、自分が何を望んでるのかすら。
「遥、どうした?」
背後から日下部の声がする。
遥は反射的に立ち上がる。痛みが走るのをごまかして。
「なんでもねぇよ」
「歩き方……変だ」
「うるせぇな。……見んなよ」
睨むように言ったつもりだったけど、喉が詰まっていて、
言葉は空気に飲まれた。
日下部はそれ以上言わなかった。
けれど、その“言わなさ”が、遥には重かった。
(……見られてる)
家でも、学校でも、身体のどこかが痛む。
蓮司に触れられるたび、自分が“笑ってるフリ”をしているのがわかる。
沙耶香が見ていないときの蓮司の手は、時々、冷たい。
それがたまらなく、安心する瞬間さえあるのが、また気持ち悪かった。
──何もされない時間が一番怖かった。
だから今は、身体が傷つく方がまだましだった。
その痛みの方が、自分の“輪郭”を確かに感じられるから。
(……このまま、全部壊れたらいい)
でも、それすら“蓮司のもの”になっていく気がして、吐きそうだった。
階段を下りる時、蓮司からメッセージが届いた。
『今日、来れる?』
短く、それだけ。
遥は返さなかった。
でも、足は駅とは反対の道を選んでいた。
この日常が“演技”だと誰かが言ったとしても──
遥は、もう「どう終わらせたらいいのか」さえ、わからなかった。