「そういえば、今日は父の日でしたか」
ガラス越しに店の中の青い文字を読み上げて気付く。
太陽に向かい咲く向日葵。
可憐な美に花開く黄色のカーネーション。
長年経た樹木の生命力に満ちた空間。
僕は扉のベルを鳴らしながら、いつの間にか入店していた。
「いらっしゃいませー。今日は父の日でございますよー!」
弾けるような明るい声が響き渡る。
店内には既に二、三人の人々が花の前で立ち止まっていた。
「今日はお父さんに感謝を伝える日!特別ギフトラッピングサービスありますよー!」
一面を照らす黄色と店員の生き生きとした声色。
何層にも重なった樹齢を感じさせるカウンター。
頭上に落ちる雫のような電球は、蛍のようだった。
「素敵なお店ですね」
僕は店員の女性に声をかける。
「え、ありがとうございます!最近、店を構えたばかりなもので!そう言っていただけると嬉しいです!」
溌剌とした表情が、一種の花のようだった。
その活力に満ちた笑顔に、心が明るくなる気がした。
僕は店内を周り、花を探す。
今日はお父さんに感謝を伝える日。
感謝と言わずとも、日頃の恩恵を花という形で返すのは良いことだと思う。
感謝だけならいつもその場で言葉にしてるから。
視界に染まる黄色の花々。
蝶が舞っているように見えるオンシジウム。
花言葉は、確か…。
「オンシジウムは、可憐という意味でしたよね」
僕が花を手に取るのを待ちわびているのか、
すぐ間近で同じ花を見ていた彼女に声をかける。
「あらま知っているんですか!」
「ええ、まあ、耳に挟んだくらいですけれど」
「それでも花屋を営む身としては嬉しい限りです!」
営業スマイルではない、飾らない笑顔。
「貴方の笑顔は花よりも美しいですね」
ほぼ無意識で言葉にしていた。
「まあ、知っていました?オンシジウムは女性に贈る花にぴったりだってことを!」
流れるようにフラワーアレンジメントを手渡そうとしてくる。
商売上手のお嬢様のようだ。
「もちろんですよ。女性と舞を楽しむ口説き文句のような花言葉もありますよね」
これはあの人からの受け売りの知識だった。
「あなたって博識ね!それもかなりの」
僕は微笑みを返した。
それは彼女の瞳が輝いてこちらを見つめていたから。
変な期待をされないように、誤魔化した。
その後も、喜びと希望を表す黄に囲まれながら、僕は選んだ。
「これを一ついいですか?」
手のひらで指すフラワーアレンジメントは、青色だった。
「わぁ、お目が高いですね。それもブルーローズ」
店の一番隅にひっそりと佇むように置かれていた青いバラ。
装飾する白いカスミソウが、無数の星屑のようだ。
「ブルーローズは神の祝福。カスミソウは幸福
感謝、思いやりの言葉ですね」
僕は微笑した。
「その顔はもう分かってましたと言っているみたいですね」
少し悔しそうに見上げられる瞳。
僕が表情ひとつ動かさず微笑みを保っていると、
諦めたようにカウンターへ花を持っていく。
「青いバラはこの世に存在しないんですよ。知ってましたー?」
財布を取り出し、会計を済ませようとしているところだった。
「まだ諦めていなかったんですね」
「それで。知っていましたか?」
純新無垢な笑顔に見せて、知識勝負は続いているようだった。
「人工花でもないんですよね確か…」
「いいえ!人が手を施した部分もあるので人工花とも言えますね!」
「はは、そうでしたか」
僕は話しながらも、ブルーローズを受け取る。
「それじゃ、ありがとうございました」
まだ話し足りないような彼女。
「絶対、また来てくださいね!」
彼女の目の勢いに圧倒されながらも、僕は店を出る。
外は白いカスミソウのような雪が降っていた。
レンガに消えるように溶けていく白。
空は薄暗い曇天が覆っている。
僕はブルーローズが冷えないよう、急いで路地裏へ向かう。
ブルーローズの花言葉は、
神の祝福。奇跡。
また、
不可能。存在しない。
これもあの人からの知識だった。
花が好きな彼はいつも僕に、教えてくれる。
もちろん、花以外の事も。
だからその恩恵を感謝に、この花に込めて渡そうと思った。
僕は路地裏の一角に灯る看板の扉を開ける。
そこは昼夜問わないBARだった。
「よお、クインテッド。んじゃなかった、ティーノさんや}
マスターはシェイカーを振りながら、声をかけてくる。
「名前を間違う余裕があるという事は、今日はあんまりですね」
僕はカウンターに腰をかける。
「見りゃ分かるだろ。今日は空いてるんだ。世間では何やら祝い日らしいからな」
シェイカーを振っていたのは、僕のものだったようだ。
グラスに注がれるのはエメラルド色のメロンソーダ。
「何やらというのは嘘でしょう。それは分かっている口ぶりです」
彼はあの人の仕事仲間であり、友人だ。
彼は二人の娘を持つ父親だった。
「それで、もらえましたか?その何やらという今日に」
マスターはグラスを拭きながら、微笑を浮かべる。
それが何よりの答えだった。
「それは何よりですね」
ニヤつく口元が家族からの贈り物に、喜びをあらわにしている。
「ティーノさんはもうあいつに渡したのか?」
そう、僕もこれから家族同然のあの人にブルーローズを渡すのだ。
それよりも。
「やめてくださいその呼び名は。今は一人もお客がいないでしょう。隠す必要はありませんよ」
あの人の仕事柄の影響で、僕も名前を隠すことになっている。
このBARは情報屋が訪れる店。
情報屋として働くあの人の周りには、悪用や詐欺が彷徨いている。
「分かってないなティーノさんよ。お前さんはまだこの業界を理解しちゃいない」
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