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このBARは情報屋が訪れる店。
情報屋として働くあの人の周りには、悪用や詐欺が彷徨いている。
「分かってないなティーノさんよ。お前さんはまだこの業界を理解しちゃいない」
彼は微笑を浮かべたままだが、目は笑っていなかった。
僕はメロンソーダに口を付けながら、彼の言葉を聞く。
「いいかい、お前さんはまだ19とかだっただろ?そんな若人がこんな陰気臭い世界でやっていこうだなんて思うな」
僕はエメラルドのグラスを見つめていた。
泡がダイヤのような輝きを放っている。
頭上を照らす昼白色がより、その美しさを引き立てている。
その美しさに騙されたフリをして、口を結んでいた。
「あいつの為に色々と力になりたいのかもしれないが、手を出すのはやめときな。それが一番のあいつのためだ」
マスターはグラスを置いて、カウンターの端に座った男性の元へ行った。
「こりゃお久しぶりっすな。いつものでいいすか?」
何事もなかったかのような、凛とした表情。
その眼光の鋭さは、客の正体を探るものだった。
僕は時計を見る。
十一時。
あの人と落ち合う場所へ向かわなければいけない。
僕はお金をカウンターに置いたまま、立ち上がる。
マスターは無愛想な冷酷とした表情になっていた。
先程までの朗らかな父親とは全くの別人。
情報屋の裏世界を収集し、情報を精査するマスター。
二人の娘の父親の裏の仮面は、決して優しいものではない。
僕はそれを理解している。
その業界の恐ろしさを真に知らないとしても。
「毎度どーも」
入口と反対方向の出口前。
背後からマスターの芯のある野太い声が届く。
やはり、隠すというのは僕には難しいことなのかもしれない。
そう思いながら、ティーノである僕は扉を開ける。
扉の先には廊下があった。
このBARの裏口はまた別にあることを知っている。
ここは店の裏側。
あの人が待つ家に通じる裏道だ。
足元まで届かない薄明かりの蛍光灯。
一方通行でなければ迷っているところだろう。
心もとない灯りに仄暗い廊下を進んでいく。
しばらくの間、進むと退路を絶たれたように、行き止まりの壁にたどり着く。
そこは蛍光灯の光が届かず、手元が薄ら見えるかどうか。
僕は小さな鍵穴に手にしていた鍵で扉を開ける。
彼は書斎で座っていた。
「やっと来たな。お疲れさん」
暖色のランプの火に包まれ、古書の匂いが花を掠める。
あの人はいつも机上で紙に目を通してる。
「ルイーヴおじさん、なんだかお久しぶりな気がしますね」
僕の声に作業を止め、笑顔で迎え入れてくれる。
彼は僕にとって、家族同然の人だ。
「そうだな、最近は出張ばかりで留守にしてたからな。この時期は外注が多くなるんだ」
情報屋として自国で留まらない仕事を抱えている彼。
だから僕たちが会うのは数週間ぶりだった。
「おじさん、そんな事はもう分かっていますよ。何年一緒にいると思っているんですか」
彼は柔らかに微笑む。
「そうだそうだ、俺たちはもう何十年だ。今からでも出会いを祝して何十周年記念でも祝うか?」
ビールジョッキを煽るような仕草。
彼は既に楽しそうだった。
「それはとても楽しいかもしれませんね」
彼は僕に、腰をかけるように言う。
机上の傍に置かれている椅子。
昔からある僕のための特等席だ。
「プーアル茶でいいか?今、ピザを持ってくる」
彼はコーヒーを手にしながら、奥の部屋に向かう。
ここへ来ると歓迎茶としてプーアル茶が出てくる。
それは僕の好きな飲み物。
何も言わずとも彼はそれを分かっている。
僕は室内を見渡す。
この部屋はルイーヴおじさんと僕の隠れ家みたいな場所だった。
情報を操る彼にとっては、壮大で豪華な家を構える事は出来ない。
元はおじさんだけが住んでいた家に匿ってもらっていた。
だからこの部屋に僕のためのものがあるのは、とても幸せな事なんだ。
彼は手にマグカップと平たい箱を運んでくる。
マグカップは僕の幼少期の頃から使っているものだ。
「ふふ、食べかけだったんですね」
平たい箱の中、既に一切れない不完全なピザがあった。
「悪いな、どうしても腹が減ってて待ちきれなかった」
僕は机上に広がっている資料をまとめ、ピザを受け取る。
「会う約束をしてても食べるなんて。いつもながら自分に正直な人ですね」
「お前もそのままでいていいんだぞ」
僕とおじさんは昼食をとった。
手の冷えを溶かしてくれる、ホットなお茶。
黒茶の温かい匂いと、柔らかな喉越しが幸福感を満たしていく。
それに引き換え、冷たく固まったチーズ。
質量のあるピザは彼の大雑把な性格を、愛に変えていた。
オーブンがあるような家庭でなくても、僕は冷たいピザを頬張る。
「貴方と一緒にいられる時間が嬉しいです、僕は」
彼は僕の目を見ながら、食べようとしていた手を止める。
「俺もだよクインテッド。お前が一番大切な存在だよ」
わざわざ聞き慣れた台詞を、幾つ歳を重ねてもおじさんは言ってくれる。
手を止め、心へ話しかけるように僕の目を見て。
僕はそれが嬉しくて。
でも、少し照れくさくて。
目を伏せながら、足元に隠していたブルーローズを手にする。
「なんだ、それ。あぁー、もしかしてそれは」
僕は柔らかに微笑んだ。
「ええ、貴方が思う通りの解釈でいいですよ」
手元を咲かせる青い薔薇のアレンジメント。
彼は言葉よりも先に手を伸ばしていた。
「いやー嬉しいな。サンキュサンキュ。懐かしいな、ブルーローズなんて」
彼は自分の受け取り皿を端に追いやって、
ブルーローズを目の前に置いた。
「いやー。恩恵が形になるとこんな美しい花なんだな。やっぱ実物が一番綺麗だ」
僕が花屋で感じていた事を、同じ言葉で表現する彼。
それは家族のような、言葉が似通っていく友人のようなものだった。