【お願い】
こちらはirxsのnmmn作品(青桃)となります
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ご本人様方とは一切関係ありません
当直明けで、ふわあと欠伸を一つもらしながら医局の扉にカードキーをかざした。
カチンとロックが外れる音がしてそれを押し開く。
廊下よりも幾分気温が下がるその中に一歩踏み入ると、すぐそこの長い机でカンファレンスをしている数人の姿があった。
「…なので、この患者さんへの薬剤の投与時間が…」
「待って。それも大事やけど、ご家族には連絡取れたん?きちんとした説明の機会は設けないと。無理なら俺が出ようか」
研修医が発言するのを、低めの声が遮るのが聞こえた。
全員の視線がそちらを振り返る。俺もそれを目で追った。
テーブルの奥側で、黒いウェリントン型の眼鏡を押し上げながら研修医に諭すように話をする長身の姿が目に映る。
…どうやら、若手の小児科医たちがカンファレンス中みたいだ。
まだ若いのに研修医の指導をしなきゃいけないなんて大変だな。
しかも漏れ聞こえてくる話から推察するに、入院患者である子供の治療の相談に熱心でない親がいるようだ。
正直、こういうのは珍しくない。
患者本人だけでなく、家族への説明とその心に寄り添うこと、それら全て病院側の仕事でもある。
医療とは、決して方針を決めてそれに則った治療を行えばいいだけではない。
そんな会話は聞こえていないフリをして、俺は彼らに背を向ける。
近くの冷蔵庫から大きなペットボトルを取り出して冷たいお茶を注いだ。
「…じゃあ、以上で」
紙コップに注いだそれに口をつけていると、やがてそのカンファレンスが締めくくられる。
大型プリンターにもたれるような態勢でお茶を飲んでいた俺の隣に、椅子から立ち上がったそのうちの一人が近寄ってきた。
「俺にもちょうだい」
黒い眼鏡の奥の目が少し笑ったように見える。
その手に新しい紙コップを押し付けながら、「おつかれ」と小さく言うとまろは今度は本当に唇を持ち上げて笑った。
「ないこの方がお疲れやん。夜勤明けやろ?」
「ん、帰って寝る」
「呼び戻されんかったらえぇけどな」
ぐいと飲み干した紙コップを捨てると、まろはすぐに身を翻す。そのままその部屋の壁の方へと向かった。
そこにはパッと見では数え切れないほどたくさんの引き出しがある棚。
この病院に属する医師の名前が一つずつラベリングされており、まろはそのうちの一つである自分の引き出しを引いた。
中から、溜まった書類の山を取り出す。
どこかの偉そうな医師なら「うげ」と声を上げそうな書類の数に、けれどまろは嫌そうな顔一つ見せない。
それは単純な連絡事項の書類もあれば、患者からの診断書作成依頼書という重要なものまでさまざまだ。
ちょうどそれらをこの引き出しに入れに来ていた事務の女の子が傍にいたから、まろは体ごと彼女の方を向いた。
「おつかれさま、いつもありがとう」
にこりと笑って声をかけられたその事務の子は、驚いたように目を丸くした。
急に声をかけられたことに戸惑い、それから自分が何を言われたのかを理解して「…いいえっおつかれさまです…っ」と慌てて頭を下げる。
そのまま顔を真っ赤にしてパタパタと走り去っていってしまった。
「…たらしめ」
小さく呟くと、まろは小さく首を傾げる。
「何て?」
「なんでもないよ」
手近の自分の引き出しから俺も書類を取り出し、まろに向けて肩を竦めてみせた。
「知ってる? 小児科のホープいふせんせーの噂。事務員とか清掃員にも優しく声をかけてくれるって評判」
「…何それ、当たり前のことやん」
そう言えば、返してもらわなきゃいけない本があったっけ。
そう思い至って、そのまま医局内の個室へ向かおうとするまろの後をついていきながら、俺はそんな噂話を本人に向けて口にした。
歩きながら書類にざっと目を通しつつ、まろは「意味がわからん」と興味なさそうに言う。
…分かってないなぁ。俺が言えることでもないけど、医者なんて偉そうにしてるやつがほとんどなんだよ。
特に人を使うことを覚えた頭でっかちの年配医師たちは。
事務員が理不尽に当たられているのも何度も目にしたことがある。
そんな中、その人たちが「当たり前のように」礼を言われてねぎらわれたらどうなる?
誰だって、まろを好きになるに決まってる。…それが人としてか男としてかは、その人によるだろうけれど。
実際「いつもありがとう」って、破壊力すごい言葉だと思うよ、俺は。
「あ、いふせんせー!!」
廊下の外側から、大きな声が聞こえてきた。
窓の外にはこちらに向けてぶんぶんと手を振る子供の姿。
パジャマにカーディガンを羽織った姿だったから、入院患者なんだということはすぐに分かった。
確かまろが担当している女の子だ。
その姿を目に留めて、まろは一番近くのドアに回り込む。
そうしてそこから外に出て、その女の子の方へとまっすぐに向かった。
「おはよう。何してんの?」
目の前まで行って、迷わずしゃがむ。
彼女と視線を合わせて微笑むと、その子も同じように笑顔を見せた。
「今日はね、ちょっと元気だからお散歩! ねぇこれ見て、ママと折ったの」
しゃがんだまろの白衣は、裾が地面についてしまいそうだ。
…全く、こういうところは無頓着だよな。子供と目線を合わせてあげるっていう優しさは絶対忘れないのに。
彼女が前に差し出したのは、折り紙で折った動物だった。
それを見たまろが「かわいいやん、このわんちゃん」と言う。
「ぶー、ちがうよ、ネコだよ」
「え、ほんまに? ごめん。かわいいねこちゃんやね」
「ふふ、いふせんせーにあげる。今までで一番上手に折れたの」
その流れに思わずふはっと吹き出してしまった俺を、まろが彼女にバレないようにちらりと一瞥した。
…ごめんて。心の中で謝って、もう笑わないようにとぐっと唇を引き結ぶ。
「ありがとう、めっちゃ嬉しい。大事にするな」
まろの言葉に、彼女は「うん!」と満足そうに頷いた。
それからようやく俺の方を向く。
「じゃあね、ないこせんせーも」
「またね」
俺が片手を挙げてそう挨拶を返すと、彼女は少し離れたところで見守っていた母親の方へと小走りに駆けていった。
ついこの前まで辛そうにベッドに横たわっていたとは思えないくらいの快活さだ。
「…やっぱたらしじゃん」
「なんなんそれ、さっきから」
立ち上がりながら、まろは白衣の裾をパンパンと払う。
そしてそのまま、また医局の廊下の方へと戻った。
それから肩越しにこちらを振り返り、ニヤリと笑ってみせる。
「俺も知っとるよ、ないこせんせーの噂」
「んぇ? 何?」
どうせろくなことじゃない。
嫌な予感がしながらも尋ね返すと、まろは歌うように楽しそうな声で続けた。
「凄腕で有名、メス持たせたら右に出る者はいない天才外科医のないこ先生が、実は誰かと付き合っとるらしい。
偶然医局の隅っこで電話しとるのを見かけた人がおって、その時の顔がでっれでれの甘々やったらしいわ」
んはは、と笑って言いながら、まろは目的地にたどり着いてそのドアを開いた。
小児科は、研修医以外の常勤医師には、狭いけれど個別に執務室が割り当てられていてる。
目の前のそれはまろの部屋だ。
「何だよそれ…いつ見られてたんだろ…」
絶対誰もいないことを確認して電話していたはずなのに。
どこで誰に見られているか分からない怖さを覚え、俺は続いてその部屋に入ると後ろ手にドアを閉めた。
それはもうしっかりと。
「ご飯、あっためたら食べられるようにしといたから。冷蔵庫に入れてある」
手にしていた書類を全部机の上に置きながら、まろはそう言う。
「まじ?助かる。帰りに買い物寄る気力も作る元気もなかった」
笑ってそう応じ、その傍まで行った。
すると少し意地悪な笑みを浮かべたあいつは、すっと俺の方に手を伸ばしてきた。
白衣の袖から伸びた長い手が、俺の頬に包み込むように触れる。それからさっきまでの話を続けた。
「妬けるやん。なぁ、ないこせんせーがでろでろの甘々になるくらいの相手って誰?」
揶揄するような言葉は、まるでこの状況を楽しんでいるようだ。
「お前以外いないじゃん」
分かってるくせに。
そんでどうせその噂を聞いたときも、誰にもバレないように内心でほくそ笑んでたんだろ?
俺もそうだから分かるよ。
誰がまろの優しさに触れて、どれほど深く好きになったとしても…。
こいつは俺のものだし俺はこいつのものだから、なんて優越感が胸の底から溢れてくるんだ。
もう他人に嫉妬なんてしないし、そんな次元じゃなくなった。
誰がどんなにまろを好きになっても、こいつが溺れるのは絶対に俺だけって知ってる。
「ないこ、帰らんでえぇん? 疲れとるやろうからはよ帰って寝たら?」
まだ俺が動き出しそうにないと思ったのか、少し目を細めてまろが言う。
「帰るよ」笑って答えながらも、俺の頬に触れたままの手に自分のそれを重ねた。
「まろが今キスしてくれたら、大人しく帰る」
ふふ、と笑って言うと、白衣の襟の辺りをぐいと掴まれる。
そのまま乱暴に引き寄せられたかと思ったけれど、驚くほど優しいキスが降ってきた。
重ね合わせるだけのそれが離れたかと思うと、まろは至近距離で微笑を浮かべる。
「ん、眼鏡とって」
邪魔だと言わんばかりにそう指示されて、俺は思わず笑ってしまった。
「何それ、自分で取れよ」
そう言いながらも、手は言われたとおりまろの眼鏡に伸ばす。
スッとそれを外すと、濃紺の透き通るような瞳が優しくこちらを見据えてきた。
どちらからともなく、もう一度唇を重ねる。
さっきよりも息が苦しくなるような深いそれに夢中になりながら、俺は手にしていた黒縁の眼鏡を近くの机の上に放った。
コメント
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いつも他サイトの方で見させていただいてます、本当に心情の表現、シーンの変わり方などとても好みです🥹💖