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粉挽こなびき慈心の商売
「よお、子泣きの爺さん、また居合抜きか?」
腰高障子を開けて入って来た慈心に一刀斎が訊いた。
「粉挽じゃ。ああ、浅草観音の奥山でな」
「今日は何を売る?富山の反魂丹かい、それとも陣中膏ガマの油か?」
「今日は歯磨き粉じゃ、志麻を借りて行くぞ」
「俺に断る事じゃねぇだろ」
「一刀斎、帰ったらまたお願いね」
慈心の後ろから顔を出した志麻が言った。
「真平だ、お前ぇに本気で斬りかかるなんて金輪際お断りだ」
あの後、志麻は鬼神丸の力を引き出すには、本気で切り掛かってもらう必要がある、と一刀斎に迫った。初めは渋っていた一刀斎も志麻から話を聞いているうちに、一度だけと言う約束で承知した。そして危うく死にかけたのだ。
「ケチ!」
「なんとでも言え、それよりそんな爺さんの助手をやったって何の役にもたたねぇだろ」
「そんな事ないわ、お爺さんの居合は年季が入ってるもの、すっごく勉強になるんだから」
「そうじゃぞ、その辺の剣術使いなんぞ儂の足元にも及ばんわ」
「ふん、勝手にしろ」
「志麻、楊枝売りの秀の息子を連れて来い、あいつの虫歯はそろそろ抜き時だ、小遣いを弾むと言ったら喜んでついて来る」
「は〜い、じゃあ呼んでくるね」
志麻はドブ板を挟んで向かい側の、秀の所へ駆けて行った。
「しかし驚いたな、志麻の話が本当だったとは」慈心が真顔になって言った。
「ああ、俺もだ。爺さん志麻に助平心起こしたら気をつけな、絶対ぇ返り討ちに会うからな」
「馬鹿者!儂がそんなことするか!」
「ならいいや」
一刀斎はこの話に興味を失ったように畳に寝転がった。
「本当は悔しくて夜も眠れんかったのじゃろう?」慈心が意地悪く訊いた。
「馬鹿言え!とっとと行っちまえ!」
一刀斎が傍そばにあった湯呑みを掴んで投げつけた。慈心がひょいと躱かわすと水瓶に当たって粉々に砕け散った。
「言われんでも行くわい、おお、桑原桑原・・・」
*******
「さぁさぁお立ち会い、ご用とお急ぎでない方はゆっくりとお聞きあれ!」
志麻は慈心から教わった口上を大声で述べ始めた。
「鐘一つ売れぬ日もなし都かな、遠出山越し笠のうち、物のあや色あいろと利方りかた、利方がわからぬ山寺のぉ・・・」
意味など全く分からぬが、調子が良いのですっかり覚えてしまった口上を、志麻はスラスラと口から吐き出した。
「だぁがお立ち会い、お放り投げ銭およしなさい、大道にて未熟な渡世致しても、はばかりながら天下の町人、放り投げ銭貰わずに、稼業かぎょう生業なりわいにするやという!」
若衆姿の可憐な美少女が、玉を転がすような声で宣のたまうのだ。人の集まらぬ道理は無い。たちまち黒山の人だかりが出来た。
広い境内の一角に天幕を張り、その前には厳いかめしそうな真鍮の金具を打った鋏箱が二つ。その上には三振りの太刀を掛けた刀掛けが、これ見よがしに置いてある。
一本は柄頭から鐺こじりの先まで六尺はありそうな大太刀だ。後の二本は五尺と三尺。
慈心は、黒紋付きに白の小倉の袴の股立ちを取り、その前に立った。
「日本広しと言えども、居合術においてこの粉挽慈心の右に出る者はな〜い!」
「今からその妙技をご覧に入れる。ただし、儂も武士の端くれ、お捻ひねり投げ銭はお断り致〜す!」慈心は益々芝居がかって声を張り上げる。
「国の始まりは大八州、島の始まりは淡路島、橋の初めは鶴の橋!」
「あいあい、さようでございます」と志麻が合いの手を入れる。これもお約束の口上だ。
「人の始まりは国常立、夫婦の始まりは十の宝剣、鉄砲の始まりは種子島ぁ」
「あいあい作用でございますぅ」
口上は益々熱を帯びて来た。そうしているうちに野次馬がどんどん集まって来る。
「そろそろか」
慈心は刀掛けから三尺の太刀を手に取った。
「さてお立ち会い、かの牛若丸源義経は投げ上げた柳の枝を、十と三つに斬り分けたという。これから儂はそれを超えて見せよう!」
ワッと野次馬から声が上がる。
「志麻!」慈心が声を掛けた。
「よっ!」と掛け声と共に天高く柳の枝を放り上げた。
慈心は左手の親指で鯉口を切ると、抜く手も見せず太刀を抜いた。
落ちて来る枝を掬すくうように両断した、すると枝はまた跳ね上がる。落ちて来るのを半分また半分と斬り分けて行った。遂に十四に切り分けた時、枝はポトリと地に落ちた。
野次馬からやんやの喝采が沸き起こる。
さらに人が集まって来た。
「さてこんなものでは目の肥えた皆の衆は納得できまい。次の技を御覧ごろうじろ」
いつの間にか慈心は一本歯の高下駄に履き替えていた。
三尺の太刀を置いて、五尺の太刀に持ち替える。その間に志麻が、三宝を二段重ねに地面に据えた。
「さて、儂はこれからこの三宝の上に飛び乗って、そこの娘の投げ上げる扇を真っ二つにする。上手くいったらお慰み!」
はっ!と掛け声を発し、慈心が三宝に飛び乗った。
途端に志麻が扇を投げ上げる。
裂帛の気合いもろとも鞘から飛び出した剣は、見事に扇を両断して鞘に納まった。
その早技に野次馬がどよめいた。
そこで徐おもむろに志麻が歯磨き粉を取り出した。
「みなさん!師匠の素晴らしい技をお楽しみのところ、誠に申し訳ありませんが、私どもも伊達や酔狂でこのような事をやっている訳ではございません!師匠の技を凄い立派だと思し召しのお方があれば、この歯磨き粉を是非お手に取ってご覧頂きたい!」
ここで決して買ってくれとは言わないのがミソだ。
「そこのお子、そう、あなたちょっとこちらにおいでなさい」
ここでサクラとして仕込んでおいた秀の子供の健太の出番だ。
観衆に向けて大きく口を開かせた。
「どうです?歯を磨かなければこの子のように虫歯だらけになってしまいますよ」
前の方で見ていた野次馬が、本当だ!と声を上げる。
「さてお立ち会い、私がこの虫歯を抜いて見せましょう」
志麻が健太の口中に一枚の紙を含ませた。
「やあ!」と掛け声喧しく虫歯を引っこ抜く。
少しの力で簡単に抜けた。このコツも慈心直伝だ。
知らない客たちは滅多やたらと感心している。
「俺に一つくれ!」
「私には二つ!」
次々に歯磨き粉が飛ぶように売れて行く。
「これ、儂の居合を見せる暇が無いではないか」
慈心がわざとらしく不平を漏らす。
「ですが師匠、お客様がまだ歯磨き粉をお求めです」
「仕方あるまい、もう暫く待つとしよう」
こうして歯磨き粉は全て売り尽くして、客は海の水が引いて行くようにいなくなった。
結局六尺の大太刀は使わずじまいに終わった。
「爺ちゃん予定通りね、面白かった!」志麻が言った。
「粉挽のじっちゃん、どうして一番長い刀使わなかったの?」健太が訊いた。
「あれは飾りじゃ」慈心がニッと笑う。
「さて、儂の奢りじゃ、団子でも食って帰るとするか」
「賛成〜!」
そんな志麻達を、境内の隅から見ている者が居た。