草壁監物の弟子
「その大太刀、香具師やしの親分に返さなくて良いの?」
門前の茶店で買った団子を頬張って歩きながら、志麻が訊いた。
「この大太刀は儂の大事な商売道具じゃ。契約期間中は預けておいたのじゃが、今日が最終日なんでな、持って帰る」
「そうなんだ、でも鐺こじりが地面に着きそうよ」
「儂の背丈より長いからな」
「そんな長いの抜ける人なんていないね」
「ふふ、そうじゃな」
参道を抜けたところで慈心が急に足を止めた。
「健太、これは今日の駄賃じゃ、落とさぬように持って帰れ」
慈心は一握りの鐚銭びたせんを健太の手に握らせた。
「じっちゃんたちは帰らないの?」
「うむ、少々用事が出来た、先に帰っておれ」
「うん!」
健太は嬉しそうに銭を懐に入れると、仔犬のように走り去った。
「爺ちゃん、なぜ健太を先に帰したの?」
「気付かなんだか、尾つけられておる」
「えっ!」思わず慈心を見た。
「振り返るでない、次の角を左に曲がるぞ」
いつもとは反対の方角である。二人は何食わぬ顔をして角を曲がった。
「志麻、走れ!」慈心はそう叫ぶと、脱兎の如く走り出した。
志麻は全力で慈心の後を追う。
「しまった、気付かれた!」後ろで声がした。
「追え!」
どうやら追手は一人では無さそうだ。
寺社地を抜けて武家地に入る。柳川藩の下屋敷の辺りまで来ると赤い鳥居が目に入った。
「あそこに逃げ込めば、奴らもおいそれとは手が出せまい」
柳川藩は屋敷内にある太郎稲荷を公開しており、庶民にも参詣を許している。
鳥居に飛び込み歩速を緩めた。太郎稲荷の幟が両脇に立ち並ぶ参道を、真っ直ぐに拝殿に向かって進む。
追っ手は入って来ない、鳥居の外で見張っているようだ。
拝殿の傍かたわらに置いてある床几に、武士が一人所在無げに座っていた。二人を見ると大義そうに立ち上がり声をかけて来た。
「ああ、お二人さん、誠に申し訳ないが拝観料を頂きたい」
「えっ、拝観料を取るの?」志麻が驚いて訊ねた。
「うむ、この稲荷は疱瘡ほうそうを治す御利益があるので、参拝者が引きも切らぬ。そこで我が藩の勘定方が拝観料を取ることを思いついたのだ。おかげで月に百両ほどの身入りになる」
「なんとも世知辛い世の中じゃのう」慈心が呆れ顔で呟いた。
「まぁそう言われるな、どこの大名も台所は火の車だ。お察しくだされ」
江戸勤番の下級武士なのであろう、なんともおっとりとした対応である。
二人は拝観料を払い神殿の前で柏手を打ち賽銭を投げた。
手を合わせているうちに良い考えが頭に浮かんだ。
「ねぇお侍さん、この神社は御屋敷の敷地内に建ってるのよね?」
「いかにも」
「だったら他の場所からも外に出られるよね?」
「屋敷の裏口から出られぬ事も無いが・・・」
「じゃあ、私たちをそこから出してくんない?拝観料を払った上にお賽銭まであげたんだからそれくらい良いでしょ?」
「ならぬならぬ、そのような事、某それがしの一存では決められぬ」
「私たち追われてるの、表に目つきの悪い奴がいるの見えるでしょう?」
侍はひょいと首を伸ばして鳥居の方を見た。
「確かに武士が何人か屯しておるな。一体どこの家中の者か?」
「そんなの知らないわ、ね、お願い、出してくれたら一生恩に着るわ」
「その方たち何をやった?」
「何もしてないわ、きっと私があまりにも可愛いんで狙っているのよ」
慈心がプッと吹き出したので志麻が睨みつける。
「これだけ頼んでるのよ、私たちを追い出して表で斬られたらきっと後生が悪いわ。お屋敷にも迷惑がかかるし」
「そ、それは困る・・・」
「でしょ、ここは穏便に済ませるためにも、私たちを裏から出すのが得策よ」
「そうだなぁ・・・まあ良いか、今は珍しく暇でもあるし」
「ありがとう、お侍さん」
志麻が手を取って礼を言ったものだから、侍の目尻がだらしなく下がった。
「こちらへ参れ」咳払いをして先に立って歩き出す。
木戸を開け、広い屋敷内の竹林の中を通り抜けると裏門に出た、普段は使用人たちが使っている門だろう。
「良いか、私が案内した事はくれぐれも内密にな」
「分かってるわよ、本当にありがとう!このお礼はいつか必ず・・・」
「もう良い、早う行け人目に付く」
「かたじけない」慈心も頭を下げて裏門を出る。二人が出ると門はすぐに閉じられた。
「上手くいったわ」志麻が誇らしげに言う。
「なんとも強引なやつじゃ、おかげで助かったがの」
「でしょ、さあ早くここから離れましょ。気が付いて追って来たら厄介だから」
「そうじゃな」
二人は遠回りをして帰る事にした。足を早めて大川へ出て、川沿いに暫く下って西へ折れ、浅草寺寺領地の傍を抜けて馬道に出る。老女弁財天の橋を渡れば伝法院通りはすぐそこだ。
ほっと一息ついたところで、前方に陽炎かげろうのように立っている人影が見えた。
「やはりこの道を通ったか」
男が道を塞ぐようにして声を掛けてきた。
「何者じゃ!」慈心が誰何すいかする。
「草壁監物の弟子、磯貝宗助」
「なに!」志麻が腰の刀に手をかけた。
「師を付け狙っているのはお前か?」
「叔父の仇だ、当然だろう!」
「うるさい蝿が飛び回っているから始末せよとのご命令だ」
「なぜ、ここが分かった?」
「師が言ったのだ、最初にお前の気配を感じたのがこの辺りだと」
やはりあの時気付かれていたのだ。
「他の奴らはまんまと巻かれたようだが、俺はそうはいかない」
「だったらどうする!」
「知れた事、師を煩わせるまでもない、俺がお前を始末する」
「なら返り討ちにするまで!」
「笑わせるなお前みたいな小娘に俺が負ける訳が無い」
「ならやってみるか!」
「待て志麻、アレはまだ見せるな。監物との戦いに取っておけ」
「お爺ちゃん・・・」
「磯貝とやら、ここは儂が相手をしよう」
「でも、その大太刀じゃ・・・」
「言ったろ、これは儂の商売道具だ・・・と」
「だから、飾りなんでしょ!」
「まぁ、黙って見ていろ」
磯貝がズイと前に出た。
「俺はどちらでも構わないぜ。どのみち二人とも死ぬんだからな」
「それはどうかな?」
「なら、まずお前から地獄へ行け」スラリと刀を抜く。
「お前も抜け、まぁ、そんな大太刀が本当に抜けるのならば・・・だが」
「このままで良い」
「そうか、刀も抜かずにあの世へ行くか」
「地獄の間違いでは無いのか?」
「うるさい!」磯貝が地を蹴った。
磯貝が六尺の大太刀の間合いに入った刹那、慈心の躰が突き立ての餅のように伸びるのが見えた。一瞬の光芒が空間を斬り裂いたかと思ったら、既に大太刀は鞘に納まっていた。
磯貝の動きが止まった。
残心を取った慈心が、スッと背筋を伸ばす。
ゆっくりと磯貝が道に倒れていった。
乾いた土に赤黒い血が、染みのように広がって行く。
「お、お爺ちゃん今のは・・・」志麻が目を丸くして訊いた。
「なあに、ほんの初歩的な居合の技じゃ」
「だって、あんな長い刀・・・」
「長短一味は居合の極意じゃよ」
「どうやるの?」
「全身の力を抜いて、関節を全部同時に動かす・・・それだけじゃ」
「す、すごい・・・」
「志麻、今のは皆には内緒だぞ」
「え、だって・・・」
「儂は大道芸の居合抜きの方が気楽なのじゃよ」
志麻はただ頷く事しか出来なかった。
一刀斎といい、お爺ちゃんといい、蛇骨長屋は凄い人ばかり集まっている。
「さあ、帰ろうか、一刀斎が待っている」
「うん・・・」
志麻は慈心と肩を並べて歩き出した。
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