テラーノベル
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後ろに仰け反り、しなだれる女性の腕を支える男性の手は筋張らせて。
男性の唇は女性の肩口を食むような感じでいいかしら? 襟を大きくはだけさせて……。
いや、やっぱり首筋を舐めさせようかな。
着色する際には舌の濡れた感じが伝わるようにしたら、きっとゾクゾクするわよね。
ゾクゾク……。
生暖かいようでいて冷たく、硬いようでいて柔らかい。
何時ぞやに首筋を這ったその感覚を思い出し、麗霞はゴクリと唾を飲み込んだ。
「しゅっ……集中、集中。やっぱり食むような感じにしよう」
男性の顔を女性の肩口に寄せるような塩梅にして、筆を滑らせていく。
サラサラと書き進めた麗霞は、大まかに書き終えた所で筆を止めた。
「うーん、この構図だと男性の顔がよく見えないわ」
女性だって、自分に興奮している男性の顔が好きだし興奮する。もちろん自分も相手に好意を持っていることは前提として。
だから男性の脳天ばかり見えるこの構図は、ちょっと刺激が足りない。
やっぱり舐めて頂こうかと、新しい紙に描き直してみる。
邪念よ消えろと唱えながら筆を動かし、今度は仰け反る女性の首筋にべロリと舌を這わせて……這わせて……。
ドッ、ドッ、と血流が大きく体の中をうねり、熱くしていく。
心臓が大きく伸び縮みして、息苦しくなってきた。
「やめやめっ! やっぱりこれは無しで!」
描き途中の紙をくしゃくしゃにして丸めると、新しい紙をもう一枚卓の上に広げて息をつく。
「こんな在り来りの絵なんて面白くないわよ!春画家として第一線を走るなら、もっと先を行く絵を描かないと」
それなら敢えて女性を上にしてしまう?
右が雲嵐に積極的に迫っていたことを見習って、女性が攻めている構図がいいかもしれない。
男性の上に女性を跨らせて……。跨らせて……?
跨った先にあった、煜峰の唇の感覚を思い出す。そしてその中までも。
ぐちゃぐちゃに翻弄され、互いの唾液が混ざり合った濃厚な口付け。
本日二度目の生唾を飲み下したところで、麗霞は筆を乱暴に筆掛けに戻した。
「あー、もうっ! 私の頭はどうなっちゃったのよォ」
もともと変態だったことには変わりない。
脳内で男女を絡み合わせては、絵に描き起こしていたような人間なのだから。
ただそれは架空の人物に自分を投影して楽しんでいただけであって、決して自分では無かった。
それなのに……。
煜峰とのあの一件から、妄想の中の人物が麗霞自身となり、更には相手が煜峰に置きか代わってしまうという事象に悩まされるようになった。
妄想して思い出す度に体は火照ってくるし、心臓はバクバクしてくるしで、思うように筆が進まない。
何枚もの紙と墨を無駄にして、結局そのまま眠った麗霞は翌朝、姜弘が気ままに落書きしている様を見ながら尋ねてみた。
「姜弘様はスランプに陥った経験がおありですか?」
いつもなら例えそれが落書きであっても、書き物をしていたり考え事をしてそうな時は声をかけないようにしているのに、うっかり口から言葉が出てしまっていた。
ハッとして姜弘の顔色を伺ってみたが、特に機嫌を損ねた様子はなく、むしろ面白いことを聞いてきたとばかりに声を弾ませている。
「スランプぅ?」
「ええ。思うように上手く描けないとか、これまでどうやって描いていたんだろうって、手につかなくなってしまう事とか」
「はっはっ!! 儂は70だぞ? そんなことは幾らでもある」
「……そういう時姜弘様はどうされるのですか」
「なんじゃい。スランプに陥っているのか?」
「ええと、はい。まあ私がスランプに陥った所で何だって感じではあるんですけれど。でも絵を描けなくなってしまって、どうしたらいいのかと。他に趣味なんてありませんし」
麗霞は一応、良家の娘。何を書くかはさておき、書画を嗜むのは普通の事なので正直に話すと、姜弘は「たかが趣味」と馬鹿にすることなく考えている。
「儂の場合は絵の事なんて全部忘れてしまうなぁ。美味いものを食べて好きなだけ寝て、行きたい所へ行って酒を飲んで騒いで。海に行ったり、はたまた遠い異国の地へ行ってみたり、色々じゃ。そうしている内に無性に描きたくて描きたくて堪らなくなる。描かなければ死んでしまうかと思うほどに、恋しくなるんだなぁ、これが」
「一度リセットする感じでしょうか。確かに効果がありそうですね」
「まあこれはあくまで儂の話。画人仲間から聞いた話じゃ、そいつは全く逆で、描いて描いて描きまくると言っておった。模写でも写実画でも何でもいいから、とにかく無心になって描くらしい」
「へぇぇ……」
「他にも自分が何故描けないのか、原因をとことん突き詰めて解決すると言うやつだっているぞ? 人それぞれじゃな」
原因を突き詰める……。
そんなのは分かっている。全部煜峰のせい。
気分を害されたからという理由で手を出してきた煜峰のせいだ。
そして、チャンスを与えられながらも拒まなかった、麗霞自身のせいでもある。
宦官となんて有り得ないって思っていたし、今もそう思っているのに、何をしているのだか。自分で自分の行動に呆れてしまう。頭の中は別として、いつからそんなふしだらな女になったのだか。
「どうじゃ? 参考になったか?」
「あ、はいっ! ありがとうございます。官女としてまだ勤めたいと思っているので旅には出られそうもありませんが、その代わり、なるべく考え込まないように仕事により一層励んでみようと思います」
「そうじゃな。そうしてくれるとありがたい。麗霞がいなくなったら儂も寂しいからなぁ」
今聞いた中で一番良さそうなのは、姜弘流のやり方だと思う。
描きまくったりしたら余計に煜峰の事を考えてしまいそうなので、一度春画を描くことから離れてみよう。そうしたら煜峰も頭の中から消えてくれるはず。
「姜弘殿、こちらにおりましたか」
姜弘を探していたらしい煜峰は姿を認めると、こちらへ近付いてきた。
麗霞は思わずビクンっと反応しそうになったが、何とか耐えた。
#異世界転移
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コメント
1件
第30話、読み終わりました! 麗霞のスランプ、まさかあの夜の記憶が原因だったとは……。春画を描こうとしても、どうしても煜峰の感触が蘇ってしまうもどかしさが痛いほど伝わってきました。姜弘様の「一度リセットする」というアドバイス、含蓄がありますね。最後に煜峰が現れてビクッとする麗霞の描写、思わずこちらまでドキッとしました。この後どうなるのか、気になって仕方ないです!