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「学校」
「学校」
私は逃げ場を探して、町中を彷徨っていた。そして、気付けば通っている高校の校舎内にいた。
「え。いつのまに学校に……」
それも自分の教室の机に座り込んで。
暗闇、薄暗い月の明かりが教室を照らしている。机の影が沈んでいるように深く見えた。
何も音のしない教室。周囲は静まり返り、私だけが動く。
人がいないだけで、こんなに広く感じるのか。いつもここは人が密集して、うるさくないときなんてなくてこの教室はすごく狭いって、思うことがあったのに。
なんとなく落ち着かず、周囲を歩き回る。窓から廊下を覗くと、その先に続く道は真っ暗闇でほとんど見えない。途中に非常ベルのかすかに赤い光が見えるくらいで。
この先にはきっと別の校舎への入り口があるだけなのに、そのまま異次元に繋がっているみたいに感じた。
ーー先に進む気になれない。でも、動かないのもよくない気がする。
「そもそもなんで、こんなところに」
悪夢だとしても、いい加減にして欲しかった。学校はそこまで好きではないのだ。学校にいると、とても疲れてしまう。
父は私に優等生であることを望み、母も私に期待を寄せている。いい子の私を演じているとき、私が私でなくなるような気がする。
でも、みんなが期待しているのはいい子である私だから、高校では生徒会役員まで勤めていた。みんなの前に立って演じているうちはいいのだ。しかし時に我に返って、私はいったい何をしているのだろうと苦しむ。
本当は私は勉強なんて嫌いで、周囲に合わせたりまとめるのも苦手で、一人でいるほうが楽な人間だというのに。唯一の救いといえば、いつも話しかけてくれる彼くらいで……。
『机の中を見て』
「え?……なに、気のせい」
また声がした気がした。でも、やはり誰もいない。
しかし、一度その声に助けられたことがあったので、その声に従って自分の机を探してみる。
すると色んな物が出てきた。生徒会室のカギに日記。なぜか、彫刻刀。中でも気になったのは高校の通知表だ。
一学期、評定オール5。二学期、評定オール5。三学期、評定斜線。
『とても真面目で優秀な子です。授業態度も素晴らしく、各教科の先生方からも評判でした。いつも周りに目を配り、周囲を助け、引っ張っていく能力をもっています。今期には生徒会副会長に選ばれました。彼女の頑張りは着実に実を結んでいます。この調子で進んでいきましょう』
『二学期も活躍の場が多く、素晴らしい学校生活を送っていたと思います。今期は生徒会副会長として、文化祭の運営や体育祭の補助などを見事にこなしていました。責任感が強く、何にも負けない信念をしっかりと持っているように感じます。また勉学の面でも素晴らしい成果を上げ、全国模試でも上位の成績です。これからも一緒に頑張っていきましょう』
歯の浮くような担任のコメント。こちらに期待していることを全く隠しもしない。重圧が、拷問のようにのしかかる。
私はあの担任が本当に苦手だった。両親の期待に押しつぶされそうな私に、尋常じゃないほどの期待を寄せていた。悪い教師ではなくごく普通の教師だとは思うが、毎回「応援している」といった表情で呼び出しをかけてくるのがダメだった。
どうしてこんなものが机の中に入っているのかはわからないが、これはいつもの私の通知表だ。でも。
「……三学期は、どうしたの」
なぜか斜線で消されている三学期をもっと近くで見ようとして、手が滑り、ガシャン! と割れた花瓶。花瓶……?
「……花瓶なんて。今さっきまでなかった」
【白】
目をあげて一瞬、あの夢と錯覚した。それほど、目にいっぱいの白。白。白。
全ての机に大量の花が飾ってあった。それは白い菊の花。生きている人の机に飾るには、絶対に向かない花。仏花。手向け花。死者に供えるもの。それは死を迎えたものに、与えられる。
菊。その花は花びらに見える一枚一枚が花だ。それが集合して一つの大きな花になっている。それは、まるであの化け物の手足みたいだな、なんて、嫌な妄想が頭の中を巡る。
きっと一枚一枚に人の魂が込められていて、あの化け物が人を食べるたびに、その花弁は増えていくのだ。やがては校舎を埋めつくす。
そう考えると真っ白で美しいはずの花なのに、どこか汚れて見えた。私がこの花弁の一枚になったらどんな色になるのだろう。くすんでみるに堪えない花びらになるのだろうか。
身体は恐怖に震え出し始めているのに、頭の中ではそんなことを思った。
――ズルズル。ズルズル。
そして何かを引きずる音がした。まだ、そこまで近くで聞こえているわけじゃないのに、妙に頭に響く。ナメクジが地面を這いずっているような感じがする。粘ついて、重くて、少し水っぽい。
あの化け物が重たげな身体を引きずりながら、獲物を探しているんだろう。完全に私とは逆方向に動いていたはずなのに、どうしてこんなところに来ている。
ーー花瓶を落とした音が大きく鳴ったから、気づいたのか。
「……来ないで」
私は急いで、教室にある掃除道具入れに隠れた。奇妙な音は真っ直ぐに私の居る教室に近づいて来ている。
そっと、かすかに開いている覗き込むと誰もいない教室がみえた。
菊の花なんてどこにもなかった。なんで。それに通知表も消えている。何もかも消えている。
「……これは、夢。絶対に夢」
悪い方向に考えてしまうから、こんな夢を見るんだ。だから、もっといいことを考えよう。
精一杯自分の気を奮い立たせて、この状況とは違うことを考えようとする。けれど、こんな状況じゃ何もいいことなんて思い出せない。それどころか、悪いことしか考えつきそうにない。
そんなことをしている間に、あの音は接近していた。
――ズルズル、ズルズル。
あぁ、やっぱり、アレが来た。私の悪夢。常夜の怪物。
息を止める。呼吸さえ、アレに気づかれるかもしれない。
あの化け物が、掃除道具入れの前をゆっくり通っていった。それを私は目を閉じることもできず見つめていた。家の電柱の影で目をつむってしまったときのトラウマかもしれない。目があの化け物を追い続ける。
至近距離で化け物の身体が見える。ずりずりと人間の手足が血だらけで通ってきたところから、真っ黒い跡がついている。
あの化け物は私が座っていたところで止まった。
ーーばたばたばたばた。
急に化け物はその場で大きく足踏みをした。周囲が揺れる。私の身体も掃除道具入れの中で揺れる。しかし、音は出さないように必死でこらえた。足に力を籠める。
「 ひ ? あに 」
化け物はブルブルと左右に揺らして笑っている。後ろに張り付いている能面がぐいいいっっと、周囲を見渡していた。
何をしているのかと思い、じっと見るとその手には人形がある。
「……あ、わたしの」
そう思って、つい声が出てしまった。
化け物はそのとたん、ぐいいいっっと急にこちらを振り返った。完全にこちらに気づいたのだ。
「gyagyagyagyagyagyagyagyagyaygygy」
意味の分からない笑い声みたいなものを発して、こちらにわさわさと近づいてきた。蜘蛛の動きそのものだった。女面は笑い転げている。いやだいやだ、食われる……!!hそいりghrdf
「 」
声にならない声をあげて私は勢いのまま、掃除道具入れから身体を出し、その中にあった箒をぶんぶん振り回して、相手に投げつけた。
「hnntyi、aadihsaidahidhaadasdbj」
私の投げつけた箒は確実に相手に当たり、気味の悪い叫び声を化け物はあげる。
必死で逃げようと教室のドアを開けるが、左右から血だらけの手足と能面が襲い掛かってきた。
うねうねと間接も骨も存在しないのではないかという動きで、手は私を狙う。何とか、身体をひねって逃げようとするものの、この化け物に対する恐れからかうまく身体が動いてくれない。
そのまま腕をつかまれた……。でも、気が狂ったように新たな箒を投げる。バケツもちりとりも。
「いやああぁぁぁぁぁ」
「kwewewewr、dkknrsntstnnioaoououueo」
こんなものでどうにかなるなんて、思っていない。そもそも何も考えられてない。ただ焦りと恐ろしさから私は最後に残った箒を振り回し、なんとか身体が抜け出した。
そしてその時、その怪物が持っていた私の人形が勢いよく、窓の外に放り出された。……あとから思い出して疑問に感じたが、窓は空いていただろうか。よく分からない。それを見た化け物は急に力を抜いた気もした。
その後、なぜか怪物は私よりもその人形を追っていき、私は逃げることができたのだった。
♢
「痛い」
私は辛くもあの化け物から逃亡し、生徒会室に隠れた。
自分の机にあった生徒会室のカギを使って開けたのだ。そのままガチャリと鍵を閉めて、机の下に潜り込み、あの化け物がやってこないことだけを祈って長いこと過ごしていた。
時間が経ち、冷静になってくると、あの化け物に殴られた場所がすごく痛くなってきた。
「痛い、夢だと痛くないっていうのに、どうしてこんなに痛いの」
生徒会室にあった鏡で、自分の殴られた場所を見る。
腕口がひどく赤く染まっていた。人の手形みたいになってる。
「何これ」
気になって袖口をめくると、そこには青いアザと黄色い治りかけのアザがびっしりとついていた。
何かカラフルな水玉模様のようにも感じるが、そのグロテスクさは水玉なんてものじゃ語れない。
ものが密集していることに恐怖や嫌悪を覚えることがあると思う。私はそれを自分の腕を見て感じた。
そもそも自分の身体に知らないうちにそんなものができるなんて、違和感しかない。私はあの化け物に呪いでもかけられてしまったのだろうか。
「痛いけど、救急箱もないし……。それに、どうして夜が明けないの?」
秋だから日が昇る時間が遅いと言っても、もうだいぶ時間は経っているはずだ。それなのに、夜が明けない。夢だって、もうとっくに覚めていてもいいはずなのに、いつまで経ってもそんな気配がない。
ポケットに何か入ってなかったかな。そう疑問に思い取り出すと、そこには私の名前が書かれた日記に、少し大きめで頑丈な彫刻刀があった。
「そういえば、こんなものも机に入ってたね」
これが夢のヒントだったりするのかな。
ここから抜け出す糸口が全く見いだせなかった私は、その日記をぺらりとめくる。その日記の日付はまちまちで、わざとランダムに抜き出してきたような感じを覚えた。
「6月12日
今日はお父さんの機嫌が悪くて、食べ終わった後の皿を早く片付けなかったことで怒られてしまいました。お母さんはお前の教育が悪いからだ、とひどく怒られていて、でも庇ってあげることができませんでした。
その後、お母さんに『お父さんは疲れているだけだから、許してあげてね。陽奈ちゃんが頑張れば、お父さんもきっと元に戻ってくれるから』と言われたので、私は今日も勉強に励みます。お父さんの仕事は見つかるのでしょうか。」
「7月24日
今日は私の誕生日でした。しかし、お父さんもお母さんも忘れてしまっているようでいつも通り塾から戻って、一人でご飯を食べました。少し悲しかったです。
でも、上の両親の部屋から怒鳴り声が聞こえてくるので、何を言うこともできず、一日が終わりました。お父さんは新しく見つけた職場があってないようで、ストレスが溜まっているようです。」
「8月15日
夏休みなので、私は夏期講習に行っていました。塾の帰りに同級生たちが楽しそうに遊んでいるのを見かけていいなぁと思いましたが、私にはたぶんそんなことは許されていないので、そのままぽつぽつと家に帰りました。
父はこの頃なぜかずっと家にいて、お酒を飲んでいることが多いです。こういう時は、何も言わずにお父さんの目に触れないところにいるのが一番です。」
「9月1日
夏休みが明け、生徒会の仕事が忙しくなってきました。体育祭に向けて準備が始まります。少し大変ですが、楽しみです。私が担当するのは徒競走、学級対抗リレー、縄跳びで白熱するだろうと思います。先生方が異様な期待を投げかけてくるので少し辛いですが、何とかうまくいかせたいと思います。
あと、お母さんとお父さんに久しぶりに褒められました。さすが私たちの娘だと言ってもらえたので、頑張ろうと思います」
「10月27日
文化祭が始まりました。翔太君がクラスの子たちとの緩衝材になってくれたので、クラス行事がすごくスムーズに進みました。劇では「シンデレラ」という定番の物語の主役を演じました。三つ編みを解いて、化粧を軽く施してもらいました。ドレスを着たのは初めてだったので緊張しました。
母は見に来てくれましたが、どうしてシンデレラなんて演じたのかと不満そうでした。主役だったので少しは褒めてもらえるかと思ったのですが、お母さんには気に入らなかったようです。あと学業に専念するために、行事にはこれから軽く参加することといわれました。」
私の字で書かれた日記を読んでいると、記憶にない情報が頭に入ってくる。
父がリストラされていたのもそうだけど、文化祭でお母さんにこんなこと言われた記憶ない。だって、お母さん怒るところはすごい怖いけど、ちゃんと優しいのに。
日付的にもうそろそろ終わりだろうか、あまり収穫はなかったなと思ったが、まだ続きのページがいくらかある。
「11月17日
お父さんが家に帰ってこない。お母さんにすごく責められた。お前が悪いって。私、どうしたらいいんだろう。お母さんがずっと、リビングに座ってて、家に帰ってくるのがすごく怖い。学校で翔太君が話を聞いてくれて、何とか出来てるけど、このままじゃ、私、無理だよ。どうしたらいいの、誰か助けて。殴られるのはもう、いや。でも、お母さんずっと謝ってるから、私どうしたらいいの。」
「12月24日
(涙のシミだけ残され、何も書かれていない)」
言葉もなく、次のページをめくっていくと日記の最後には乱雑に大きな文字で、こう書かれていた。ゲームの終わりを告げるように。
『あの化け物を殺して』
握っていた彫刻刀が手から落ちた。