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翌朝――
「んっ!ん~」
私は寝台の上で大きく伸びをする。
体が硬い――もう歳ね。
「今日で私も40歳になったのですものね」
ふと、昨日のシスター・ジェルマの言葉が思い出されました。
子供達が私の誕生日を祝おうとしてくれているのだと……
そしてもう一つ大事な報せ――
「ユーヤが還ってくる」
ユーヤの姿を思い浮かべると、何でこんなに心が騒いでしまうのでしょう。
嬉しさに胸の高鳴りを抑えきれないなんて、まるで恋する乙女のようです。
私は指でそっと唇に触れました。
指に感じるその熱は、5年前の彼の唇の残滓――
その柔らかく温かい感触は、ユーヤが旅立つ前日の記憶を呼び起こしました。
彼は私にキスをした。
それから彼は私を好きだと告げたのです。
そして彼は私に待っていて欲しいと願いました。
顔がカッと熱くなる。
この胸を焦がすような苦しい気持ちは恋なのでしょうか?
私は本当にユーヤを好きになってしまったのでしょうか?
それとも昔のように愚かにもただ恋に焦がれているだけなのでしょうか?
いったん意識してしまうとユーヤの姿が頭から離れません。
あの私の腰を抱いた彼の力強い腕……
あの私の唇を激しく求めた彼の唇……
あの私の姿を映しだした黒い双眸……
彼を想うと私の心臓が痛いくらいに激しく音を打ち鳴らすのです。
私は耐えきれず胸をキュッと掴む。
そのまま私は寝台でしゃがみこみ、うるさく拍動する心臓が落ち着くのを待ちました。やがて、動悸も治まり身を起こせば、既に窓から明るい光が差し込んでいました。
私は静かに寝台から降りると、裸足のまま窓辺へと歩み寄りました。
窓を開ければ部屋にもう涼しくなった朝の風が吹き込んできました。
「気持ちの良い風……」
その風がほてった身体と焦がれた心を冷やしてくれて心地が良い。
とんとん、とんとん――
窓辺でたたずみ心と体に宿る熱を冷たい風で洗い流していると、突然のノックの後に扉がカチャリと開けられました。
少し開いた扉の隙間から薄桃色の頭をヒョイと出して愛らしい女性が覗いてきました。
「シエラ、返事も待たずに扉を開けるものではないわよ」
「は~い」
ペロッと舌を出すシエラも二十歳になりました。
とても明るく、そして愛らしく育った彼女は町でも人気者です。私の時のように紳士同盟なるものが男性達の間で結ばれていたとか。
一昨年、シエラが結婚した時には大勢の若い男性の嘆きが凄かったものです。
「貴女も一児の母となったのですからもう少し落ち着きを持ってもいいでしょうに」
「ふふふ……シスターってホントお母さんみたい」
私が窘めても、シエラはむしろ嬉しそうに笑いました。
そして、私の胸に飛び込みギュッと抱き着いてきました。
「もう、まるで大きな子供よ」
「私はずっとシスターの娘だよ」
彼女は子供の時のように私の胸に顔を埋めて、背に回す腕に力を籠めてきました。
「シスターは私の自慢のお母さん……そして、誰よりも素敵な女性だよ」
この子はとても鋭い。
きっと私が迷っているのを感じ取っているのでしょう。
そして、とても優しい娘。
私を思いやり、甘える振りをして励ましてくれる。
シエラは本当にとても良い娘に育ってくれました。
実は、この子は幼い頃に同じ薄桃色の髪の女性と同じ言葉を口にしたのです。
『ヒロイン』
『悪役令嬢』
そして『おとめげーむ』……
その言葉を口にした当初は、シエラもエリーと同じなのではないかと危惧をしました。
ですが、それは全くの杞憂でした。
シエラはそれらの言葉に固執せず、振り舞わされず、私の言葉に耳を傾け、私を母のように慕い、誰にでも分け隔てなく愛情を降り注ぐ素晴らしい聖女に成長しました。
今では素敵な女性として1人の男性と愛を育み、温かい母親として1人の娘を育てています。
「シエラは本当にとても良い子ね」
抱きつくシエラの薄桃色の髪を優しく撫でると、彼女は顔を上げて私の目を真っ直ぐ捉えました。
「私はいっぱいいっぱいシスターに温かい心をもらったの。シスターがいたから今の私がいるの。もし私が良い娘なら、それは全部シスターのお陰なんだよ」
「それは違うわ。シエラが今までたくさん努力したからよ。私なんかいなくても貴女は立派なレディになっていたわ」
愛おしくなってシエラの頬に手を添えると、彼女はその手に縋るように自分の手を重ねてきました。
「シスターがいたから私は『前世』に振り回されずに『今』の私を生きることができたの。シスターがいたから私は私として精一杯生きることができたの」
私は真剣な彼女の青い瞳に吸い込まれそうになりました。
「だからシスターは『私なんか』じゃないわ。世界で一番綺麗で素敵な女性よ」
彼女の優しく強い訴えに、私の目から涙が零れました。
「シエラ……ありがとう」
「うん……」
ああ、私は本当に幸せ者なのですね。
長い間、抱き合っていた私達はどちらからともなく離れると気恥ずかしさを誤魔化すように笑いました。
「そう言えばシエラは用事があって来たのではないの?」
彼女はもう孤児院の住人ではありません。
ここに来たのは用があってのことでしょう。
「あっ、そうだった!」
彼女はそう言うと私の背を押して私を外へと連れ出しました。
「お昼まで孤児院から出ていて欲しいの」
「子供達に頼まれたの?」
「あちゃ、バレてる?」
「ちゃんと知らない振りをしておくわ」
「ありがとうシスター」
私を拝むような仕草をするシエラにくすりと笑いが漏れてしまいました。
「それから今日はシスターにきっと良い事が起こりそうな予感がするの」
「予感?」
シエラの聖女としての能力はまだ私には及びませんが、何故か彼女の予感は私よりも良く当たるので私は首を捻りました。
「きっと神様からの素敵な誕生日プレゼントよ!」
ですがシエラは何の説明もせずに、片目を瞑って悪戯っ子のように笑うだけ。
そのまま彼女に孤児院を追い出されてしまったので、私は仕方なしに町の中を目的も無くぶらぶらと歩き始めました。
「今日は私の誕生日か」
私は今日40になりました……