雨はどんどんと激しくなり、雷まで鳴り始めた。
僕の全身が震えている。雨に濡れて冷えたせい?いや…違う。リアムと剣を交えなければならないこの状況に、怯えているのだ。
僕は子供の頃からラズールに鍛えられた。だから剣の腕は立つ。でもまともに戦えば、ラズールやトラビスには負ける。
リアムにだってそうだ。リアムの方が剣の動きが速い。そして力が強い。きっと僕の剣は弾かれて、リアムに斬られるだろう。
そう、なればいいと思う。
だけど今の僕は、不死身の化け物なんだ。身体に絡まる蔦のような黒い痣が、僕の身体に傷をつけることを許さない。
姉上に僕の命を捧げるために、ラズールが突き出した剣は胸に刺さらなかった。首を斬ろうとしても斬れなかった。
リアムの刃が届いても、傷つかない身体の僕を見て、リアムはどんな反応をする?化け物だと怯えた目で、もしくは軽蔑の目で見られたら、僕の心は今度こそ死んでしまう。
「どうした…来ないのか?」
「そちらこそ」
リアムの低い声に緊張する。
早く踏み込んできてほしい。思いっきり剣を振るってほしい。身体の痣を斬ってほしい。
僕はリアムを傷つける気は、さらさらないのだから。
「では、俺から行くぞ」
「うん」と頷くよりも速く、リアムが僕の前に来た。振り下ろされた剣を、咄嗟に受け止める。そして内心、しまったと思う。
斬られたいと願っていたのに反射的に受けてしまった。このまま押し返す?それとも剣を下ろして身体で受ける?
リアムが剣を押しながら口を開く。
「フィル、俺はおまえを斬りたくない。降参してくれないか。頼む」
「しない。僕は国に戻らなければならない。降参したら、もう国に戻れないじゃないか」
「しばらくは戻れないが、俺が必ず戻してやる。だから今は、俺に捕まってくれないか」
「…僕の望みを言ってもいい?」
「なんだ」
リアムはそれほど力を入れていない。それなのに僕の腕が痺れてきた。
僕は軟弱だ。もう一度ラズールに鍛え直してもらわないと。
僕はふ…と笑った。
このままリアムに斬ってほしいと思いながら、国に戻ることを考えている。僕はどうしたいのか。自分のことなのによくわからない。
「なにが可笑しい」
「…僕は今、どうしたいのか混乱してる。それがおかしくて…」
「迷っているなら、俺に任せてくれないか?」
「そうしてしまいたい気持ちもある」
「ならばっ」
「でもね…バイロン国はイヴァル帝国の騎士を殺した。そのことは絶対に許せない。彼らを死なせたのは僕の責任でもある。だから僕は彼らの仇を取らなければならないんだ」
「…そのことは謝る。申しわけないことをした。それではダメか?」
「うん…。僕の望みは、リアムに本気を出してほしいってこと。僕を殺すつもりで来て」
僕は剣を下ろした。
支えを失って、リアムの剣が落ちてくる。
僕の額に当たる寸前で、リアムが慌てて剣を引いた。
「急に下ろすな!危うく斬るところだったぞ」
「だから真剣に斬り合おうって言ってるのに…」
思わず泣きそうになった。もうどうすればいいのかわからない。このままリアムの馬を奪って逃げてしまおうか。…そうだ、それが一番いい。
道の端で大人しく待っている馬の方へ僕が走り出そうとしたその時。
「リアム様!ご無事ですかっ?」と大きな声がした。
リアムの馬の近くに、バイロン国の騎士がいる。いつ来たのか?雨が地面を打つ音で、全く気配に気づけなかった。
フードをかぶってわかりにくいが、見たことのある顔だ。トラビスに担がれて逃げるときに、目が合った男だ。確か名前は…。
「ジル!追いかけてきたのかっ」
「そうです。リアム様お一人で追跡されるなど危険です!」
そうだ、ジルだ。僕のことを気にしていた。不審に思っていたはずだ。
ジルはリアムの前に来ると、剣を抜いて僕を凝視した。
「リアム様…この者は?ゼノが連れていた捕虜と顔が似ているが、髪が違う…」
「ゼノが連れていたフィルだ。髪は染めていたんだ。雨で染料が落ちて本来の銀髪が現れた。雨に濡れてもこの美しさだ。きっと陽の光の下で見る銀髪は、さぞ美しいだろうな」
「染めていたのか。銀髪といえば王族か王族の血縁者の証。決して逃がしてはなりません」
「わかっている。だが怪我をさせるな。フィルは俺が連れていく。兄上には絶対に渡さない」
「それは…連れ帰って公の場で処刑をするということですね?」
「は?なにを言ってる!」
僕は剣を握りしめる手に力を込めた。
今なんて言ったの?処刑?バイロン国民の前で?僕をさらし者にするって?
そんなこと、断じてさせてはならない。イヴァル帝国の威厳が落ちてしまう。そんなことになるくらいなら、自分で命を絶つ方がいい。
僕はゆっくりと左手に力を込める。リアムがジルの胸ぐらを掴んで問い詰めている間に、魔法の力をためる。
所詮、リアムとゼノ以外は僕のことを知らない。僕はただのイヴァル兵で、殺すべき相手なんだ。それを生かして連れて来たあげく、第一王子が襲われゼノを傷つけられたのだから、見せしめにしないと怒りがおさまらないのだろう。
僕が左手を上げようと動かしたその時、ジルが叫んだ。
「リアム様!敵に情けをかけてはなりません!この者達に斬られたゼノが、リアム様が宿を出てすぐに息を引き取ったのですよ!」
「なんだと?」
「…うそだ」と呟き、僕は震えた。