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番外編⑫ 衛宮邸、今日も余白ごはん
― 返事の庭と一日英霊食堂 ―
神杯戦争は終わった。
黒い杯は砕かれ、願いは畑へ還り、返事の庭には芽が増えた。
冬木には平和が戻った。
戻った、はずだった。
「士郎」
朝の衛宮邸。
台所で味噌汁をかき混ぜていた士郎は、居間から聞こえてきた凛の声に振り返った。
「何だ、凛」
「落ち着いて聞いて」
「その言い方で落ち着けたこと、一回もないんだけど」
凛は宝石板を抱えたまま、やけに真剣な顔をしていた。
その横には、ミライが記録帳を開き、ユイが不安そうに庭の方を見ている。
イリヤは卵を抱えていた。
なぜ卵を抱えているのかは分からない。
いや、衛宮邸では分かる気もした。
凛は言った。
「返事の庭で、異常発芽が起きたわ」
士郎は菜箸を置いた。
「また敵か?」
「違う」
凛は宝石板を見せた。
そこには、返事の庭の中央に新しい芽が出ている様子が映っていた。
その芽には、小さな札が立っている。
ミライの字で、こう書かれていた。
“ごはん食べたい芽”
士郎は黙った。
凛も黙った。
メディアは縁側でお茶を飲みながら、遠い目をしていた。
「……何だそれ」
士郎がようやく言うと、ミライが淡々と説明した。
「願望本文を解析しました。内容は、食卓、温かいもの、もう一口、甘い卵焼き、味噌汁、おかわり、などです」
イリヤが卵を抱きしめたまま言う。
「つまり、お腹空いてるんだよ!」
ユイがこくこく頷く。
「返事、必要」
士郎は頭を抱えた。
「願いの畑から、ついに食欲が芽吹いたのか……」
メディアが湯呑みを置く。
「平和でいいじゃない。世界を滅ぼす願いより、よほど扱いやすいわ」
凛は疲れた顔で言う。
「扱いやすいかどうかは分からないわよ。問題は、この芽が出た瞬間、願録聖堂の送別頁が一斉に反応したこと」
士郎は嫌な予感がした。
「送別頁ってことは……」
その瞬間、庭の方から鈴の音がした。
ちりん。
続いて、聞き覚えのある声。
「シロウ。この香りは、朝食ですか?」
士郎は固まった。
台所の入口に、青い騎士が立っていた。
アルトリア・ペンドラゴン。
その隣に、赤い外套の男。
「まったく。座から一時的に呼び戻された理由が食事とはな」
エミヤ。
さらに庭から豪快な笑い声。
「はっはっは! 宴か! ならば征服王を呼ぶのは当然であろう!」
イスカンダル。
ユイの後ろにはジャンヌが微笑み、縁側にはクー・フーリンが寝転がり、ギルガメッシュとエルキドゥがなぜか庭の果物籠を物色していた。
凛が震える声で言った。
「一日限定……英霊ごはん再召喚……」
士郎は味噌汁の鍋を見た。
米の量を見る。
人数を見る。
もう一度、米を見る。
「……炊飯器、追加で回すか」
◆
衛宮邸は、朝から大騒ぎになった。
「セイバー、座って待ってろ。手伝うなら皿を並べてくれ」
「承知しました。皿を並べればよいのですね」
アルトリアは真剣な顔で皿を持った。
そして五秒後、皿を二十枚並べていた。
「多い! まだそこまで作ってない!」
「ですが、イスカンダル殿が三十枚は必要だと」
「征服王基準で食卓を作るな!」
居間では、イスカンダルが麦茶を掲げていた。
「朝から乾杯だ!」
エルメロイⅡ世は召喚されていない。
そのため、誰も止められない。
凛が代わりに怒鳴った。
「朝食前に宴会始めない!」
「む、厳しい娘だ。だが良い声だ!」
「褒めてもダメ!」
クー・フーリンは縁側で焼き魚を見ていた。
「お、いいじゃねえか。魚は任せろ」
士郎が振り返る。
「ランサー、料理できるのか?」
「焼くだけならな」
五分後。
魚は完璧に焼けていた。
士郎は少し悔しそうだった。
「……上手いな」
「へっ、槍も魚も、焼き加減が大事ってな」
「槍は焼くものじゃないだろ」
一方、イリヤはアルトリアのために卵焼きを焼いていた。
「セイバー、今日のは甘めだよ!」
アルトリアの表情が柔らかくなる。
「ありがとうございます、イリヤ。楽しみにしています」
イリヤは嬉しそうに卵液を流し込む。
その横でギルガメッシュが腕を組んだ。
「甘めと言ったな」
イリヤは半目で見る。
「英雄王も食べたいの?」
「王が味見してやると言っている」
「素直じゃないなぁ」
エルキドゥが隣で微笑む。
「ギル、楽しみにしてるんだよね」
「エルキドゥ」
「うん?」
「余計なことを言うな」
ギルガメッシュはそう言いながら、ちゃっかり一番良い席に座った。
◆
ユイはジャンヌと一緒に味噌汁をよそっていた。
「これ、温かい返事?」
ユイが尋ねると、ジャンヌは優しく頷いた。
「ええ。きっと、とても温かい返事です」
「じゃあ、こぼさないようにする」
「はい。ゆっくりで大丈夫ですよ」
その隣でミライが記録している。
「味噌汁配膳行為、応答実践訓練として有効。ユイ、配膳技能上昇」
エミヤがその記録帳を覗き込む。
「配膳技能まで記録するのか」
ミライは真顔で頷いた。
「重要です」
「否定はしないが、項目が細かすぎる」
「エミヤ、壁際待機技能、高」
「それは記録しなくていい」
凛が横から言う。
「むしろ記録しておきなさい、ミライ」
「遠坂」
「何よ、アーチャー」
「いや、何でもない」
凛は少しだけ得意げに笑った。
その表情を見て、エミヤは小さく息を吐いた。
悪くない。
そう思ったが、もちろん言わなかった。
◆
朝食が始まった。
衛宮邸の居間は、明らかに定員を超えていた。
アルトリアは姿勢よく座り、イリヤの卵焼きを口に運ぶ。
「……美味しいです」
イリヤの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと!?」
「はい。以前よりさらに上達しています」
「やった!」
ギルガメッシュも卵焼きを食べる。
しばらく無言。
全員が見守る。
ギルは静かに箸を置いた。
「悪くない」
イリヤが小さくガッツポーズをした。
「英雄王の悪くない、いただきました!」
エルキドゥが拍手する。
「すごいね」
「騒ぐな」
「でも、ギルが褒めた」
「褒めてはいない」
「悪くない、はかなり褒めてる」
「黙れ、友よ」
士郎は味噌汁を配りながら、ふと笑ってしまった。
うるさい。
居間はうるさい。
イスカンダルはおかわりを要求し、クーは焼き魚の骨取りが妙に上手く、ジャンヌはユイに箸の持ち方を教え、ランスロットはアルトリアの斜め後ろでなぜか直立していた。
士郎はランスロットを見る。
「座って食べないのか?」
ランスロットは真剣に答える。
「王の背後を守るために」
アルトリアが静かに言った。
「ランスロット。座りなさい」
「しかし」
「座りなさい」
「……はい」
ランスロットは正座した。
イリヤが小声でユイに言う。
「すごい。セイバーの一言で座った」
ユイも小声で返す。
「王様つよい」
ミライが記録する。
「ランスロット、王命による着席成功」
ランスロットは少し恥ずかしそうだった。
◆
食後。
事件は起きた。
返事の庭から、また鈴の音が響いた。
ちりん。
凛が即座に宝石板を見る。
「今度は何!?」
ミライが解析する。
「ごはん食べたい芽、満足反応。新規派生願望を確認」
士郎は嫌な予感がした。
「派生?」
ミライは淡々と読み上げる。
「願望本文。おやつも食べたい」
沈黙。
次の瞬間、ギルガメッシュが立ち上がった。
「菓子ならば我の蔵に――」
凛が即座に止める。
「宝物庫から謎のお菓子出さない! 年代物すぎて怖い!」
イスカンダルが笑う。
「ならば宴の第二部だな!」
クーが縁側から言う。
「団子とかねえの?」
アルトリアが士郎を見る。
「シロウ。おやつとは、食後に必要なものなのですか?」
士郎は真面目に考えた。
「必要かどうかで言うと、まあ……今日は必要だな」
凛が頭を抱える。
「士郎まで乗るの!?」
イリヤが元気よく手を挙げる。
「私、ホットケーキ食べたい!」
ユイも小さく手を挙げる。
「私も」
ミライも記録帳を閉じて、なぜか手を挙げた。
「味覚データ収集のため、参加希望」
メディアが呆れたように言う。
「結局、全員食べるのね」
士郎は腕まくりした。
「じゃあ作るか。ホットケーキ」
アルトリアの目が輝いた。
「ほっと、けーき」
エミヤが横で呟く。
「……また台所が戦場になるな」
凛はため息をついた。
「もう好きにしなさい」
◆
午後の衛宮邸。
ホットケーキ作りは、予想通り混沌とした。
イスカンダルは巨大な一枚を作ろうとしてフライパンの限界に挑戦した。
クーはなぜかひっくり返し技術だけ異様に上手かった。
ギルガメッシュは蜂蜜を黄金の器で出そうとして、凛に没収された。
ジャンヌは綺麗に焼けた一枚をユイに渡した。
ランスロットはアルトリアの皿へ完璧な角度でバターを置き、また王に「普通に食べなさい」と言われた。
エルキドゥは生地の感触が面白いらしく、しばらく混ぜ続けていた。
エミヤは文句を言いながら、結局一番綺麗なホットケーキを焼いた。
凛はそれを見て言った。
「アーチャー、こういうの上手いの腹立つわね」
「不満なら食べなくていい」
「食べるけど」
「そうか」
凛は一口食べて、少しだけ目を丸くした。
「……美味しい」
エミヤはそっぽを向いた。
「当然だ」
その横で士郎が自分の焼いたホットケーキを見ていた。
少し焦げている。
アルトリアがそれを見つけた。
「シロウ、それは?」
「ああ、ちょっと失敗したやつだ。俺が食べる」
「いただいても?」
「え? 焦げてるぞ?」
アルトリアは静かに言った。
「失敗も、時間の一部でしょう」
士郎は一瞬黙った。
そして、笑った。
「じゃあ、半分な」
「はい」
焦げたホットケーキを二人で分けた。
甘くて、少し苦い。
でも、悪くなかった。
◆
夕方。
英霊たちの一日限定再召喚は、終わりに近づいていた。
庭に、星の門が薄く開く。
朝のような大騒ぎはない。
けれど、前の別れほど重くもない。
アルトリアは士郎の前に立った。
「シロウ。今日も、ごちそうさまでした」
「ああ。また、いつか」
「はい。また、いつか」
エミヤは凛へ視線を向けた。
「遠坂」
「何?」
「ホットケーキの焼き方くらい覚えておけ」
凛はむっとする。
「覚えるわよ。次はあんたより上手く焼く」
「期待しないでおく」
「期待しなさいよ!」
エミヤは少し笑った。
「では、少しだけ」
イスカンダルは大笑いしながら帰っていく。
「次は夕食まで呼べ!」
クーは魚串を肩に担ぐような仕草で言う。
「次は酒も欲しいとこだな」
凛が即座に怒鳴る。
「未成年いるからダメ!」
「へいへい」
ジャンヌはユイの頭にそっと手を置いた。
「温かいものを、また一つ知りましたね」
ユイは頷いた。
「うん。ホットケーキ、温かい」
ミライが言う。
「甘味応答、好評」
ギルガメッシュは最後にイリヤを見た。
「卵焼き、次はさらに甘くせよ」
イリヤは腰に手を当てる。
「注文多いなぁ、英雄王」
エルキドゥが微笑む。
「でも、楽しみにしてるってことだよ」
「エルキドゥ」
「うん?」
「帰るぞ」
「はいはい」
ランスロットはアルトリアの後ろに控えようとして、彼女に見られた。
「ランスロット」
「はい」
「次に来た時は、最初から座って食べましょう」
ランスロットは深く頭を下げた。
「……承知しました」
星の門が閉じていく。
最後に、アルトリアが振り返った。
「いってきます」
士郎は笑って返した。
「いってらっしゃい」
今度の別れは、少しだけ軽かった。
寂しくないわけではない。
でも、寂しさの中に、今日食べたホットケーキの甘さが混ざっていた。
◆
夜。
衛宮邸は静かになった。
だが、完全な静寂ではない。
台所には洗い物の山。
居間にはイスカンダルが勝手に置いていった麦茶の瓶。
庭にはギルガメッシュが「王の許可を得た果物」と言い張って残した謎の高級果実。
縁側にはクーが忘れていった魚串。
凛はそれを見て言った。
「……後片付け、明日までかかるわね」
士郎は腕まくりした。
「今日中にやる」
メディアが即答する。
「嫌よ。私は帰るわ」
桜が笑う。
「私、手伝います」
メドゥーサも静かに頷く。
「私も」
イリヤは眠そうにしながら言った。
「私も……ちょっとだけ……」
ユイはお皿を一枚持った。
「私、運ぶ」
ミライは記録帳を開く。
「後片付け技能、実践開始」
凛はため息をつきながら、袖をまくった。
「仕方ないわね。やるわよ」
士郎は笑った。
「助かる」
返事の庭では、ごはん食べたい芽が満足そうに揺れていた。
その隣に、新しい小さな芽が出ている。
ミライが後で確認したところ、願望本文はこうだった。
またみんなで食べたい。
士郎はそれを聞いて、少しだけ笑った。
「それなら、また作るしかないな」
凛が呆れたように言う。
「また英霊食堂やる気?」
士郎は台所の方を見た。
「まあ、一日くらいなら」
イリヤがぱっと顔を上げる。
「次はカレー!」
ユイも手を挙げる。
「カレー、知りたい」
ミライが記録する。
「次回候補、カレー回」
凛は頭を抱えた。
「シリーズ化しないで!」
メディアが縁側から言う。
「もう手遅れじゃない?」
士郎は笑った。
神杯戦争は終わった。
けれど、平和な騒動は終わらない。
願いは燃えず、記録は閉じず、声は黙らない。
そして衛宮邸では、明日もきっと誰かが言う。
お腹空いた、と。
そのたびに士郎は、少し呆れながら台所へ立つのだろう。
番外編⑥
「衛宮邸、今日も余白ごはん」
おしまい。
コメント
1件
もう番外編でここまで心温まるの反則じゃない?!😭💕 朝から英霊大集合の食堂騒動、めちゃくちゃ楽しかった!特にギルがイリヤの卵焼き食べて「悪くない」って言ったシーンはエルキドゥのフォローも含めて最高に尊かった…🥺✨ アルトリアと士郎が焦げたホットケーキ分け合う場面とか、「失敗も時間の一部」って台詞がじんわり沁みたよ…。最後の「またみんなで食べたい」芽にはもうね、涙腺崩壊しかけた😭 聖杯さん、こんなに優しい余白をありがとう…!次はカレー回希望!!(凛が怒りそうだけど笑)
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