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首を吊った蓼原仁美(たではらひとみ)の死体が、東雲一花(しののめいちか)の目の前でゆらゆらと揺れている。
仁美は子供っぽい趣味があって、彼女の部屋の壁や床や天井は、女の子向けのキッズスペースのようにファンシーな装飾でDIYされている。
そして部屋には絵本やクマのぬいぐるみや赤ちゃんの抱き人形なんかが飾られていた。
そんなメルヘンチックともいえる部屋の中で、
首を吊った仁美の死体だけが、異質で非現実的に感じられた。
『一花ちゃん、私、もうダメになっちゃった――』
『一花ちゃん、私が夢を押し付けちゃったせいで、たくさん傷つけちゃって、ごめんね』
『最後に一度だけ、一花ちゃんの声、聴きたかったよ。ごめんね、一花ちゃん――』
それが仁美からの最期の電話。
私が仁美の家にたどり着いたときには、もう手遅れだった。
「ああ……! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ひとみいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! 仁美! 仁美! 仁美! 仁美! 仁美いぃぃぃぃぃぃぃぃ! いやだ! いやだいやだいやだ! いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
『もし一花ちゃんとやり直せるなら――』
『今度は普通に恋がしたいな』
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
私は悲鳴を上げて飛び起きる。
「は――、は――、は――!」
あえぐように荒く呼吸して、少しずつ私は落ち着きを取り戻す。
気付けばびっしょりと汗をかいている。
「この夢、いつまで見続けることになるんだろう」
デスクの上においてある、カセットテープがおいてある。
それは仁美の死後、彼女から私宛に郵送されてきた仁美のカセットテープだった。
テープには「HITOMI’s MEMORY」と書かれていた。
「……………………」
私はその中身を聞くべきかずっと躊躇っていた。
でも家にはラジカセもないし、私は結局、決心がつかずにそのままにしていたのだ。
きっと、仁美を通じて、私の汚い心の内側を垣間見る羽目になる。
私が仁美を追い詰めてしまった事実。
それだけでなく、私が他の人に一番知られたくないことまで、なにもかも全て……。
私は仁美のカセットテープを、デスクの棚の一番奥にしまった。
自室を出てリビングに降りると、父さんと母さんがお出かけの準備をしていた。
「おはよう、父さん、母さん」
「あら、ずいぶん早いわね」
「うん、早く目が覚めちゃって」
「一花、今日は学校には行けそうかい?」
「はい、今日から行きます」
「そうか。蓼原くんの残念だけど、一花がそんな風だと彼女も天国で悲しむだろうからね」
「……………………」
余計なことを言う父に、私は分からないようにため息をついた。
私は話を逸らす。
「父さんと母さんはもうお出かけ? 早いね」
「そうなの。お父さんのお仕事、ちょっと忙しくなりそうでね。だから母さんもしばらくそれに付き添わないといけないの」
「そうなんだ」
父さんは銀行の幹部、社内結婚した母さんは現在父の秘書だ。
だから父さんが忙しくなると、一緒に母さんも忙しくなってしまう。
二人して数日不在なのもしょっちゅうだった。
「僕たちがいない間も勉強は忘れないように。じゃあ、もう僕たちは行くから」
「あ、ご飯だけど、自由に出前とか取っていいから」
「うん、分かった」
そう言って私は両親の外出を見届けた。
両親がいなくなったことで、私は一人きりになる。
しんと静まり返ったリビングに寂しさを覚えたので私はテレビをつけ、お母さんが出かける前に作ってくれた食事を口にする。
焼き魚の身をほぐして口に運んでいると、ニュースが始まり、耳にしたくない話題が入ってきた。
『蓼原仁美さんが自殺でなくなってから、ちょうど一週間が経過しました』
『蓼原仁美さんは私立埼玉白百合高等学校の3年生。新人声優としてテレビアニメへの出演が決まったばかりでしたが、一週間前、自宅で自殺しているのが発見されました』
『蓼原さんは子供の頃に両親を亡くし、祖母と二人で生活をしていたとのことです』
『蓼原さんは特に自殺をほのめかすような言動は無く、また遺書なども見つかっていません』
『しかし争った形跡などもないことから、警察は事件性はないものとして自殺と判断したものです』
『コメンテーターの橋渡さん、いかがでしょうか? 新人声優として注目されていた――』
まだやってるのか。
私はチャンネルを変えるが、他のチャンネルでもいまだに仁美の自殺について取り扱っている。
私はテレビを消した。
「ごちそうさまでした」
いないお母さんに向かって挨拶すると、私は時計を見た。
いつもよりも早く起きてしまったためか、登校までずいぶん時間に余裕があった。
そういえば寝汗が酷い。シャワーでも浴びるかな。
「はあ……」
私はお湯を全身に浴びる。
温かいお湯が全身にかかり、ねっとりとまとわりつく汗を洗い流してくれた。
「一花ちゃん」
「――――――――ッ!?」
何かの気配を感じて、私は振り返る。
しかし当然ながらそこには誰もいない。
「今のはさすがに気のせい? 私が気にしすぎているせい、かな?」
シャワーを浴び終えた私はドライヤーで髪の毛を乾かし、そのまま身支度を整える。
道路を車が走る音、そして小さな子供たちがキャッキャッとはしゃぐ声も聞こえてくる。
一週間も家に閉じこもっていた反動だろう、だんだん私は外のにぎやかさが恋しくなってきた。
私は支度が整うなり、そのまま家から出た。
とりあえず学校へと向かう通学路を歩いているものの、とはいえ、さすがに出るのが早すぎた。
このままもう学校に行ってもいいのだが、少しだけ迷いが生じた。
「仁美……」
私は自分の気持ちに従い、私は仁美の家へと向かう事にした。
私は道の途中でお花を買い、仁美の家の前までやってきた。
仁美は両親を亡くしていて、祖母と大きな館で二人で暮らしていた。
年季を感じさせつつも、立派な洋館が目の前にある。
玄関口までやってきてふと足元を見ると、お供え物や献花が手向けられていた。
多分、私が引きこもっている間に、学校の友達がそなえたのだろう。
私は買ってきた花を手向けると、目をつむって手を合わせた。
「仁美……」
「一花ちゃんの声、カワイイ♪」
「――――ッ!」
耳元に声が響いて、私は反射的に目を見開いて振り返る。
だがそこには誰もいない。
「だ、誰!? 誰かいるの!?」
ガラガラガラガラガラガラ……♪
「え?」
まるで飴玉がぶつかりあって奏でるような音が反響する。その瞬間――、
「あ――――――――」
激しいめまいに晒され、私の視界がぐらりと揺れた。
一瞬だけ意識が遠のき、私は思わずその場に座り込んでしまった。
(誰?)
一瞬だけ、靴のようなものが見えた気がした。
だがめまいが酷くて頭を動かすことができない。
「――――ッ!」
突然視界が真っ暗になる。
だがそれはめまいのせいではない。
何か手のようなもので視界が覆われているのだ。
「かわいいなぁ♪」
「いやっ――ッ!」
めまいを振り払って、私は恐怖に駆られて飛び跳ねた。
だが、そこには何もないし誰もいない。
辺りを見回すが、人影はどこにもなかった。
「うそ、でしょ? 今のも夢?」
ざああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……と、冷たい風が吹き抜ける。
そして、ふと私の手に”ソレ”が握られていることに愕然とした。
「なんでこれが……」
それはオモチャのガラガラ。
ラトルという名前の、赤ちゃんをあやす時に使う音の鳴るオモチャだ。
女の子向けのピンク基調のデザインで、ウサギのキャラがプリントされている。
「いやっ!」
私はそれを投げ捨てた。
もうこれ以上この場にいたくなくない。私は急いでその場を立ち去った。
朝から何か変な事ばかり起きている気がする。
気のせいかもしれないが、もうこれ以上一人でいるのはイヤだった。
私が学校につく頃にはもうそれなりに生徒たちが登校していた。
教室にたどり着くと、親友のほうから声をかけてくれた。
「あ、一花じゃーん、おはよー♪」
「あ、うん。おはよう」
神楽京子(かぐら きょうこ)の快活な声に私はほっとして、ようやく緊張が抜けて顔がほころんだ。
教室は、活気のある女の子たちのにぎやかな声で満たされていた。
久しぶりに感じる快活な女の子たちの声のおかげで、先ほどまで自分の心を支配していた、得体のしれない薄気味悪さはどこかに消えてしまった。
鬱積してたものが心の中から一気に洗い落とされた気分だ。
(あ、そっか、もしかしたら、一週間も引きこもってたせいで、私がおかしくなっていただけかも)
「フフッ♪」
「どうしたの一花? 急に笑ったりして」
「あ、うん。なんかすごく久しぶりだからさ、学校来るの」
「いやホントに久しぶりじゃん、もういいの?」
「うん、もう大丈夫」
「一週間も病気が長引くなんて大変だったよねー。季節外れのインフル?」
え?
そんな質問をされて、私はきょとんとする。
「え? あの、その……え?」
京子の言ってることに私は困惑する。
「……ねぇ、知らないわけないよね?」
「え? だから一花、インフルにかかっちゃったんでしょ?」
「そうじゃなくて、だから、その、仁美のこと……」
陰鬱に話を切り出す私とは対照的に、京子の調子はとても軽いものだった。
「あ、そうそう。仁美ねー、あの子も大変だよねぇー」
「そんな、大変なんてもんじゃ――」
「仁美もなんか風邪ひいたじゃん。アンタと同時だったから二人でズル休みして遊びに行ってるのかと思った」
え――?
私は目を丸くする。
風邪? ズル休み? 旅行?
さっきから何かがズレているとは感じていたが、まったく話がかみ合っていない。
仁美はクラスメイトだ。
仁美が死んだのはみんな知ってるはず。
テレビでさんざんニュースになって、ネットでも騒ぎになっていた。
ふとクラスを見渡す。
最初はクラスの活気が居心地よくて、何も思わなかったが……、
でも、あまりにもいつも通り過ぎる気がした。
まだ仁美が死んでしまってから一週間程度しか経っていないはずなのに……。
「ね、ねえ、さっきから何を言ってるの?」
「一花こそ何言ってるの? もしかしてまだ風邪治ってない?」
「ちょ、ちょっと待って……」
私はあわててスマホを起動させる。
「蓼原仁美」で検索すればネット記事くらいすぐに出てくる。
それを見ればどっちの言っていることがおかしいかはすぐに分かるのだ。
私はブラウザを開いて「蓼原仁美」と入れようとすると――、
「あ、仁美じゃーん。久しぶりー」
「――――ッ!」
私の手からスマホが落ちる。
「…………仁美?」
呆然とする。
そこにいたのは、確かに私が知っている蓼原仁美だった。
「おはよー」