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夜。スマホの画面を伏せたまま、玲央菜は薄暗い部屋にひとり座っていた。
テレビの音だけが遠くから聞こえる。父親のいるリビングの、乾いた笑い声。
(……うるさいな)
そう思ったとき、ふと頭の奥に沈んでいた過去が、浮かび上がる。
──砂場だった。
幼稚園の帰り、公園のすみにある小さな円のなか。
しゃがみ込んで、黙ったまま、砂をいじっていた男の子。
汚れた制服。整っているけど無表情な顔。
誰とも喋らず、何も言わず、砂だけを見つめてた。
あのとき、彼女の手には、赤いプラスチックのシャベルが握られていた。
なんとなく、それを男の子の肩に向けて──叩いた。
「なんで黙ってんの?」
返事はなかった。
何度か叩いた。少しずつ、力を強めた。
「無視してんの? ねぇ、聞いてんの?」
今なら分かる。
遥は別に無視してたわけじゃない。ただ、どうしたらいいか分からなかっただけ。
でも──
子どもだった玲央菜は、それがたまらなく腹立たしかった。
──気がついたら、泣かせたかった。
泣けばいいのに、泣かない。
怒ればいいのに、黙ってる。
逃げればいいのに、座ってる。
「泣くまでやるよ?」
そう言って、肩を蹴った。
帽子を奪って、水たまりに投げた。
自転車の後ろにくくりつけて引きずったこともある。
それでも、あいつは泣かなかった。
唇をかみしめて、息を殺して、黙っているだけだった。
(──なに、それ)
思い出すたびに、苛立ちと、ざらついた興奮が混じる。
なんで、壊れないのか。
なんで、泣かないのか。
玲央菜は、自分が“暴力的な子ども”だったとは思っていない。
ただ、「壊したかっただけ」。
自分の中の歪みをぶつけられるものが、たまたまあいつだった。
もうひとり──
日下部がいた。
最初は一緒に笑っていた。
遥が倒れて、砂をかぶって、血を流しても、ただ見ていた。
でもいつからか──
日下部は、「あっちを見るようになった」。
玲央菜じゃなくて、遥を。
遥の顔を見て笑って、遥の涙をじっと見つめて──
(……気に入らなかった)
奪われた気がした。
壊そうとしていたのは、こっちなのに。
壊す資格があるのは、自分だけだったのに。
けど──そのうち、気づいた。
日下部が遥に執着しているようで、
実はずっと、自分を見ていたことに。
自分がどう壊すか、自分がどこまでやるか。
自分の指先が遥に触れて、傷がついたところばかりを見ていた。
あいつの興味は、遥じゃない。
遥を“通して見た”自分だった。
それがわかったとき──
玲央菜の中で、遥はもう、“どうでもよくなった”。
けれど同時に、簡単には手放せなかった。
──あいつは、わたしの手で泣かせなきゃ意味がない。
壊れても、壊れきらないその表情。
黙って、噛み殺して、地面に伏せて、それでも「自分は大丈夫だ」と言うその目。
まだ壊れてない。
壊れてないなら、壊す意味がある。
それだけが、玲央菜を繋ぎ止めている。
部屋の中。
スマホが一度、小さく震えた。
画面には日下部の名。
見もしないで、玲央菜は無視する。
どうせ、何も変わらない。
どうせ、あいつも──自分と同じ穴にいるだけ。