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翌朝、私は少し寝坊してしまった。
理由は簡単。
レイにムカムカしすぎて、なかなか寝付けなかったからだ。
(やっばい、急がなきゃ)
制服に着替えて鞄を掴むと、私は急いで階段を降りた。
居間ではけい子さんが朝食を並べていて、伯父さんがテーブルで新聞を読んでいる。
見慣れたいつもの光景。
その中に、見慣れない人がひとり混じっている。
「……おはようございます」
私はなるべく前を見ないようにして、伯父さんのとなりに座った。
伯父さんのとなりが私の席。
そして私の向いの席が、かつては拓海くんの席で、今はゲストの席になっている。
「おはよう、澪。
急がないと遅刻じゃない?」
けい子さんが時計を気にしつつ、トーストを差しだしてくれた。
「そうなの、これ食べたらすぐ行くね」
私が急いで手を伸ばした時、向いで声がした。
『おはよう、ミオ。 昨日はいろいろとありがとう』
その言葉に、パンを掴もうとした手が止まる。
(えっ……)
爽やかな笑顔を向けられ、私はたじろいだ。
昨日あんな態度をとったくせに、今のレイはとても穏やかだ。
(なに、昨日のレイはまぼろし?)
戸惑いながらしばらくレイを観察しても、一向に様子は変わらない。
伯父さんと雑談をかわし、時折けい子さんとも笑い合う姿は、初めて会った時のイメージそのままだ。
いったい……昨日の彼はなんだったの?
急に機嫌が悪くなったのは、疲れのせいだったとか?
いやそもそも、あのレイ自体が白昼夢?
混乱しているところに、けい子さんがコーヒーを飲みながら尋ねた。
『そういえばレイ。今日はどこか出かけるの?』
『あぁ、はい。
東京をぶらぶらするつもりです。もうじきここを出ようかと』
その言葉に、レイの足元に目を向ける。
座った時から、黒のリュックがあるのには気付いていた。
『あぁ、なら澪と一緒に出れば?
駅までの道、まだ覚えてないでしょ』
「えっ」
まさかそう言われると思わず、私は声をあげた。
「なに、澪。どうかした?」
「あ、いや……」
たしかにここから駅までの道は、一度通ったくらいじゃわかりづらい。
だけど、昨日の今日で、レイとふたりって―――。
返事に詰まっていると、向かいのレイと目が合った。
『ミオ、よろしく』
邪気のない笑みを見せる彼に、私はさらに戸惑う。
数秒迷った末に、私は渋々頷いた。
『……わかった、レイ。行こうか』
みんなの前だし、そんな顔をされて断れるはずがない。
「行ってきます」と台所を抜けて、玄関の引き戸をあけた。
この家は伯父さんの生家で、かなり古い家だ。
けど庭がある家なんてこのあたりにはないし、私はこの雰囲気がとても気に入っている。
少し前に伯父さんと剪定した松の木を横目に、門を抜けた。
なんだかんだで、いつもの電車には間に合いそうだけど、あまり長い間レイとふたりでいたくない。
足を速めようとしたところで、ふとあることを思い至った。
(あぁ、でも……)
ひとつだけ、ふたりきりの時にレイに言わなきゃいけないことがある。