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甘夏剤
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🏺と💐 『自由な彼の歌』の前日譚的な
まるんの絵文字ってどれなんでしょう
その日は春特有の陽気な日──というわけでもなく、ロスサントスには珍しく雲行きの怪しい空が広がっていた。
憂鬱な空を見上げながら、花沢まるんは本署の屋上の隅でタバコに火をつける。深く吸い決して軽くはない煙を吐く。空と同じ色の煙を見送りながら、またタバコに口をつける。
なんとなく、嫌なことが続いていた。特別大きな不運があったわけではないが、良いことも無く、それでいて小さな不運が積み重なる。
強盗のチェイス中にジャンプをミスってダウンしたり、食べるつもりのバーガーを落としたり、ひのらんの手違いでプリズン送りにされたりもした。大型中にキャップの手榴弾に巻き込まれてダウンしたり、昨日まで咲いていた道端のたんぽぽが誰かに踏まれていたり。挙げ句の果てには、愛用しているメガネの丁番が壊れた。などなど、エトセトラ。
これらが今日の夜勤から午前の勤務の間に起きたものだから、さしてもの花沢まるんも疲れていた。ひとつの大きな不幸より、こういう塵が積もったときの方が辛いことも少なくないだろう。
また深く吸う。ジリジリと燃え短くなり、フィルターにかかりかけたところで足元に落とす。煙とため息を吐きながら、憂さ晴らしのようにそれを革靴でゆっくり踏み潰した。砂を踏むのと似た感触が靴越しにわかる。
足を退けて現れた、ひしゃげた吸い殻を見下ろして胸がざわついた。
「……だめだなぁ」
まるんの強くどうしようもない正義感は吸い殻のポイ捨てひとつ許さない。今度はため息だけを吐いて、屈んでそれを拾った。ぐしゃりと、携帯灰皿へ押し込む。
鬱蒼としたモヤモヤは晴れる気配がなかった。男は無意識のうちにオレンジ色の箱へまた手を伸ばす。がしかし、どうやら先のが最後の一本だったらしい。指は空を切った。
「最っっ……悪だ……」
まるんはズルズルと壁にもたれて座り込む。何も上手く行っていない現状に参っていた。
ネガティブな言葉が頭を占めていくのが嫌で、また重いため息を──吐こうとしたとき。
「──春のーうらぁらぁのォ〜」
そんな歌声が背後の壁越しに聞こえてきた。透き通るような、深みのある強かな歌声だ。なんだか肩の力が抜けたまるんは、壁に背を預けて目を閉じた。
母国の古い童謡。まるんは一度だけ見たことのある、満開の桜と隅田川の風景がありありと目に浮かぶ。優しい風に桜が舞い、水面が宝石のように輝く。春の匂いを感じた、気がした。
「櫂のーしず〜くも──花ぁと散ィる──フーフフフフン──」
ゆっくりとしたテンポだが、鼻歌と伸ばした音で軽快なリズムを刻み、アカペラというのに華やかだ。学生以来に聞いたまるんだが、アレンジされているのだろうな、と気づいた。しかしとも思えば、続きの歌詞はハミングと声混じりで誤魔化される。
上手いのに歌詞覚えてないのかよ!有名なフレーズじゃねぇの!?まるんは小さく笑う。
それでも、歌詞がわからなくとも、それはそれは楽しそうな歌声だった。某プリンセスに負けず劣らずの明るいそれは、歌詞がわからないことなど関係ないほど美しい。
「──フンたぁーらっ!ズッチャ!」
そんなアイリスアウトのような終わりの声と共に、歌声の主は屋上の扉を開けて飛び出した様だった。
まるんはそこで現実に引き戻された。声の正体が誰なのか知りたい。そんなことを考えるまでもなく、立ち上がったまるんは壁の途切れる方──屋上の扉がある方を見る。
一番に目に飛び込むのは鮮やかなアロハシャツ。焼けた肌に場所とミスマッチなビーチサンダル。背中に背負うは銀色のバット。それはとても見慣れた後ろ姿だった。
「ッええーーーっ!!!!」
「へッ!?」
まるんの叫び声に肩を振るわせたその男が、バットを構えながら振り返る。派手なオレンジに濃いサングラス。うつぼ浦でもない、正真正銘、SGPDの問題児、つぼ浦匠だった。
「な、なななんだ、まるんかよ。急にデカい声出すんじゃねェぜ」
つぼ浦は構えていたバットを下ろす。呆然とまるんはそれを見る。「もう少しで脳天かち割るトコだったぜ。感謝しろよ」なんて言っているが、それどころではなかった。今の歌を、つぼ浦が??こんなこと言うやつが??そんな言葉が脳の中を埋め尽くす。
「…………おう、どうした。喉閉まってンのか?」
いやいやいやいや有り得ないでしょ、特殊刑事課で国家ギャングで、問題児で、ロケラン常習犯なコイツが??あんな綺麗な歌を??見た目だけならただのチンピラなコイツが!?
なにより、まるんは先の歌に魅了されていた。くたびれた心に沁み入る、特別優しいわけじゃないけれど耳あたりのいい自由な砕けた歌い方。それに魅了されていたからこそ受け入れられなかった。
「おーい、魂抜けてんぞ」
脳内が忙しかったまるんは、つぼ浦が話していることに生返事しか返せていない。サングラスの下で目が顰められたが、まるんはそれどころではなかった。
まぁでも悪いやつじゃないし……いっつも変な替え歌ばっかで気づかなかったけど歌上手かったんだな。意外だ。なんかムカつくけど。普段のバット振り回してる姿からは想像出来ないや。あ、そうそうこんなふうに──え?
まるんが気づいたときにはつぼ浦のバットは軌道に乗っていた。横凪ぎのシルバーが近づいてくる。
「ゥオラァ”ッ!!」
「ッッだ!!」
バットがまるんの腹部にクリーンヒットした。
「なんっにすんだよ……」
「おう良かったぜ、魂抜けてたみたいだから戻してやったんだ」
「今は胃の中身を戻しそうなんだけど!」
「おい!汚い話はやめてくれ」
バット片手に佇むつぼ浦を、まるんはアーマー越しに腹を摩りながら見る。このチンピラが歌っていたなど、やはりどうにも納得がいかなかったが、自分で考えたところで埒が明かない。
「……さっきの歌さ、歌ってたのつぼ浦?」
「な、盗み聴きとは感心しねェな!セクハラ罪か??」
「お前が勝手にシャウトで歌ったんじゃん」
はぁぁあ、とまるんは今日何度目かわからないため息をついた。しかし煙を吐くときとは違う、荷の降りた笑い混じりのため息だった。
「それにしても『花』なんて粋な選曲だな、似合わないけど」
「ン?春だぞ、ぴったりだろ」
「いや意味が……。想像以上に単純だったー」
「あ?悪口は良くねェぞ」
「いいや羨ましいんだよ」
「よくわかんねェが良いぜ、オレは最高だからな」
この男が単純なようで単純じゃないことを花沢まるんは知っている。どんな出来事も単純を装って自分のペースに持ち込む彼が、まるんは少し羨ましかった。
唐突につぼ浦がまるんに紙袋を差し出す。食欲を誘われるジャンキーな匂いがした。
「バーガー買いすぎちまったから半分食わねェか?」
いつもと変わらぬ調子でつぼ浦は言った。
「なんかよE5’sのヤツらがオーバーしたとか言って格安で売っててよォ、ンで気がついたら買ってたんだよな」
「それまた乗せられてるな、いくつあんの?」
「35個だぜ」
「ひとクラス分じゃんマジか」
「アーでもさっき食ったのと配ったから減ってるな」
「ああ流石にその数はな、あと何個なの?」
「40個だぜ」
「おい増殖してんじゃねーよ」
つぼ浦はケタケタと肩を振るわせながら、紙袋から箱入りのバーガーを取り出した。「ほらよ」とまるんに紙袋が渡される。“食べる”なんて一言も言っていないが、まるんは有り難く貰うことにした。自分でおじゃんにしてしまったのと忙しさでしばらく何も食べていなかったので。
ガサゴソと袋を開けると、3つの箱があった。これはあと4個まで減らしたんだな、とまるんは再び笑う。
「サンキューな」
「ああ感謝しな。ンじゃ、いただきまァす」
「いただきます」
二人並んで、屋上入り口の壁に寄りかかり少し冷めたチーズバーガーにかぶりつく。ロスサントスでも人気なそのバーガーは出来立てじゃなくとも十分美味しく、それどころか疲れ切った身体はとても喜んでいた。「旨いな」「旨い」なんて中身のない会話や、互いに夜勤や早番にあった事件の話をしながら賑やかに食べる。
立派なグルメバーガーとはいえ、働き詰めの警察官の二人はペロリと一つ目を食べ切る。もちろん、話も空腹もそれだけでは収まらない。二つ目を開封しながら、また話に花を咲かせた。
コンビニ強盗の犯人と竹馬チェイスしていただとか、大型に向かう途中でヴァンダーマーとタイマンして勝った(嘘)だとか。まるんが大型対応で知らなかった、つぼ浦のオモシロ事件の話で盛り上がっているうちに、気づけばバーガーは食べ終わり灰色だった空には青が多くなっていた。存在を主張する太陽がいやに眩しい。
「はーぁ、全く疲れる夜勤だった」
「おう、今日も働いたぜ」
心地よい春風が二人を突き抜ける。淡い桃色の花びらが美しく散り、風に乗って屋上までたどり着いた。本署の駐車場、咲き始めた桜の木をまるんは思い出す。
「今度さ、警察のみんなで花見なんてのもいいかもね」
駐車場にシートや椅子を持ってきて、どんちゃん騒ぎなんて楽しくないわけがない。きっとそれは隅田川の桜景色よりも大切な思い出になるはずだ。
「おー、いいなそれ。オレがロケランぶちかまして盛り上げるぜ」
「ヤだよ、花より爆発なんて冗談じゃない」
「あ?知らねェのか?爆発は春の季語なんだぜ」
「っふはは、某名探偵やめてくれよ」
なによりこの特殊刑事課つぼ浦匠がいる。楽しいに決まっていた。
ふと目についたのは茶髪に浮く桃色の楕円。
「あ。頭、髪に桜ついてるよ」
「……チクショウ、やられたぜ。知らねェとこでマヌケになってンのムカつくな」
つぼ浦が桜の花弁を摘んだ。ゴツいサングラスの下から睨みつける目と、褐色の手には小さすぎる桃色。巨人と人間のようなチグハグに、やっぱりこの男に桜は似合わないな、と苦笑した。
まるんは腕を上に伸びをして、それでも噛み殺せずひとつ欠伸をする。
「じゃ、そろそろ俺は退勤しようかな」
「おう、あとは任せな」
「……」
「おう、あとは任せな」
「…………」
「あ?んだテメェ、また魂抜けちまったか?オレが戻してやるぜ」
「ちょっと!冗談じゃん!!すぐそうやってバット構えんの良くないと思うな!!」
バットを手に近寄るつぼ浦からまるんが逃げると途端に鬼ごっこが始まった。今バットに殴られたらホントにバーガーが出ちゃうだろ!
逃げた先、まるんは屋上扉を開ける。
「お疲れさ、ま……」
バットを担ぐつぼ浦に振り返ってそう声をかけた途中で、あることに気づいた。尻すぼみになった言葉に、「ア」と「ン」を混ぜた声でクエスチョンを浮かべるつぼ浦が首を傾げる。「どうした?帰ンだろ?」
ヘリ人員でもなく、喫煙者でもない。屋上にはまるん以外に人はおらず、事件も起きていないし、ましてや黄昏るようなヤツでもない。この男が屋上に用があるわけないはずなのだ。まるんに会うこと以外には。
「いや、」とまるんは緩く首を振る。
まるんは言及するか悩んだが、それこそ野暮というもの。なにより、そういう畏まったことをこの特殊刑事課が嫌がることは知っていた。他称No.3なだけはあるので。
「南国刑事には太陽が似合うなと思って」
だからお礼に、中々呼ばれない異名で呼んでやった。
半分は、否25%くらいは本心だ。誤魔化し半分、25%は本心、残りの25%は『周りを巻き込んで燃やして照らすコイツはどちらかというと太陽そのもの』なんて笑ってしまうような考え。
サングラスとバットが陽の光に反射して煌めく。フフン、と鼻を鳴らして嬉しそうに南国刑事は胸を張った。
「おう、太陽が似合わねェと南国刑事は名乗れねェからな」
「人呼んでなんじゃなかったか」
「自他共に認めるってやつだぜ」
まるんは目を細めた。青空と太陽が眩しかったので。
名探偵といえばの鼻歌を遠くに聴きながら、まるんは階段を軽い足取りで降る。正しくうろ覚えな歌詞とアレンジに失笑し、無線を手に取った。
「まるん退勤しまーす」
無線を通した仲間と、屋上から響く同期の大きな“お疲れ様”は春うららのように暖かかった。