テラーノベル
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蓮の部屋は静かだった。
時計の針が動く音だけが、わずかに空気を揺らしている。
「……大丈夫? まだ顔赤いままだけど」
ベッドの端に座らされ、莉子は両手を膝に置いたまま固まっていた。
蓮は濡れた髪をタオルで拭きながら、目線だけこちらに寄越す。
「は、恥ずかしいだけ……だから……っ」
体育館で転び、蓮の腕に抱きとめられた直後。
体が熱いのは走ったせいだけじゃない。
あの距離。
あの抱きしめ方。
あの声。
思い出すだけで胸が苦しくなる。
蓮はタオルを置き、ゆっくり近づいてきた。
ソファに座る莉子の前に立ち、目線を合わせるように腰を落とす。
「……触ってもいい?」
その一言に、呼吸が止まる。
「な、なんで……」
「理由、まだ言ってなかったよな」
蓮はゆっくり手を伸ばし、莉子の頬に触れようとする——が、すぐに止めた。
触れたいけど、無理やりにはしない。
そんな迷いが指先に宿っている。
「君に触れたい理由なんて、ひとつだけ」
莉子は喉が震えるのを自覚した。
逃げたいのに、逃げられない。
聞きたくて、怖い。
「……蓮、くん」
蓮は小さく息を吸い、言葉を落とした。
「好きだよ、莉子」
胸の奥で何かが弾けるようだった。
呼吸も、思考も、すべてが真っ白に溶けていく。
「……っ、や、やだ……そんな……」
言葉に反して、頬は熱く、指先はかすかに震えたまま。
蓮はその様子をじっと見つめ、もう一度だけ確認するような声で言う。
「触れてもいい?」
莉子は唇を噛んだまま、ほんの少しだけ頷いた。
その瞬間、蓮の表情が緩む。
優しいけれど、どこか切実で、一度許されたらもう離れられないような目。
指先がそっと頬に触れた。
柔らかくて、温かくて、くすぐったいのに心地よい。
「……あ、」
蓮の親指が、涙の跡のように頬をなでる。
触れられているのはただの肌なのに、それだけで胸がいっぱいになる。
「こういうの、苦手?」
「ち、違う……っ」
「じゃあ、嫌じゃない?」
「……嫌じゃない、けど……」
蓮の指が頬から耳、首の横へとゆっくり滑る。
くすぐったくて、思わず肩が跳ねる。
「……っ、くすぐった……」
蓮はそこで初めて、小さく笑った。
「それ、可愛い」
その声音の甘さに、莉子は耐えられなくなって視線をそらした。
けれど蓮は指を離さない。
むしろ、そっと顎に触れ、顔を自分のほうへ向けさせた。
「逃げないで。ちゃんと見て」
至近距離。
蓮の呼吸の音が耳に触れる。
その気配に、心臓はどうしようもなく暴れる。
「……触れる理由なんて、本当は最初から決まってた」
「……?」
「君に触れたい。
それだけで、もう十分なんだよ」
胸の奥に甘い痛みが刺さる。
拒めなくて、でも、もっと欲しくなる。
蓮の指がもう一度頬を撫でたとき——
次に何が起きるか、莉子はもう分かっていた。
分かっていたのに、抗えなかった。
指先から伝わる温度が、心の隙間にゆっくり溶け込んでいく。
——触れられる理由。
それはもう、嘘じゃなかった。
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