「……日下部、か」
蓮司はもう、確信していた。
それは“疑い”というより、“確認”のようなものだった。
遥の肩が、またわずかに揺れる。
「……ちがう」
即座の否定。だが、視線が泳いでいた。
蓮司は笑った。
「そういうの、嘘つくならもうちょっとうまくやれよ」
教室の喧騒が遠くなる。
蓮司の指先が、遥の前髪を軽く持ち上げる。
「昨日、帰り遅かったもんな。……見てたやつ、いたよ」
遥の喉が、ひくりと鳴る。
「べつに。帰り道くらい、誰とでも──」
「“誰とでも”ね」
蓮司は繰り返す。
その声には、あからさまな“嘲り”が混じっていた。
「じゃあ、俺の前でその“誰とでも”の顔、やって見せろよ」
遥は、言葉を失った。
蓮司は、もう完全に“試しに”入っていた。
遥の反応を確かめるために、わざと指先を口元に触れさせる。
シャツの裾に手をかける。
わずかに、肌が見える。
けれど──遥は、そこで身体を引いた。
ほんの、数センチ。
だが蓮司はそれを見逃さなかった。
「ははっ……マジで、“戻れない”んだな。お前」
低い声。
あからさまに、どこか面白がっていた。
「日下部に何言われたのか知らないけどさ。──あいつ、“壊さない”って言った?」
遥は、唇を噛んで、答えない。
「壊さないから、信用した? ……バカじゃねぇの」
「“壊さない”やつなんか、一番信用しちゃいけねぇんだよ。──お前みたいなやつは、特にな」
その言葉が、遥の胸の奥に突き刺さる。
(ちがう……)
(そうじゃない、って……言いたい)
でも、言えない。
蓮司はもう、遥の顔を覗き込むようにして言う。
「なぁ、遥。──お前、ほんとは誰に壊されたいの?」
「“優しくされた”かっただけなら……それ、ただの夢だよ。そんなもん、現実にはねぇ」
「だったらさ、壊されるなら──ちゃんと、俺にしとけよ」
「中途半端に逃げて、期待して、裏切られて……それで、泣き顔だけ見せんなよ。惨めすぎる」
遥の目が、わずかに潤む。
けれどそれは、泣いているわけではなかった。
ただ、どこにも出口がなくて、どこにも戻れなくて──
“どこにも居場所がない”という事実だけが、心を満たしていた。
そのとき、チャイムが鳴った。
蓮司は遥をじっと見下ろしたあと、ひとつ肩をすくめて言った。
「じゃあ、ちゃんと選べよ」
「──演技を続けるのか、終わらせるのか」
「どっちでもいいけど、逃げるな」
それだけ言い残して、振り返る。
遥はその背中を見送ることもできず、
ただ、座ったまま動けなかった。
喉の奥で、
「どっちもできねぇよ」という声が、つぶやかれていた。