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最近仕事以外で会ってなかったね? 俺以外の人とは結構会ってたみたいだね? 最後にメッセージをやりとりしたのはいつだったか覚えてる? 最近一緒に笑ったのっていつ? 何を話していたって俺たち、ケンカにすらならないね?
二人の間の愛は、今どこにあるんだろう。
いつの間にか二人を埋め尽くしていたたくさんのクエスチョンマーク。だから、俺たちは別れることに決めた。美味しいけど量の少ない料理を、ゆっくり時間をかけて食べながら、たった数杯のワインに酔っ払うまでの間で、そう決めたのだった。
お別れ旅行。
人からは、ばかみたいって笑われるかもしれないけど、俺たちは真面目な顔で別れるための最後の旅行を計画した。
その旅行は、言葉の通り俺たちのわかれ道だった。全ての旅程を終えてしまったら、道はもう交わらない。その後は別々の道を行こうって二人で決めたのだ。
とても不思議な感覚だったけれど、俺たち、俺と照はこの旅行の計画にとても前向きだった。どんなところへ行きたいか、どんなことがしたいか、ホテルは、食事は。まるで別れが待ってるなんて想像もできないくらいに、あれこれ楽しそうなことを考えて話し合った。
時折、照は会話の中で「最後だから」と言った。俺もそれに対して同じように「最後だからね」と答えた。
「最後だから、もう少し高いとこに泊まろうよ」
「そうだね」
「食事も、いいもの食べよう」
「うん、最後だからね」
最後、と口にしてはじめて俺たちは感じたのだ。俺たちが共有しているすべての瞬間が、もう二度と繰り返されることはないのだと。
その旅行へは車で行くことにした。運転は交互にすれば良いと思っていたけれど、きっと始終、照がしてくれるに違いなかった。
その日は、旅行には申し分のない天気だった。晴れ渡っていて、季節もいい。雨が降る心配もなかった。まるで俺たちそれぞれの新しい道を祝福するかのように。
とても、清々しい気持ちだった。
「忘れ物ない?」
「うん、まあ、あったとしても大丈夫でしょ」
俺たちは可能な限り遠くへ行くことにした。照はどう思ったか知らないけど、少なくとも俺は移動する間は理由なんかなくてもずっと隣にいられるから、遠くへ行くのが良いと思ったのだ。照も特に反対はしなかった。阿部がそこへ行きたいなら、そこにしようと言って笑ったのだった。
走り出した車内は、俺たちが別れに向かっているなんて想像もできないくらい明るかった。たくさんの車が連なる首都高を抜けると外の景色が一気に流れはじめる。カーステレオで好きな音楽をかけて、歌って、笑って、俺たちは無邪気にはしゃいだ。
「何? もしかして撮ってんの?」
「撮ってないよ」
「うそつくなよ。スマホ貸して」
「照! 危ないから運転に集中してくれる?」
そんなやり取りがとても幸せで、胸がいっぱいになる。こんな風に笑うのなんて、とても久し振りだった。
多くの旅行者と同じように、俺たちは途中のサービスエリアに寄ってラーメンとソフトクリームを食べてコーヒーを飲んだ。トイレを済ませて、コンビニで水を買い、また車に乗り込む。俺はとても純粋にこの時間を楽しんでいたし、照もずっと笑顔だった。
軽快にハイウェイを走らせていると、ほどなく景色の向こうに海が見えはじめ、視界に真っ青な空が広がった。次第に目的地が近づいてくる。強い日差しに肌が火照る気がした。隣を窺うと、照のこめかみに汗が滲んでいる。寒がりの俺に合わせて車内のクーラーが弱めに設定されていたから、照にとっては少しばかり暑いに違いなかった。クーラーを強めに変えてから、俺はティッシュで照の頬を拭ってあげた。
「ありがとう」
てれくさそうに照がはにかむ。瞬間、ぎゅっと胸の奥を握りしめられたような感覚がしたけれど、俺は気が付かない振りをした。
俺たちはまず、予約していた宿にチェックインすることにした。
「おー、すごいね」
荷物を置きながら、部屋の中をあちこち歩き回ってみる。落ち着いた色合いの調度品で統一された古民家風の室内。ベッドもソファも大きいし、バスルームも広い。
「外の露天風呂いい感じだな」
「景色もきれいだね」
ひと目見て、いや見なくたって、本来はハネムーンなんかで来る場所なのだと思った。きっと、別れるためにここへやって来るカップルなんて俺たちが初めてなんじゃないだろうか。そう思うとなんだか笑えてくる。
そんなことを考えていると照から肩を叩かれて俺は顔を上げた。
「海岸の方行く?」
「うん」
大きな窓から射しこむ日の光に輝く照の頬。優しい眼差し。俺は思わず眩しさに目を細めた。
「俺、吊り橋渡りたいな」
着いてすぐ脱いだキャップを、もう一度被る。
「写真で見たけど、めちゃくちゃスリルありそうだった」
「まじ? 面白そう」
また俺たちは顔を見合わせて笑った。
照は常にトレーニングを欠かさず、きちんとウェイト管理をしているタイプだった。彼はスイーツ男子だったし、ご飯を食べる量も時期によって波がある。今はちょうどツアーが終わったばかりで、体型は普段よりも引き締まっていた。Tシャツに薄手のシャツを羽織った姿は、まるで今が雑誌の撮影中なんじゃないかと思うほどにかっこいい。
こんなにかっこいい人なんて、俺は他に知らなかったし、きっとどこにもいないと思う。
遠くに見える水平線や、吊り橋を歩く照の姿をスマホで撮りながら、俺はぼんやり考えた。どうして俺たちは別れようとしているんだろう、と。
別れると決めた夜のことを思い出してみる。照は何度か「阿部のために」と言った。俺のために、俺たちは一緒にいない方が良いんだって。そんな風に言われたら、俺は何も言えなくなってしまった。
だったら、照のためにはどうしたら良かったんだろうか? 多分俺は聞いたはずだ。「それは照のためにも?」照は少し考えるような仕草をした後「そうだな」と、短く答えた。それから、照がとても優しい顔で微笑んだから、本当に俺たちにとっての最良の選択は別れなのだと思った。
「照、写真撮って」
照へスマホを差し出す。照は何も言わず頷くと、俺から受け取ったカメラモードのスマホを構えた。俺は片手をポケットに突っ込んで自然なポーズをとりながら目線を海の方へと向けた。シャッターの音が聞こえる。照が画面越しにこちらを見ているのだと思うと、また胸がぎゅっと締め付けられた。
俺は別れることに反対しなかった。どちらから言い出したのか今となってはよくわからないけれど、もともと俺たちの関係なんてほとんど破綻しているようなものだったし、照のためになるなら別れても良いと思った。俺のためにはどうしたら良いのか、俺自身はよくわからなかったから、照が阿部のためと言うならそれが良いと思ったのだ。
俺たちが付き合う時には、照は阿部のため、と言っただろうか。
「阿部、何考えてるの?」
「………」
スマホから顔を上げた照に尋ねられて俺は思わず黙り込んでしまった。不思議そうに照が首をかしげる。ややあってから俺は肩をすくめて笑った。
「お腹、空いたなあって」
何が面白かったのか照も声を上げて笑った。
「街の方へ行ってみよう」
「うん…でも、もう少し海を見ててもいい?」
「もちろん」
灯台の向こうの太陽が沈みはじめて、あたりが夕日に赤く染められていく。この景色を2人で見ることも、もうこれが最後なのだと思うとどうしても感傷的になってしまう。
でもふと俺は気が付いてしまった。2人で夕日を見るのは、これが最初だったということに。
俺たちが一緒に過ごした瞬間は多いのだと思っていたけれど、厳密に言えば2人きりで会うことは少なかった。なぜなら、いつでも他のメンバーがいたし、一緒に過ごしたほとんどの時間で俺たちは撮影だったり練習だったり、“仕事”をしていたから。仕事のために2人でいることもあったし、2人でいることが仕事だったこともあった。俺たちはいつでも約束のない関係だった。約束なんかしなくても、顔を合わせることができたから。
次第に俺も照も“約束”の仕方が、よくわからなくなっていた。
何枚か夕暮れの海の写真を撮ってから、俺たちは街の方へ行くことにした。適当に特産品のお店を見て回って、美味しそうなものがあれば買って、その場で食べる。宿で夕食を予約していたので、間に合う時間には帰らないといけなかった。
「阿部、夕飯食べられんの?」
「うん、全然大丈夫」
照はずっと、昔から少しも変わらない優しさで俺のことを気遣ってくれていた。こんな時はたまらなく不思議になる。好きでも好きじゃなくても、付き合っていてもいなくても、照の優しさは変わらないんじゃないだろうか? 考えてもとりとめもないことだった。
「うわっ、すごいごちそう!」
「食べきれないわ、これは」
「うーん、そうだね。明日の分までありそう」
予約していた個室での夕食はとても豪華で、俺たち2人では食べきれそうになかった。それでも照は美味しそうにたくさん食べていて、そんな姿はとてもかわいらしく思えた。それと同時に、俺は自分の中に照に触れたい気持ちと、触れられたい気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
今日は朝からずっと一緒で、隣にいて、たくさん会話して、笑って。嬉しい気持ちと同じくらい、照としたい、と思ってしまった。そういえば俺たちは一体どれくらいしてないんだろう。少なくとも、別れると決めてからはなんとなくそういうことはしなかった。照らしいといえばらしいけれど。
あまりの満腹でほとんどギブアップするように夕食を切り上げる。少しお酒も飲んだ俺たちは、部屋へ戻る間おかしくもないのに笑い合った。照はお腹を擦りながら苦しそうに言った。
「だめだ、もう絶対に何も食べられねぇ」
「照、結構食べたよね」
「阿部もだろ。大丈夫か?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
それよりも、この身体の奥にくすぶる熱の方が厄介だった。お酒でほんのり赤い照の首筋や、Tシャツ1枚になったことで露わになった上腕二頭筋につい目がいってしまう。
うっすらこめかみににじむ汗を、舐めたいと思った。照の大きな手の上に俺の手を重ねて、指と指とを絡めて、照の上で腰を振ったら、どれだけ気持ちよくなれるだろう。
不埒な想像をしながら部屋に辿り着くと、俺はそそくさと照から離れて言った。
「俺、先にシャワーしてもいい?」
「ああ、どうぞ。露天風呂は?」
「後で入る」
ほとんど逃げ込むようにバスルームに駆け込んで内側から鍵をかける。服を脱いでシャワーのコックをひねると、まずはざっと身体を流した。汗でベタついた手足がすっきりする。
「………」
両手で軽く身体を撫でてから、そのままそろそろと下肢へ手を伸ばす。ゆるく立ちあがりかけたそれをそっと握り込むと、じわりと湧き上がる快感に俺は思わず溜め息をついた。
仮にも恋人(この旅が終わるまではまだ恋人のはずだった)と一緒に来た旅行で、ひとり行為に耽る俺はだいぶん頭がイカれてるかもしれないけれど、今夜照が俺を抱こうとしないことは最初からわかっていたことだった。彼が、お別れセックスをするようなタイプじゃないってことは。むしろ、逆だった。きっと照はあの甘く透き通った瞳でこちらを真摯に見つめながら、大切にしたいから、大切に思ってるから今夜はしないよ、とか言いそうだった。
ばかみたいだと思う。大切だろうとそうでなかろうと、照がしたいと思ったらすれば良いだけなのに。
もっとも、照は本当にしたいと思ってないのかもしれないけれど、どちらにしてもそれはいくら考えたってわかりっこないことだった。
「…っ、ふ、あ」
普段優しく眉を下げて微笑む彼が、ベッドの上で余裕なく俺を見つめる様子を思い浮かべながら、右手の動きを速めていく。優しい瞳が、こういう時はきまって獣みたいになって俺を攻め立ててくるのが、たまらなく好きだった。
「…ん、はぁ」
流しっぱなしのシャワーの音が遠く聞こえる。俺は目を閉じて、ただ吐き出すことだけに集中した。
照、照、ひかる…声に出さず名前を呼ぶだけで、身体が熱くなった。もう、二度と彼が俺に触れることはないなんて。だったら、決して忘れないように、こうしてよく思い出しておかないといけないと思った。彼の息遣いや、小さく漏らす低い喘ぎ声、眉を寄せた表情、どんな様子で俺の名前を呼ぶのか、どんな指先でどんな風に俺を触ったか。絶対に、絶対に忘れたくなかった。
「う…ぁ、…っん!」
弾け散る快感。乱れた呼吸を整えながら、襲ってくる虚無感に指先を動かすのすら億劫になる。シャワーに混じって流れていく白濁をぼんやり見つめながら、俺はその時はじめて自分が泣いていたことに気が付いたのだった。
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