テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
まだ陽が沈みきらない夕方、教室はほとんど空だった。窓際に座る遥は、机に肘をつけたまま、無言で視線を落としていた。まるで何かを数えているような目だった。
数席離れた後方──そこに、蓮司はいた。誰も気づかぬほど静かに教室に戻ってきたその足音は、ほとんど空気の振動に近い。彼はさりげなく鞄を置くと、目の前の机に手を添え、ゆっくりとその視線を遥に送った。
その瞬間、遥の背筋が微かに跳ねた。彼の反応を読み取った蓮司は、口元だけで笑った。
「……さっきの、日下部とのやつ。廊下で少し見えたよ」
遥は目を伏せたまま動かない。
「うん、まあ、別に……何も見てないけどね。ああいうの、よくあることだし」
何も見ていない、というその言葉に、何かを埋め込んだような口調だった。
「仲いいんだね、ふたり。なんか、あった?」
遥は首を横に振る。
「ふぅん……」
蓮司は自分の席に腰を下ろしながら、椅子の音をあえて少し大きく立てた。すると、廊下を通りかけていた女子が、ちらりと中を覗いていった。
「ああ、今の子。なんかさ、日下部のこと、ちょっと気にしてるっぽいんだよね。……でも、やめたほうがいいよね、ああいうの」
遥の表情が動く。蓮司は、それを見逃さなかった。
「なんか、そういうの、気持ち悪がられるんだって。“人前でベタベタしてる”とか。“距離感ない”とか。“二人で何かやってる感じがする”って」
声は低く穏やかだった。だが、その言葉は刃のように鋭かった。しかも刃先を遥に向けるのではなく、“遥を通して周囲”に向けるという形で──じわじわと、毒のように広がる。
遥がようやく口を開く。
「……やってない」
「うん。そう思うよ。でも、やってないって、誰が証明できるのかな。ね?」
そのとき、教室の入り口で数人の生徒が顔を覗かせ、何かを囁いてから笑い合い、去っていった。
「……言葉って怖いよね。たとえば、“日下部が最近変わったのは、遥のせい”とか。“あいつら、誰かの悪口言ってるんじゃない?”とか。“誰かに変なことしてる”とか──そういうの、誰かが言い始めたら、どうなるんだろうね」
遥はもう、何も言えなかった。蓮司は椅子を揺らしながら、何気ない顔で呟いた。
「まあ、そうなったとしても……オレ、止められないけどね」
そして、笑った。