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《新聞社・社会部フロア》
深夜零時を過ぎたオフィスに、
キーボードを打つ音だけが点々と響いている。
桐生誠は、モニターに映る原稿を一度閉じ、
冷めかけたコーヒーをすすった。
(アストレアA順調。
犯罪件数、微減。
出社率と出席率も、少しずつ戻りつつある……)
(“いいニュース”なんだけど、
何か大事なものが
机の引き出しの奥に押し込まれたまま、
って感じが消えないな。)
画面の隅で、
メール着信のポップアップが点滅した。
差出人不明。
件名は、短く一行だけ。
『前に渡したものの件』
心臓が、一拍だけ変な鳴り方をする。
(……来たか。)
開くと、
本文はさらに短かった。
『USBの中身を、全部出したい。
会えないか。』
その下に、
暗号のように簡略化された場所と時間。
<明日夜/都内・旧倉庫街の外れ>
桐生は、しばらくスクリーンを見つめたまま動かなかった。
机の引き出しを開けると、
黒い小さなUSBメモリが
薄い封筒に包まれて眠っている。
(Day100~Day96の生ログ、
内部メール、
“一度だけ高めに出た確率”の痕跡……)
(これを表に出すってことは、
“最初に真実を遅らせた人たち”の
首根っこを掴みにいくことになる。)
数秒迷ってから、
指は勝手にキーボードを叩いていた。
『行く。話を聞かせてくれ。』
送信。
ニュースサイトのトップには、
眩しいほど明るい見出し。
<アストレアA、Day50時点でも軌道良好
“プラネタリーディフェンスは順調に進行中”>
その下で、
USBメモリの重さが
いつもより増したように感じられた。
《NASA/PDCOオフィス(ワシントンD.C.)》
壁一面のスクリーンには、
地球とオメガ、
その手前を進むアストレアA、
そして点線で描かれた“もう一本の軌道”。
<First Impactor:ASTRAEA-A
Second Impactor:JAXA-led concept(TBD)>
PDCO主任が、
会議テーブルの資料をめくる。
「……SMPAGからのフィードバックは?」
担当官が答える。
「“二本目のインパクター”については、
日本とESAを軸にした
“プレフェーズA”として
正式に議題に乗りました。」
「ただし、
現時点ではあくまで“コンセプト検討”扱いです。
公表はまだ控えるようにとのこと。」
主任は、
スクリーンに映る数字を見上げる。
〈Impact probability (current):78%
If ASTRAEA-A success (nominal):~10%
If ASTRAEA-A miss/fragmentation:継続検討〉
「一本目がうまくいけば、
世界は“救われた”ストーリーを望む。」
「だが、
その裏で“本当はいつから知っていて、
何をどう出し渋ったのか”を
細かく聞いてくる奴らも出てくるだろう。」
別の職員が苦笑する。
「記者さんたち、ですね。」
主任は肩をすくめる。
「プラネタリーディフェンスは、
“空の石”と戦うだけじゃない。」
「“時間をどう扱ったか”を
後から検証される仕事でもある。」
「初期の確率の揺れ、
ログの取り扱い――
そこに“意図的な遅延”がなかったかどうか、
IAWNとも歩調を合わせて
説明できるようにしておけ。」
アンナ・ロウエルが
画面の端から口を挟む。
「“失敗したらどうするか”も大事ですけど、
“最初に何をどう伝えたか”も
ちゃんと歴史に残りますから。」
主任は小さく笑った。
「だから二本目の矢は、
物理的なロケットだけじゃないってことだ。」
「数字のログも、
責任の所在も、
全部まとめて“防衛”しないといけない。」
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス・プラネタリーディフェンス会議室》
ホワイトボードの隅には、
まだ消されずに残っている走り書き。
<第二インパクター概念
候補名:ツクヨミ/ヤタガラス/ヨアケ…>
若手職員が、
新しいスライドを映し出す。
「PDCOとSMPAGから、
“二本目の矢”の技術的な質問が
いくつか来ています。」
「“アストレアA命中後に
どれくらいの時間差で
日本側を打ち上げれば
有効な追い打ちになるか”とか。」
白鳥レイナは、
手元のノートにペンを走らせながら聞いていた。
「“アストレアAが外した場合”と
“オメガが割れた場合”で
ウィンドウは違うわ。」
「どっちのケースにも
“ギリギリ間に合う線”を
何本か用意しておく必要がある。」
別の職員が、
少し言いにくそうに口を開く。
「……白鳥さん。」
「もし、その……
オメガ発見の初期段階で
“報告の仕方を調整した”とか、
そういう話が
どこかから出てきた場合――」
「JAXAとしては
どう説明するんでしょうか。」
レイナは、
ほんの数秒だけ黙った。
(Day100近くの、
バタバタしたログの山。)
(“観測が足りないから、
とりあえず低めに見ておこう”という
空気がなかったと言えば嘘になる。)
「……観測データそのものも、
確率の計算も、
時間とともに変わるものよ。」
「そこに“悪意のある捏造”があったかどうかは、
きちんと切り分けないといけない。」
「でも、
“結果として警告が遅れた”部分があるなら、
それは科学者の側から
ちゃんと認めるしかない。」
若手は不安そうに眉を寄せる。
「評判、落ちませんか。」
「落ちるわよ。
きっと。」
レイナは、
それでも淡々と言った。
「でも、“隠したまま成功する”より、
“開き直った上で、
それでも二本目の矢まで準備した”って
方がまだマシだと
私は思う。」
「記録も、
ログも、
全部残す。」
「そのうえで、
アストレアAと、
二本目のインパクターと、
それに関わった全員の判断が
どう評価されるかは――」
「未来の誰かに
委ねるしかないわね。」
窓の外には、
薄曇りの空。
その向こうを、
一本の小さなロケットが
見えない軌道で進んでいる。
《東京都内・湾岸の旧倉庫街》
人気のない道路に、
街灯がぽつぽつと立っている。
潮の匂いと、
遠くでトラックが走る音。
桐生は、
指定された倉庫の前で立ち止まった。
「……来たんですね。」
シャッターの影から、
フードを目深にかぶった男が現れる。
頬のこけかた、無精ひげ、
落ち窪んだ目。
Day79、
あの薄暗い路地裏で向かい合った時と
同じ顔――
だが、それよりさらに
疲れが濃くなっている。
「城ヶ崎さん。」
「……どうも。」
声も同じ低いトーン。
けれど今は、
どこか擦り切れていた。
二人は、
倉庫の影に入る。
周囲に人影がないことを
何度も確かめてから、
城ヶ崎が口を開いた。
「ニュース、見てます?」
「アストレアAの?」
「ええ。
“人類の希望”ってやつ。」
城ヶ崎は、
ポケットから煙草の箱を出しかけて、
指を止めた。
「……前に会ったとき、
俺、“世界ひっくり返したい”って
どこかで思ってたと思うんです。」
「“偉い人たちが隠してる真実”を
ぶちまけて、
国も政府も全部揺らして――」
「それ見て
“ざまあみろ”って
スッキリするんだろうなって。」
桐生は、
黙って聞いていた。
「でも、実際は?」
「想像してたより、
ずっと気持ち悪かったです。」
城ヶ崎は、
暗い空を見上げる。
「俺の投稿のあとに出たニュース、
覚えてます?」
「コンビニ強盗、
略奪、
“どうせ終わるから”って理由の暴力。」
「モニター越しにあれ見てて、
“あ、俺は今、
誰かの“日常”を
壊す側に回ったんだな”って。」
「英雄って感じじゃなくて、
ただ吐き気がしました。」
少しの沈黙のあと、
桐生が言う。
「それでも、
あなたが知らせなかったら、
オメガのことは
もっと遅くまで
誰にも知らされなかったかもしれない。」
「それも事実でしょう。」
城ヶ崎は、
苦笑ともため息ともつかない声を漏らす。
「だから“英雄扱い”されてるんですかね。
SNSでは。」
「“#よくやった城ヶ崎”とか
“#真実のリーカー”とか。」
「現実では追われて、
ネットでは持ち上げられて、
どっちも他人事みたいで。」
「だんだん、
自分が何者なのか
分からなくなってきました。」
彼は、
ポケットから
もう一つのUSBメモリを取り出した。
「……本題にします。」
銀色のボディに、
黒い油性ペンで小さく
“DAY100-96_RAW+α”と書かれている。
「前に預けたやつより、
こっちが“本命”です。」
桐生の喉が、
ごくりと鳴る。
「中身は?」
「CNEOSから上がってきた
オメガ観測の生ログ。」
「それと、
JAXA内で共有されてた
“初期の内部メモ”とメール。」
「“衝突確率3%以上”の試算が出たときに、
“とりあえず1%台に収まる解を優先しよう”って
書いてあるやり取りも。」
桐生の表情が、
わずかに険しくなる。
「……数字をいじった、ってことですか。」
「完全な捏造じゃないです。」
城ヶ崎は首を振る。
「観測データの誤差とか、
仮定の置き方で
“複数の解”が出ることはある。」
「その中から、
“報告用に一番マイルドなやつ”を
選んだだけ。」
「“観測を増やせばまた変わるから”
“パニックを避けたいから”って理由で。」
「……それを
“隠蔽”と呼ぶか、“調整”と呼ぶかは
見る側次第ですけど。」
USBを受け取りながら、
桐生は静かに問う。
「あなたは、
それを何と呼びたい。」
短い間のあと、
城ヶ崎は答えた。
「……“遅延”です。」
「プラネタリーディフェンスにとって
一番大事なはずの“時間”を、
自分たちの都合で削った。」
「それが、
どうしても許せなかった。」
遠くで、
パトカーのサイレンが小さく鳴り始める。
二人とも、
反射的に音の方向を見る。
「だから、
“全部出したい”と。」
桐生が確認する。
「今さら出したところで、
オメガの軌道は一ミリも変わりませんよ。」
「分かってます。」
城ヶ崎は、
自分の靴先を見つめた。
「アストレアAは飛んでるし、
二本目のインパクターの話も
裏では動き始めてる。」
「今さら“最初にサボってました”って
暴いたところで、
石は止まらない。」
「でも、
これを埋めたまま
“プラネタリーディフェンスは順調です”って
笑ってるのは――」
初めて、
城ヶ崎の目が
真正面から桐生を捉える。
「少なくとも俺には、
“地球を守ってる”っていうより
“自分たちの体面を守ってる”
プログラムに見える。」
「それは違うって、
誰かが言わなきゃいけない。」
桐生は、
ゆっくり息を吐いた。
「……分かりました。」
「ただ、
これはもう
“炎上させて終わり”の記事じゃない。」
「本物かどうか、
どういう流れで“マイルドな解”が選ばれたのか、
IAWNやSMPAGの説明とも
突き合わせて。」
「“何を責めて、
何を“仕方なかった”と書くのかまで
踏み込まないといけない。」
城ヶ崎が、
口の端だけで笑う。
「面倒くさい仕事、
好きですね。」
「“雑な告発”を書いた記者って、
後で一番叩かれますから。」
桐生も、
少しだけ笑った。
「じゃあ、お互い
嫌われ枠はもう足りてるってことで。」
サイレンの音が
少し近づく。
二人は、
自然と反対方向へ歩き出した。
別れ際、
城ヶ崎が振り向かずに言う。
「桐生さん。」
「もし俺の名前が、
どこかで突然ニュースから消えたら――」
「そのときは、
そのUSBと一緒に
俺のことも記事にしていいです。」
桐生は立ち止まり、短く返す。
「その覚悟ごと、
ちゃんと書きますよ。」
城ヶ崎の背中は、
暗がりの向こうへ溶けていった。
桐生のポケットには、
小さなUSBメモリが一つ。
その中には、
Day100から始まる
“封じられた時間”と、
プラネタリーディフェンスの
“もう一つの顔”が
静かに眠っていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.