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《新聞社・社会部》
昼下がりのフロア。
他部署はゆるく雑談が飛び交っているのに、
社会部だけは
妙に空気が重い。
桐生誠のデスクの上には、
二台のノートPCと、
例の黒いUSBメモリ。
画面には英語のログが
ずらずらと並んでいる。
> CNEOS_OBS_OMEGA_100-96
impact_prob_estimate: 0.032
…
internal_note: “current public value should use lower-bound solution…”
「……やっぱり、
生ログの方は3パーセント台に
何度か触れてる。」
小さく独り言をこぼしたところで、
隣の席から
メガネの若い記者が顔を出した。
「解析、どうです?
“宇宙物理とか無理なんで代わりますよ”って
言えたら楽なんですけど。」
「代わられたら困るな。」
桐生は、
苦笑しながらも
目は画面から離さない。
「……技術部のやつ、
呼んでくるって言ってなかったか?」
「呼びました呼びました。」
そこへ、
情報システム担当の
いかにもエンジニア然とした男が
ノートPCを抱えてやってくる。
「CNEOSの生ログ、見たいって
無茶振りしてきたの、
あなたですよね。」
「悪いな。」
桐生はUSBを示した。
「これが城ヶ崎のくれた“本命”。
オメガの初期観測と、
“マイルドな解を選んだ”っていう
内部メール。」
エンジニアが手際よくデータを開き、
二つのウィンドウを並べる。
左に生ログ。
右に、
各機関へ配布された“公式報告用スライド”。
「……うわ。
分かりやすいくらい
数字の揺れ方が違いますね。」
彼は、
マウスで該当箇所を指した。
「こっち、生ログだと
“impact probability 3.1%〜3.5%”くらいの
レンジが何回か出てる。」
「でも公式スライドでは、
“1%〜最大でも2%前半”に
収まる形でグラフが描かれてる。」
「“ウソ”ってより、
“都合のいい側の誤差だけ使った”って感じです。」
隣から若い記者が
眉をひそめる。
「それって、
“ねつ造!”って
大きく書いていいレベルですか?」
「……そこが難しい。」
桐生は腕を組んだ。
「プラネタリーディフェンスの初動って、
誤差だらけの観測データから
“とりあえずの解”を
ひねり出す作業だ。」
「“可能性が高い方”を採用するのか、
“社会的に落ち着く方”を選ぶのか――」
「どこまでが“調整”で、
どこからが“遅延”なのか、
外側から線を引くのは相当シビアだ。」
エンジニアが、
もう一つのファイルを開く。
> SMPAG_internal_memo_draft
“Need to consider multi-impactor options in case of fragmentation or miss…”
「それ、SMPAGのドラフト?」
「ええ。
ネットに出てたのと照合しましたけど、
ほぼ本物っぽいです。」
「アストレアAが
もし外したり、
オメガが変な割れ方をした場合、
“第二インパクターを含む複数矢オプション”を
検討するって書いてある。」
若い記者が口をはさむ。
「じゃあ、
“初期のもたつき”を
取り返そうとしてる動きも
ちゃんとあるってことですよね。」
「そこを無視して
“全部隠蔽だ!”って
煽るのも違う気がするな……」
桐生は
モニターの隅で
別のページを開いた。
〈IAWN公式サイト:
“私たちの役割は“早く見つけ、
早く知らせること”〉
「IAWNやSMPAGは
“とにかく早く見つけて、
早く世界に知らせる”ための枠組みだ。」
「その裏で、
国内機関が“数字の選び方”で
時間を削ってたとしたら――」
彼は、
USBメモリを見下ろした。
「“最初の数日間、
地球は本来より
目を細めて空を見ていた”ってことになる。」
若い記者が
ぽつりと言う。
「それ、
怖い言い方ですね。」
「怖くなってもらわないと。」
桐生は立ち上がった。
「この前の会合の記事、
もう一回洗い直す。」
「プラネタリーディフェンスって言葉が
“かっこいい横文字”だけで
終わらないようにするために。」
《総理官邸・小会議室》
少し小さめの会議室。
壁には、
アストレアAの現在位置と、
世論調査のグラフが並んでいる。
〈内閣支持率推移/オメガ発表〜Day49〉
Day90の発表で一気に下がり、
暴動・略奪のピークで底を打ち、
アストレアA打ち上げ後
ほんの少しだけ
上向きに戻り始めていた。
サクラは、
グラフをしばらく眺めてから
苦笑する。
「……人の心って、
こんなに分かりやすく
線グラフになるのね。」
藤原危機管理監が、
書類を閉じて言った。
「“希望”という言葉は、
数字を上げる力があります。」
「ですが同時に、
“初動の判断”について
後から検証したがる人たちも
必ず出てきます。」
中園広報官が頷く。
「既に海外のメディアでは、
“オメガは本当に“最初に知らされたタイミング”で
知らされたのか”という
特集記事の準備が進んでいるようです。」
「IAWNやSMPAGの資料を読み込んで、
“この数日間、
本当はもっと早く動けたのではないか”と
指摘する論調もあります。」
サクラは、
ペンを指先でくるくる回した。
(Day100の、
あの最初の報告。)
(“確率はまだ低い。
落ち着いて観測を増やすべきだ”――
そう進言してきた
科学顧問たちの顔。)
(間違いだと思わなかった。
あの瞬間は。)
「……藤原さん。」
「“第三者検証”的なものを
作っておいた方がいいかしら。」
「オメガ騒動が一段落したあと、
“発見から打ち上げまで何があったか”を
外から検証してもらう場。」
藤原は
少し考えてから頷いた。
「いずれ必要になるでしょう。」
「“初動で何をどう判断したか”を
自分たちだけで済ませると、
後世には
“都合よく書き換えた歴史”と
見られかねません。」
中園が補足する。
「“最初に隠していたのではないか”という
疑念は、
プラネタリーディフェンスそのものへの
信頼にも関わる問題です。」
「アストレアAが成功しても、
“次のオメガ”が来たときに
誰も政府を信じなくなったら――
本末転倒です。」
サクラは、
ゆっくり息を吐いた。
「……分かってる。」
「今はまだ
“動いている矢”に集中しなきゃいけないけど、」
「止まったあとに
ちゃんと振り返る約束を
ここでしておきたいわね。」
彼女は
机上のメモに一行書き込む。
『事後検証委員会(仮称)
プラネタリーディフェンス初動の検証』
「未来の誰かに、
“あの時、本当にベストを尽くしたのか”って
問われたとき。」
「“少なくとも、
問いからは逃げなかった”って
言えるようにしておきたい。」
その言葉に、
藤原も中園も
静かに頷いた。
《NASA/PDCOオフィス》
メールの受信音が鳴る。
アンナ・ロウエルは、
モニターに映る
新着メッセージの件名を見て
小さく眉を上げた。
> 件名:初期オメガ観測ログについての問い合わせ(IAWN経由/ジャーナリスト)
「……来たわね。」
本文には、
丁寧な言葉で
こう書かれていた。
〈“オメガ発見当初の
impact probabilityの扱いについて、
公開情報と内部ログの差が
一部で指摘されている。”〉
〈“PDCOとして、
“初期の揺れ”を
どう説明するかコメントを頂きたい。”〉
アンナは、
デスク脇のホワイトボードに目をやる。
そこには
大きく二つの円が描かれていた。
『SCIENCE(科学)』
『PUBLIC(社会)』
その重なり合った部分に、
“planetary defense”と
書き込まれている。
(観測データは、
最初はいつも揺れる。)
(揺れたままの数字を
そのまま出すのか、
“ある程度収まってから”出すのか。)
(どちらにしても
“完全に正しい”とは言えない。)
アシスタントが
顔を出した。
「アンナ、
初期ログ監査のまとめ、
ここにあります。」
「ありがとう。」
アンナは
内部用の報告書をざっと眺める。
〈オメガ初期観測における
impact probability表示の変遷〉
・観測点が増えるごとに
確率は上下し、
3%台に達した瞬間もあった。
・公表時には、
“観測不足による上振れの可能性”を考慮し、
レンジ下限寄りの値で表示。
・結果的に、
短期間ではあるが
“低めの印象”を与えた可能性がある。
(悪意があったとは言えない。
でも、“時間を食った”のも事実。)
アンナは、
返信メールを書き始めた。
〈“オメガの初期観測では、
観測点が限られていたため、
impact probabilityは
数日間大きく揺れました。”〉
〈“その中で、
複数の解のうち
“観測不足による誤差の可能性が低いと判断される値”を
公表用として採用しました。”〉
〈“結果として
“低めに見えた”期間があったことは認めます。”〉
〈“しかし同時に、
内部では“最悪ケース”に基づいた
ミッション検討が始まっていました。”〉
〈“プラネタリーディフェンスは、
“恐怖を煽ること”でも、
“危険を隠すこと”でもなく。”〉
〈“揺れる数字の中から
最も正直なラインを選び続ける、
終わりのない作業です。”〉
打ち終えてから、
彼女は
窓の外の空を見た。
(いつかこのメールも、
誰かの記事の中の
一文になるのだろう。)
(だったらせめて、
ごまかしの少ない言葉を
選んでおきたい。)
送信ボタンを押す。
画面の角には、
アストレアAの軌道シミュレーション。
その少し外側に、
細く点線で描かれた
“Second Impactor”の仮の軌道。
(一本目の矢も、
二本目の矢も。)
(そして、
ログに残された数字の一つ一つも。)
(全部まとめて、
“人類の防衛のやり方”として
未来に残ってしまう。)
アンナは、
椅子の背にもたれ
目を閉じた。
《黎明教団・配信スタジオ》
柔らかな照明の中、
天城セラが
カメラの前に座っている。
背後のモニターには、
ニュースサイトの見出し。
<“オメガ初期ログに“揺れ”?
専門家は“問題なし”と説明>
セラは、
穏やかに微笑んだ。
「最近、“初期の隕石データが
本当はどうだったのか”という
ニュースが少し流れています。」
「専門家の方々は
“問題はない”“調整の範囲だ”と
説明しておられるようです。」
「それが本当かどうか――
私には判断できません。」
「ただ一つ言えるのは、
“数字の出し方”ひとつで
世界は落ち着きを取り戻したり、
パニックになったりする、
ということ。」
画面の向こうで、
視聴者たちが
チャットにコメントを書き込む。
<やっぱり最初は隠してたのかな>
<専門家も政治家も“都合のいい真実”しか出さない>
セラは、
ゆっくり首を振った。
「私は、
科学を敵だとは思いません。」
「宇宙を見つめる人たちが
全て“悪”だとも思いません。」
「ただ――」
「“石”が落ちるかどうかより先に、
“あなたの心に何が落ちているのか”を
見失ってしまう世界は、
少しだけ危険だと感じます。」
「数字が揺れても、
ログがどうであっても。」
「あなたの中で
“この世界はもういいや”と
感じている部分があるなら、」
「それは
オメガとは別の“隕石”なのかもしれません。」
その言葉に、
画面の向こうで
誰かが小さく息を呑む。
“科学への不信”と、
“自分の人生への不信”。
その二つが
静かに混ざり合っていく音がした。
宇宙では、
アストレアAが
今日もPC上の線のとおりに
オメガへ向かって進んでいる。
地上では、
昔のログファイルが開かれ、
そこに書かれた数字たちが
今さらながら
問いかけを始めていた。
あのとき、
何を優先したのか。
何を遅らせたのか。
Day49の地球は、
未来を守るための矢と、
過去を見つめ直すためのログの
両方を抱えたまま、
また一日オメガに近づいていく。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.