テラーノベル
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しばらくの沈黙のあと、ランディリックは小さく息を吐いた。
溜め息というより、考えを整理するための間のようだった。
「……ダフネ」
名前を呼ばれただけで、空気が変わる。皆は一応に〝ダフネ嬢〟と呼んでくれるのに、養父になるとまで言ってくれたくせに、目の前の男――ランディリック・グラハム・ライオールだけはダフネに敬称をつけようとしない。それは、養父としての立ち位置というより、実際にはダフネの名を呼ぶことすら嫌なのではないかと感じさせる雰囲気を持っていた。
(一応私に敬意を払っていると見せかけてはいるけれど、実際には認めてなんていないのよね、この男……)
何となくそう思ってしまったダフネである。
だからこそ、そんなランディリックに自分のワガママを聞かせるのに快感を覚えるのだが――。
先ほどまでの淡々とした距離感とは違う、わずかに重みを帯びた声音に、ダフネは無意識のうちに呼吸を止めてしまっていた。
「お前の言いたいことは理解した。だが、その要求は――私の一存でどうこう出来るものではない」
それは、〝拒絶〟のためのワンクッションのようなセリフだった。
(しかも今、私のこと〝お前〟って言った……)
それは愛情のある〝お前〟ではなく、突き放したものに聞こえた。普通ならば〝キミ〟とか〝貴女〟とかいうものではないだろうか?
ダフネは無意識に唇を噛んだ。
だが、ランディリックはそんなダフネには目もくれず、一瞬だけセレンへと視線を向けるのだ。
それから再び、ダフネへと冷ややかな視線を戻す。
「……セレン公の未来にも関わることだ」
ランディリックの言葉を受けて、セレンの肩がわずかに強張った。
ダフネが
「そんなの……」
――私の貞操を奪ったことを思えば安い代価じゃない!
そう続けようとしたのを封じるように、ランディリックが言葉を重ねてくる。
「ダフネ。それは同時に、お前自身の未来にも影響を及ぼすことだと考えられないのか?」
――愚かな娘め!
言外にそう続けられたような気がして、ダフネは眉をひそめた。
「どういう……意味でしょうか?」
馬鹿な女だと思われていたとしても理由を明確に述べてもらうまでは引き下がるわけにはいかない。
ダフネが探るような眼差しでランディリックを見上げたら、あからさまに吐息を落とされた。
「デビュタントは単なる社交行事ではない。そこに誰と、どの立場で出るかは――その人間の将来を規定する」
言い聞かせるでも、諭すでもない。
ただ事実を並べているだけの口調。
「未婚の女性が特定の男性と並んで公の場に立てば、周囲はそれを〝前提〟として受け取る。そこへペイン邸という、『ひとつ屋根の下で暮らす相手』だという情報が加われば、馬鹿どもは簡単に『一夜を共にしたふたり』なんて噂を混ぜるだろう。火を見るより明らかな流れだよ」
ダフネは口を挟まなかった。
それが何を意味するか、分からないほど愚かではない。
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