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自宅から徒歩20分ほど歩いた先に、敦士が務める広告代理店があった。
高橋として生きていたときは、職場まで電車通勤していたこともあり、満員電車に疲弊せずに職場まで行ける敦士を羨ましく思いながら、その姿を見下ろした。
時折、変な笑顔で場を誤魔化したりと、妙な態度をとることに引っかかりを覚えたが、それ以外は普通に対応していたので、あえて突っ込みを入れずに、そのままやり過ごす。
『家の中では、番人さまと喋るのには苦労しませんが、外に出て意思の疎通を図ろうと思ったら、こうして会話しなければいけないので、意外と大変です』
敦士は話したいことを打ち込んだスマホを、隣で歩いている番人に見えるように動かす。その内容を目にして、思わず微苦笑した。
「確かにそうだな。俺の声はおまえ以外は聞こえないし、姿も見えないのだから。このまま俺に話しかけたりしたら、それこそ周りに心配されるだろう」
自分に告げたことを聞いて、ちょっとだけ微笑む敦士の姿は他人から見たら、奇異に映ると思ったが、あどけない笑顔を見ていたかったので、注意しないことにした。反抗することなく自分に従順な敦士は、番人としての立場から見たら、大変都合のいい人間だった。
このまま悪夢を見られない場合は、簡単に見捨てることも可能な存在――そんな相手なのに、番人の仕事を放棄して会話をしながら一緒に歩いているのは、元の姿に戻るための貴重な時間を使っていることになり、無駄な行動に繋がる。
頭ではそれがわかっているのに、どうしてもやめられなかった。
他の人間とのコミュニケーションがとれないせいだろうが、敦士と交わす他愛のない会話が、心地よいものに感じているのが、要因のひとつになっていた。
(のん気にこうやって、世間話をしている場合じゃない。一刻も早く自分の体に戻らないと、牧野に消される可能性がある。急がなければ――)
気持ちは急くのに、穏やかな時間を過ごしている現状を維持しようとしているのか、体がいうことをきかなかった。
『こうして誰かと通勤したことがないので、なんだか新鮮な感じです。今日一日頑張れそうです!』
微笑みながらスマホを差し出す敦士に導かれるままに、通りに面する大きな建物の中に足を踏み入れた。エレベーターに乗り込み5階まで昇ると、一番奥の突き当りにある薄暗いところに向かった。
「まるでこのまま、物置小屋に連れ込まれるみたいだな」
「ハハッ……。僕を含めてここにいる人たちは、実際のところ会社のお荷物なので、そういうことになるでしょうね」
誰もいないこともあり、敦士が声に出して伝える。おどけるその様子に、番人が眉根を寄せたのを見て、敦士は顔を背けるなり扉を開け放った。
「おはようございます……」
先ほどまでとは違う、覇気のない挨拶をしたあと、すぐそばにあったデスクに駆け寄る。椅子に座りパソコンの電源を入れる姿を、怪訝な顔色を維持して後方から眺めた。
敦士に『会社のお荷物』と称された人数は、全部で6名いた。それぞれが生気のない魂が抜けたような表情のまま、デスクで仕事をしていたのだが――。
(アイツ、スマホの画面を見てニヤニヤしてるなんて、どう見てもおかしいだろ……)
窓際にいる、6名の中で一番年配と思しき男のもとへ近づいてみた。スマホで何を見ているのか確認したところ、マンガを読んでいた。
「始業時間はとっくにはじまっているのに、この男はなにをしてるんだ?」
男に指を差しながら、敦士に訊ねた。すると困惑を表すような弱り切った顔で、力なく首を横に振る。