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「……ぅう」
突然襲ってきた痛みに、ティアは思わずうめき声を上げた。
思わずよろけてしまったけれど、さっきまでティアを支えてくれていたグレンシスは、今はいない。
これからの指示を騎士達にするために、ティアにすぐに戻ると言って離れたのだ。
そのおかげで冷静さを取り戻すことができたけれど、捻挫の痛みまで自己主張し始めてしまった。
しかもティアは、移し身の術を使えば、負傷者の痛みまで引き受けることになる。元反逆者の農夫が負傷した場所は、奇しくもティアが捻挫したところと同じ箇所。
痛みに強いティアとて、これはかなり辛い。自ら選んだ選択なので甘んじて受ける所存だが、そろそろ冷やしたほうがいいだろう。
「ティア、民の傷を癒してもらえて恩に着る」
ティアが、どこか小川はないか探そうとしたその時、隣に立つアジェーリアが、静かに言った。
「……い、いえ。そんな」
王族から恐れ多い言葉を賜ったというのに、ティアは、ごにょごにょと不明瞭な言葉を紡ぐことしかできない。できれば、術には触れて欲しくないのだ。
不気味な呪文。タネのない手品のような光と、変化する瞳の色。
どれをとっても、アジェーリアの度肝を抜くものだっただろう。
グレンシスに気持ち悪いと思われるのも辛いけれど、アジェーリアにそう思われるのもかなり堪える。
それに、一緒に旅をしてきた騎士達だって目にしたはずだ。きっと自分を見る目が変わっているはずだろう。
移し身の術を使ったことは後悔していないけれど、これからの道中を考えると、とても気が重い。
ティアは俯き、小さく息を吐く。その拍子に、柔らかい何かが頬に触れた。
驚いたティアが顔を上げれば、ティアの顎に指をかけ、柔らかく微笑むアジェーリアがいた。
「綺麗な目じゃなぁ。金の瞳など、わらわは初めて見た」
「……っ」
変化した瞳の色が元に戻る時間は、まちまちだ。ティアの意志ではどうすることもできない。
じっと見つめられ居心地悪さを感じたティアは、アジェーリアから顔を背けようとした。しかし阻止されてしまった。
キョドるティアに、アジェーリアはすぃっと目を細めて口を開く。
「さてティア。そなた足がかなり痛むのであろう……グレンシス、手段は選ばなくて良い。手当てをせい」
「はっ」
身の毛もよだつような不機嫌な声が降ってきて、ティアは小さな悲鳴を上げつつ声のする方に目を向ける。
すぐに鬼の形相をしたグレンシスと目が合い、ぶんっと音がする勢いで顔を逸らした。
それにしても、いつの間に戻ってきたのだろう。
あの流れでは、てっきりグレンシスも城塞に戻ると思っていたのに。
そんなことを考えながら、ティアはあらぬ方に目を泳がす。
グレンシスから手当てを受けるなんてご免こうむりたい。
「……い、い、痛くなんてないですよ」
咄嗟に嘘を吐いたが、グレンシスが見逃してくれるはずはなかった。
「お前、あんまり意地を張っていると、痛めた足を握り潰すぞ」
「……ひぃ」
洒落にならない言葉を吐くグレンシスに、ティアは震えあがった。
あまりの恐怖から脱兎のごとく逃げ出そうとするけれど、それよりも先にグレンシスがティアを抱き上げた。それから手近な岩を見つけると、そこにティアを降ろす。
アジェーリアも腕を組み、苦笑を浮かべながら、ティアの近くに移動する。
慌てふためきながら立ち上がろうとするティアを阻むように、グレンシスは膝を付いた。
「腫れ具合を確認させてもらうぞ」
一方的に宣言したグレンシスは、自分の手袋を外すとティアのスカートに手を入れて、何のためらいもなくティアの靴下を一気に脱がせた。
「!!??」
そうされたティアは、驚きのあまり声を上げることもできなかった。
「ほんにまぁ………まるで焼き立てのパンのようじゃな」
「………」
ティアの足を覗き込みながら、アジェーリアは心配を通り越して呆れた顔をする。
反対に、グレンシスはまるで自分が傷を負ったかのように、顔をゆがめた。
ティアの足首は、アジェーリアの言葉通りパンパンに腫れ上がっていた。痛みに強い騎士であっても、平常心など保てない程の状態だ。
誰がどう見ても、痛いはず。グレンシスの眉間の山脈は更に深くなる。
けれど、足の持ち主であるティアの心臓は、臨終寸前であった。
素足、素手、素足、素手、素足、素手、素足、素手。
早鐘を打つ心臓に合わせて、二つの文字がリズム良くティアの頭の中でまわる。
加えて、グレンシスが自分の正体を知ったというのに、不機嫌ながらも変わらず優しくしようとするものだから、本当に、本気で勘違いしてしまいそうになる。いやもう、ガチで。
嬉しさからの急降下は、どれだけ辛いか、この騎士様は知っているのだろうか。
それとも騎士様は、自分を遠回しにいたぶっているのだろうか。なら、もういっそ殺して欲しい。ティアは心の中でそう泣き叫んだ。
口も悪く、肝心な時に言葉が足りず、女性の機微な感情に大変疎い男──グレンシスは、涙目になったティアを見て、それ程までに足が痛むのかと、沈鬱な表情を浮かべる。
「相当痛いだろう」
「………足、汚れますよ」
「構うものか。それよりすぐ冷やした方が良いが……まずは、固定しておいた方が良いな」
「あの……」
「なんだ?」
「騎士様、私の事は良いですので、お仕事をされたほうが───」
「本気で痛い思いをしたいようだな」
「っ!?」
びくりと身体を震わせたティアに、グレンシスは低い声で笑った。
「……冗談だ」
嘘だ。絶対に嘘だ!!と、ティアは心の中で叫んだ。
だって、低い声で笑うグレンシスの目は、全然笑っていない。間違いなく本気だった。
……駄目だ。もう、逃げられない。ティアは自分の運命を悟った。そして───
蛇に睨まれた蛙。まな板の上の鯉。運否天賦にケセラセラ!
腹をくくるために、知っている慣用句だか何だかを心の中で並べ立てながら、ティアはギュッと目を瞑った。
一方、ティアを大人しくさせることに成功したグレンシスは、懐から布を取り出し、器用に足首を固定する。
応急処置は、騎士の基本。だからグレンシスにとっては、これくらいのことは慣れたもの。
けれど、ティアに触れるその手は、壊れ物を扱うような慎重さ。まるで見習い騎士が初めて処置講習を受けるかのように、とてもとても緊張したものだった。