テラーノベル
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卒業式という厳かな儀式が終わり、校内はどこか浮ついた名残惜しさに包まれていた。 制服の胸元に飾られた花を揺らしながら、羽鳥葉(はとり よう)は静まり返った校舎を歩いていた。向かうのは、三年間通い詰めた第3音楽室だ。
「あーあ、ついに卒業しちゃったな〜。忘れ物とか、ないっしょ。……ん?」
いつもの軽い調子でドアノブを回し、部屋に足を踏み入れた瞬間、羽鳥はその場で凍りついた。 静寂が支配しているはずの音楽室には、海幕高校オーケストラ部の部員たちが「全員」、楽器を構えて整然と並んでいた。 中央に立つ現コンサートマスターの青野一(あおの はじめ)が、羽鳥と視線を合わせ、静かにヴァイオリンの弓を構える。 ──ズン、とチェロの低い通奏低音が部屋を震わせた。 続いて、青野のヴァイオリンが綺麗に重なる。紡ぎ出されたのは、あの『カノン』の旋律だった。
「え……。お前ら、なんで……」
羽鳥の戸惑いを置き去りにするように、一人、また一人と、部員全員の弓が一斉に、美しく揃って動き出す。 窓の外に広がる満天の星空を背に、後輩たちも、同級生の滝本かよも、全員が真剣で、そしてこの上なく誇らしげな笑顔で音を重ねていく。何度も繰り返され、次の世代へと繋がっていく瑞々しい音楽の波が、光となって羽鳥に降り注ぐようだった。
「……なんだよ、これ……」
いつもならチャラく茶化して笑うはずの唇が、小さく震える。みんなを照らす一番星(Luminous Star)でいようと、コンマスの重圧を隠して背伸びをしてきた一年間。だけど、違った。照らされていたのは、支えられていたのは、自分のほうだったんだ。 部員たちがひたむきに音を紡ぐその眩しい光景を見つめるうちに、羽鳥の視界はまたたく間に歪んでいった。「ずるいだろ……。そんな顔で、そんな最高の音、一斉に鳴らされたらさ……」
やがて、部員全員による『カノン』の最後の音が、優しく美しい余韻を残して消えていった。 完璧な静寂が戻った音楽室で、羽鳥は涙を拭おうともせず、ただ立ち尽くしていた。
「羽鳥先輩……。俺たちの演奏、届きましたか」
青野が真っ直ぐな声をかける。
「……っ、当たり前だろ。お前ら、腕上げすぎ。コンマスの俺が嫉妬するレベルだし……」
「あはは! 羽鳥が泣いてるの、ウケる。でも、大成功だねみんな!」 滝本がいつも通りにからかうが、その瞳にも涙が浮かんでいた。
その時、開いたままのドアの前に、一人の影が立った。 ずっと後ろで静かに演奏を聴いていた、顧問の鮎川先生だった。
「あ、鮎川先生……!」 部員たちが小さく声を上げる。羽鳥は慌てて顔を背け、涙を拭おうとした。
「あ、先生……お疲れっす。いや、これはその、目にゴミが……」
「……羽鳥」
いつも通りの厳しい声に、羽鳥の背筋が伸びる。鮎川先生はゆっくりと歩み寄り、羽鳥の前に立つと、真っ直ぐに教え子を見据えた。
「三年間、よく頑張った。お前があっちじゃなくてオケ部に専念してくれて良かったよ」
──っ、 かつてはダンス部と兼部し、サボり魔だった自分。そんな自分を信じ、この場所へ繋ぎ止め、コンマスとしてここまで導いてくれた厳格な恩師からの、最高の承認の言葉だった。 言葉を失って立ち尽くす羽鳥の頭に、鮎川先生の大きな手が置かれる。 そして、いつも彼が気にしてセットしている髪を、乱暴に、だけど途方もなく温かく、クシャッと撫で回した。「……ぁ……」 先生の手の温もりに、張り詰めていたすべての感情が決壊した。 羽鳥は、声も出さずに泣いた。 泣き声を必死に堪えるように唇を強く噛み締め、ただ大粒の涙をボロボロと零し続ける。髪をクシャクシャにされたまま、ただ静かに、だけど激しく涙を流す彼の姿を、部員全員が温かい眼差しで見守っていた。
「っ………、、…!ありがとうございました…………。」
窓の外には、彼らの歩んできた輝かしい軌跡を祝福するように、満天の星空がいつまでもきらめいていた。
Fin.
コメント
1件
めっちゃ良かった……! 最後の「髪クシャッと撫でてからの先生の言葉」で完全に持ってかれたわ。ずっとコンマスとして背伸びしてた羽鳥が、音と部員の顔でじわじわ崩れてく流れが美しすぎる。『カノン』で卒業サプライズって最高の演出だし、それに気づいてなかった羽鳥の「ずるいだろ」に全部詰まってた。短いけど密度がすごい。泣ける良い話をありがとうございました!✨