テラーノベル
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神殿の鐘が、何度も鳴り響いていた。祈りを捧げる音ではない。
戦場から、新たな負傷者が到着したことを告げる鐘だ。
「重傷者、三名! 早く担架を!」
「だめだ、傷が深い! 上からさらに布を重ねろ!」
担架に乗せられて運ばれてくるのは、アイリス領の兵だけではない。
ベルシュタイン家の騎士。ウィステリア領から連れてこられた農民兵。敵も味方も関係なく、次々に運び込まれてくる。
「フローラ様! 意識がありません!」
「こっちは腕の骨が折れて……!」
神官たちは総出で治療にあたっていた。けれど、彼らの治癒祈祷でできるのは、軽傷の止血や痛みの緩和が限界だった。
フローラほど強い治癒魔法を使える者は、誰もいない。必然的に、重傷者は、すべてフローラの前へ集められた。
「大丈夫です。すぐに、すぐに治しますからね……!」
フローラはシーツの切れ端で強く押さえ、体重をかけて圧迫しながら、もう片方の手を傷口にかざした。
掌から、柔らかな淡緑色の光が広がる。深い傷が少しずつふさがり、浅かった呼吸が、ゆっくりと整っていく。けれど、安堵する暇はない。すぐに、次の担架が運ばれてくる。
「フローラ様、次を!」
「脈が弱まっています!」
目の前には、助けを求める手がいくつもある。そこへ、年配の神官が苦渋に満ちた声で告げた。
「――フローラ様、ご判断を」
その瞬間、フローラの表情が凍った。誰を、先に治すのか。その判断を、今すぐしなければならない。
「……っ、傷が深い方を、最優先に! 意識があって命に別条のない方は、神官様たちで応急処置をお願いします!」
「承知しました!」
神官たちが一斉に動き出す。フローラは唇を噛みしめ、次の患者へ手を伸ばした。
***
作戦会議を終え、神殿の様子を見に寄った私は、扉を開けたとたん、立ち止まった。
「包帯を!」
「こちらの方は、意識がありません!」
「次の担架、入ります!」
神官たちの張り詰めた声。床には汚れた布が積まれ、神官たちは休む間もなく治癒の祈祷を捧げている。ベッドは、すべて埋まっていた。
「フローラは……?」
私が尋ねると、近くで動いていた神官が、疲れ切った顔を上げた。
「奥に……」
その視線を追った先で、ベッドの前でフローラはぽつんと立ち尽くしていた。
いつもなら、私を見つけた瞬間に「お姉様!」と駆け寄ってくるはずの彼女が、動かない。
両手は、治療の跡で汚れている。
「フローラ……」
名前を呼ぶと、彼女は振り返った。
「お姉様……ごめんなさい。私……助けられませんでした」
フローラの唇が震える。
「まだ息があったんです。まだ、温かかったんです。でも、他にも重傷の方がいて……先に別の方を治している間に……」
言葉が途切れた。大きな涙が、フローラの頬を伝う。
「もっと早く治療していれば……もっと魔力があれば……!」
「フローラ」
私は、彼女の前まで歩み寄った。そしてそのまま、フローラを抱きしめた。
「お姉様、汚れます……」
「そんなこと、どうでもいいわ」
フローラの細い肩が、びくりと震えた。私は彼女を強く抱きしめる。
小さな身体だった。でも、この背中が、いくつもの命を背負っている。その重さに、今さら気づかされる。
(私の判断は、本当に正しかったの――?)
できる限りの備えはした。それでも、全員は助けられない。
アレクを前線に立たせて。レオンを王都へ向かわせて。フローラに、こんな選択をさせて。
私は本当に、領民たちを守れているの?答えは出ない。
喉の奥が熱くなって、私も泣きそうだった。けれど、ここで私が崩れたら、フローラまで崩れてしまう。私は奥歯をきつく噛みしめた。
「フローラ」
彼女の背中を撫でながら、できるだけ穏やかな声を作る。
「あなたのせいじゃないわ」
「でも……!」
「あなたがいたから、助かった人たちがたくさんいるのよ。救えなかった命のことだけを考えないで」
それは、フローラに向けた言葉であり、私自身に言い聞かせる言葉でもあった。
彼女は何も言わなかった。ただ、両手を浮かせたまま、私を抱きしめ返すこともできないまま、震えていた。
「お姉様……私、怖いです」
「ええ」
「また、助けられなかったらって思うと……手が、動かなくなりそうで……」
「怖くて当然よ」
フローラが、涙で濡れた顔を上げる。私はポケットのハンカチで、彼女の涙を拭った。
その時、神殿の扉がまた開いた。
「重傷者です! まだ息があります!」
新たな担架が運び込まれる。フローラは一瞬だけ目を伏せた。そして、私の腕の中からそっと離れる。
「……こちらへ」
彼女は担架の患者へ歩み寄る。両手を、もう一度、傷口の上へかざした。
淡い緑の光が、フローラの掌に灯る。涙で滲む瞳のまま。それでも彼女は、手を止めなかった。
神官が、ほっと息を吐いた。
「……峠を越えました」
「よかっ……た……です」
かすれた声だった。
次の瞬間。ばたり、と。
フローラの身体が床へ崩れ落ちた。
「フローラ!?」
私は駆け寄り、その身体を抱き起こす。
「フローラ、しっかりして! フローラ!」
彼女の手から、淡い緑の光は完全に消えていた。
コメント
1件
いやもう……読んでいて胸がぎゅっと締め付けられました。フローラが「助けられなかった」と泣きながらも、次の担架にまた手を伸ばすところが本当に切なくて。自分を責める彼女を抱きしめるお姉様の「あなたのせいじゃない」は、読んでいるこちらにも沁みました。最後にフローラが倒れてしまって、続きが気になりすぎます……。お疲れさまです、本当に素晴らしい回でした。