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「有夏が言う? いや、俺の頭がおかしいのかな? 『チー』って言うとき、口が笑ってるみたいに見えるからでしょ? えっ、じゃあ『ズ』は何だ? ねぇ『ズ』は何なの……?」
何やら小さな声でブツブツ言い出した。
唇を噛みしめているのだろうか、時折プルプルと顎が震えている。
「幾ヶ瀬はこれだから困る。ときどきワケが分からない」
ヤレヤレと肩をすくめてみせた有夏。
そんな彼の前で、おもむろに幾ヶ瀬が顔をあげた。
電灯の白い光を受けて、眼鏡がペカンと光っている。
奇妙な笑顔。
これは幾ヶ瀬お得意の「現実逃避」というやつだ。
「ハイ、有夏さん。お写真お撮りしまっす。ハァイ、チーズっ♪」
「えっ、ちょっと待っ……あっ」
しかし今回、ピロンという電子音は鳴らなかった。
「有夏さん?」
呆れたように幾ヶ瀬がスマホを下ろす。
「頑固おじいさんの証明写真じゃないんですよ? 表情険しすぎですよ」
「うむっ……」
レンズを向けられ、反射的に奥歯をギリギリと噛み締めていた有夏が困ったように呻き声をあげた。
「じゃあ、有夏さん。好きな漫画のことでも考えてみましょうか。ニッコリ笑顔、いただきますよぉ?」
「どれ?」
「は?」
ここでようやく幾ヶ瀬のテンションも落ち着いたとみえる。
「は?」の声の低いこと。
「好きなマンガってどれのこと?」
「えっ……いや、何でもいいんだけども」
「何でもいいは困る。幾ヶ瀬もいつも言ってる」
「う、うん。それは晩ごはん何がいいって聞いても、有夏、何でもいいって答えるから……」
「何でもいいは困る。幾ヶ瀬もいつも言ってる」
「う、うん……」
幾ヶ瀬、うーんと唸る。
面倒くさいからもうやめようと言い出さないところが、バカップルのバカップルたる所以であろう。
「じゃあ、進撃の巨人のことでも考えてみて。名シーンとか。有夏、好きでしょ?」
「うぅっ……」
「何その顔!」
表情を大きく歪めた有夏、片手で目元を覆ってしまった。
「ツラすぎる……」
「ちょっとー……」
何とも言い難い泣き笑いの表情に、幾ヶ瀬はスマホをテーブルに置いた。
「やめとこう。感情が入りすぎて気色わる……コホン。とにかく、有夏の好きな漫画からは離れようか」
こんなことならさっきのキス顔消さなきゃ良かったとブツブツ言っている。
「よし、有夏。想像してみて。隣りのクソビッチがバイキングで元を取るんだって言って、安いやつばっかり食べまくってお腹こわしたところを……いや、駄目だって、その顔! 何て底意地の悪い笑顔なの!?」
「……そんなこと思いつく幾ヶ瀬のが、よっぽと性格悪い」
それもそうだねと言いながら、なおも諦める様子のない幾ヶ瀬。
床に座り込む有夏の両脇を抱えると、ズルズルとベッドに引っ張りあげた。
そうしてから、自分は少し距離をとって中腰にカメラならぬスマホを構える。
「有夏サンの初体験はいくつの時?」
「はぁ?」
「お、いいねぇ。恥ずかしくてほっぺたが赤くなったねぇ」
「幾ヶ瀬? おま、何言って……?」
「んー、駄目だよぉ? 言わなくちゃ。初体験はいつ?」
無意味に「いいね、いいね」と言いながら幾ヶ瀬、満面の笑みである。
立て続けのシャッターの電子音に、有夏のため息が重なった。
「ねぇ、有夏のはじめては……」
「しつこいなぁ! あ、有夏のはじめては……いくせが知ってるだろが!」
ゴトリ。
スマホを床に落とす音。
あっ、ヤバイと口走りながらもそれを拾い上げて、幾ヶ瀬はヘラッと頬を緩めた。
「よかった」
「……何が?」
「スマホ大丈夫だったみたい。壊れたら買い替えるのイヤじゃない? お金いるし」
「……そっち?」
「えっと…………」
おもむろにスマホの液晶を拭きだす幾ヶ瀬。
有夏のジットリ視線を感じているのだろう。随分と白々しい動作である。
「いくせー?」
「な、何、かな? 有夏さん?」
ひらり。
引きこもりの白い手が翻った。
さきほどの暴挙を思い出したか、反射的に幾ヶ瀬が身を引く。
叩かれた頬には、まだ赤みが残っていた。
「痛ぁっ!?」
幾ヶ瀬の悲鳴。
ジットリ視線の引きこもりの手は容赦ない。
今度は頬ではない。
耳を引っ張られたのだ。
「幾ヶ瀬、耳赤い」
ついと顔を寄せ囁くと、たちまちのうちに幾ヶ瀬の耳朶が花びら色に染まった。
「だ、だって……はじめてとか言うから……」
言い出したのはお前だろうが──との言葉を飲みこんで、有夏はニヤリと笑った。
「秘密の撮影会」完
※読んでくださってありがとうございました。不定期ですが、また更新します※