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グリムナ
201
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暗闇の中で見つけた光の話。
*
白い光が目を刺す。
つい先程まで浴びせられていたフラッシュのせいで、変に疲れてしまった眼球は、未だその残光を視界のどこかにチラつかせていた。
長年、そうやって仕事をこなして来たくせに、くらくらと目眩がしてしまいそうになるのは、たぶん疲労のせいだろう。
有難いことに、日々忙しくさせて頂いている手前、態度や雰囲気に疲労感を滲み出させるのは失礼だと思うし、プライドが許さなかった。
故に、どこにいても気が抜けず、ゆっくりと着実に溜まって行った疲労感。
ため息と共に吐き出されたそれは、白く綺麗な楽屋の床に溶け込んでいく。疲れた体を預けたパイプ椅子の軋みがいやに響いた。
「…ぁー、」
仰け反って見えた先の蛍光灯が眩しい。
腕で目元を遮り、瞼を閉じた。
現在24時過ぎ。
今日はこの撮影で終わり。
先程撮った写真は何に使うって言ってたんだっけ。何度も着替えたせいで一体なんの撮影なのかを忘れてしまった。
メンバーとマネージャーとのチャットを見れば簡単に分かるはずなのに、少し先にあるスマホへ手を伸ばすことさえも億劫だった。
そのうち今日の写真を使った何かが世に出されて、俺が不思議な顔をすれば、「勇ちゃん忘れたん?」「またマネージャーさんにコレ送ってましたか?なんて聞かんでな〜」なんて、舜太と大智が茶化してくるんだろう。でも仕方がないだろう。だって手が動かないんだから。
この衣装も早く脱いでおかないとシワができて、柔太郎に若干睨まれてしまう。こだわり抜いて選んだ生地のシワのせいで、綺麗な国宝級のおでこにもシワを刻んでしまうんだ。
そしてさっさと家に帰ってインスタライブをしよう。最近あまりしてなかった分、大切な人達を不安にさせている気がする。30分、いや1時間くらいでも顔を見せて、元気だってところを見せてやらなきゃ。
さて、何から手をつけよう。
しかし、どれにも手が伸びないのは、一体どうしてだろうか。
鉛のように重く怠い体に、いつもの様に喝を入れて動き出さなければならないのに、どうしても動きたくなかった。
それらに嫌悪感はない。
すべて俺がやりたい事の筈なのに。
ふと、瞼の裏で、暗闇が歪んでいる。
歪みはやがて渦になり、ゆっくりと回り出して目眩がしそう。
ゆらりゆらりと、揺れて、重くなる。
疲労感とは上手く付き合ってきた筈なのに。
いや違う、これは疲労感とは似てるようで異なる何か。
それは気がついたらすぐそこにいて、その存在を頭がうまく理解できないまま、それは躊躇いもせず、少々強引に、俺の心に触れた。
途端、爪先からじわりじわりと目に見えない何かが、緩やかに身体を侵食していく。
黒く歪んだ、理解し難い、何か。
メンバーやマネージャーが戻ってくる前に、こんな姿を見せる前に、動き出さなくてはならないのに、得体の知れない重苦しさで身体が少しも動かなかった。
動かなくてはならない。
やらなくてはならない。
笑わなくてはならない。
声を出さなければならない。
俺は、”佐野勇斗”を、やらなくてはならない。
それが、”俺”であり、”俺”はそれである。
でも、ほんとうに、それは、”俺” か?
辛さとも苦しさとも似ていて少し違う、上手く言語化できない感情で胸がぐちゃぐちゃになる。
頭の中で言い聞かせるように唱えた言葉は留まらず、耳から外へ流れ出ていく。
そのくせに脳は考えることを止められない。
答えの出ない自問自答。
ぐるぐると何もかもが渦を巻いた。
止め処ない思考の洪水に溺れてしまいそう。
呼吸が、細く、浅くなる。
それなのに、この心は、抵抗する事をしない。
黒く得体の知れない何かを拒まなければならないのに、何故か受け入れようとしてしまう。
拒むことにすら、疲れてしまった。
頭と心が、バラバラだ。
そしてどれに従い、どこに行けば良いかわからず、迷子になってしまった身体は、暗闇の中で立ち尽くしたまま、黒く重い渦に呑まれていく。
何もかもが、ぐちゃぐちゃだ。
あぁ、くそ、なんだよ。
いつの間にか、こんなに黒く、なっちまって。
「勇斗?」
「…っ、ぁ、…仁人」
軽い思考の逃避を、一瞬にして呼び戻した声。
びくりと体を揺らし、驚いて目を開ければ、凛々しい眉を顰めた仁人が楽屋の入り口からこちらを見ていた。
後ろ手にドアを閉める音がする。
「あれ、もう終わり?」
「うん。いま大智が撮ってる。終わり次第、各々帰宅だって」
「そっかぁ」
目と顔だけをそちらへ向けて仰け反ったまま、90度に曲がった世界の仁人を見る。
ぐぎぎぎ、と音が出そうな程ぎこちなく口角を上げて、へらりと笑いながら答える俺を見た仁人は、ゆっくりとこちらに近づいて来た。
そして俺の見上げる先、白い蛍光灯の光と俺の間に入る、白い顔。
仁人の影が落ちる。
「勇斗」
耳に馴染んだ柔らかい声が俺を呼ぶ。
その響きが、あまりにも優しいものだから。
今までぐっと肺に溜めていた息が、つい、ほう、と小さく出てしまった。
それはまるで息継ぎをするように。
「…はやと」
「……っ」
まるい形の響きが、現実と俺との間にカーテンのような膜を張る。
白くて暖かい手が俺の顔を両手で包み、頬を親指が撫でた。
ぼろぼろで黒く濁った虚ろな俺の目と視線を合わせた、つるりとした眼球は、瑞々しく潤いを帯びていて、綺麗な琥珀色に小さく煌めく。
それは、きらきらと、音が弾けるようで。
丸く丁寧に短く整えられた指先が顎を辿り、唇に触れた。
下唇のシワを、つつ、と軽くなぞる意味を知っているこの唇は、丸く柔らかい形をした名前を、無意識に溢す。
「……じんと」
「…限界だな。えらいよ、勇斗。よく頑張った」
「…うん」
「帰ろう。一緒に」
優しく顔を撫でられるだけで、ぐちゃぐちゃになった胸のざわめきが鎮まり、頭の中はもうすっかり空っぽで、得体の知れない黒い何かはいつの間にか居なくなっていた。
再び、声になり損ねた吐息だけで、小さくその名前を囁けば、その響きはとろりと蕩ける蜜になり、喉の奥に張りつくような、もったりとした甘さを舌の上に感じさせる。
「…いっしょに?」
「うん、いっしょに」
頬を触る手に自分の掌を重ねる。
やんわりと指を絡め、冷え切ってささくれだった指先が、徐々に熱を帯び始めた。
高く筋の通った鼻先が、俺の鼻先に触れる。
小さな煌めきを閉じ込めた瞳がゆっくりと瞼を下ろし、ぽってりとした赤い唇が、柔らかく触れるだけのキスをくれた。
瞬間、心臓が、きゅっと鳴る。
乾いてカサつく唇に与えられる潤いを受けて、俺も静かに瞼を閉じれば、あの優しい眼差しの煌めきが、瞼の裏できらきらと光っていた。
end
コメント
1件
あおいです🌷読ませていただきました。冒頭の、疲労で鉛のように重くなっていく体と、それを無理やり動かそうとする心の摩擦がひしひしと伝わってきて、胸がぎゅっとなりました。仁人さんの登場で温度が変わるところ、特に「名前を囁くだけで喉の奥に蜜が張りつくような甘さ」という表現が、すごく好きです。お互いを知り尽くした二人の距離感が、たった1話でここまで伝わるなんて……続きも読ませてくださいね。