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男爵夫婦が移動したからか、居間は急に騒がしくなった。


「あの……旦那様」


「構わんよ。あの二人に任せておきなさい。月子、疲れたろう?」


ああ、まったくと岩崎は言い、ゴロリと横になった。


「私は疲れた。あれこれ動き過ぎたからなぁ。すまんが、横にならせてくれ」


確かに。


訳ありではあるが、単なる見合いだったはずが、同居という事になってしまい挙げ句、本宅、西条家、町内と出向くはめになり、その都度、おかしな事が巻き起こる。


月子は、岩崎に着いていけば良いだけだった。一方の岩崎は、あれこれ気をもんでいたに違いない。


極め付けは、西条家の火事。岩崎は、それとなく混乱をまとめる手助けまで行った。疲れたと言うのも仕方ないだろう。


「なあ、月子。私のわがままを聞いてくれないか?一度、試してみたいことがあってなぁ」


「わがまま、ですか?」


月子が不思議そうに答えると、岩崎は遠慮ぎみに月子の膝を指差した。


「その……そこに、頭を……いや、その、なんだっ!人伝に良く聞いていたものだから、一度やってみたいという、ああっ!そ、それだけの話だから気にしないでくれっ!」


岩崎は、恥ずかしそうにそっぽを向いて月子と目を合わせようとしない。


「あの……旦那様。それは、ひょっとして膝枕?」


と言うことではなかろかと、月子は察したが、岩崎はモジモジしているばかりだった。


「なぁーにを、いい年したおっさんがっ!」


襖が開いて、二代目が転がり込んで来た。


「二人でいちゃつくのは、禁止だっ!同居はまあ、認めちまったから仕方ないとして、京さん、あんた、何言ってんだよっ!それより、なんとかしてくれよっ!」


二代目は、わめきながら岩崎の側であぐらを組むと、頭をかきむしる。


よほど困っているのだろうが、岩崎も月子も何が起こっているのか訳がわからない。


「まったく、今度は男爵夫人まで!」


「二代目、義姉上《あねうえ》が、関わったのか?」


そうそう、と二代目が頷きながら、泣きそうな顔をした。


「いやね、甘味処の太田屋の隣に、花園劇場があるだろ?そこの舞台に男爵夫人も立ちたいと言い出して……」


芳子が、一歩も引かないのだと二代目は、事の次第を語り始める。


お咲の唄声を聞いた花園劇場の支配人は、お咲を舞台に立たせようと躍起になった。


子役で客寄せ出来ると踏んだのだろうが、その対価が、キャラメル一箱だのとふざけきっていた為に、お咲に決めさせろと二代目は開き直ったのだ。


ところが、それを本気にした支配人は、キャラメル二箱、三箱とお咲へ交渉を始める。


「二代目、いくらなんでも。キャラメルはなかろう。それに、お咲の唄というか、あれは、演奏に合わせてのものだ」


岩崎は、寝転がったまま、馬鹿なことを言ってと呆れ返っている。


「そう、わかってるよ。お咲のは、唄じゃないって。ただねぇ、支配人って男は、諦めが悪い野郎でね。そのうち諦めるだろうと踏んだんだけど……」


「義姉上も、舞台に立ちたいといいだした……」


そうです!と、二代目が岩崎へすがり付くかのような視線を寄せる。


「私は、知らんよ」


「えー!京さん!そりゃないだろ!」


知らんものは知らんと、岩崎は、開き直る。


「まあ、そう言わず。芳子も言っていることだし、京介、お前も一肌脱ぎなさい。というこで、居間へ来てくれないか?」


話をまとめると、男爵が廊下に立っている。


また、おかしな事に巻き込まれそうだと、岩崎は慌てて起き上がり、男爵を見た。


「どうだろう?今度の音楽学校の定期演奏会を花園劇場で行うというのは?ならば、芳子もお咲も舞台に立てる。支配人も納得するだろう?」


「おお!岩崎の旦那!そりゃ、妙案!」


二代目は弾けているが、当然、岩崎は納得どころか、どうしてそうなる?と、顔をしかめている。


そして、まるっきり話についていけないのが月子で、自分はここにいても良いのだろうかと困りきっていた。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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