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エレナが、笑っていない。
それは、昼休みの出来事だった。中庭のべンチにもたれながらパンを食べていたナオトの隣に、いつも通り明るく「ナオトく~ん!」と駆け寄ってくるはずのエレナが、珍しく静かに立っていた。
「……ナオトくん、ちょっといい?」
笑顔はあった。でも、それはどこか作り物めいていた。太陽の下にいるのに、エレナのまわりだけ曇り空のようだった。
「…..どうしたんだよ。ももとケンカでもした?」
ナオトがそう言うと、エレナはふるふると首を振った。
「違うの。ケンカなんかしない。……でもね、ちょっと、話したいことがアリマス。」
「……うん」
ふたりは校舎の裏へと向かった。人目の届かない場所。かすかに草いきれの匂いがする、静かな午後。
エレナは、制服の袖を握りしめたまま、小さく息を吸った。
「ねえナオトくん。私、ウソついてたんデス」
「……ウソ?」
「私ね、日本生まれって言ってたけど…..ほんとは、ロシアで生まれて、小学校の途中で日本に来たの。おばあちゃんの家に住んでたから、そっからこっちに引っ越してきて、いまはここにいるんだけど……」
「…..ああ、それだけ?」
ナオトは拍子抜けしたように言った。エレナは、意外そうな顔をした。
「えっ、驚かないの?」
「いや、だって……それ、隠すようなことか?」
エレナは一瞬目を見開き、それからーーふっと、笑った。
「なんか、ナオトくんって、そういうとこ……ズルいです! 」
「ずるい?」
「うん。やさしいのか、鈍いのか、わかんないけど…..どっちにしても、ちょっとだけ、安心しちゃう」
「……そっか」
ナオトはポケットに手を突っ込んで、わざとそっけなく言った。でも内心では、少しだけドキドキしていた。
エレナは続ける。
「それでね、まだ秘密があるの。
ももには…..まだ言ってないこと」
「なに?」
そのとき、エレナの目がすっと細くなった。唇がいたずらっぽく、笑みに変わる。
「ナオトくんに……ちょっとだけ、好きって気持ちがあることデース♥」
「……」
ナオトは一歩、後ずさった。
「じょ、冗談だろ……?」
「さあ、どうだろ~♥」
くるりと背を向けて、エレナは走り去っていった。スカートがふわりと舞い、陽光の中で金髪が揺れる。
残されたナオトは、ぼう然と空を見上げた。
その日の放課後、図書室でまたももとナオトが並んで座っていたところヘーー
「ナ~オトくんっ♪」
歌うような声が響いた。
ももが「あっ」と顔を上げた瞬間、金髪の少女が背後からナオトの肩に顎を乗せてきた。
…….重い」
「ひどぉ~い。あたし、今週ずっと我慢してたのにぃ〜」
「なにを?」
「ナオトくんに会いたいに決まってるじゃ〜ん♥」
ももがムスッとした顔で、エレナを見た。
「エレナ、それ図書室。図・書・室。静かに
しよ?」
「あっ、ごめんねももちゃん…….♥でもね、今日はどうしてもナオトくんに言いたいことがあって来たの」
「……また変なこと言うんでしょ」
ももがため息まじりに言うと、エレナはにこっと笑って、
「うん♥」
と即答した。
ナオトは、目の前のノートから視線を外して、ふたりのやり取りを眺めていた。
そしてエレナは、急に真剣な表情になると、小声でナオトに耳打ちした。
…..ねぇ、ナオトくん、前に言った”秘密”、覚えてる?」
「ロシアで生まれた話?」
「ちがうよ~。…..ちょっとだけ好き”って
やつデース♥」
「…..おま、またそれかよ」
ナオトが顔をしかめると、エレナはちょこんと椅子に座り、
「もしかして…..ちょっとだけ、ドキッとした? ねえ、ねぇ?」
…….してない」
ナオトは目線を逸らしながら言ったが、耳の先がほんのり赤くなっていた。
それを見て、ももが机に手をバン!と叩く。
「ねぇエレナ!ナオトは私の幼なじみだもん!
そーゆーの、ダメだからね!」
「えぇ〜~?でも、ももちゃんが”すぎ”って言ったわけじゃないんでしょ?」
「そ、それは……まだ言ってないけど…..でも!」
「なら、あたしにもチャンスあるデース~♥」
ふたりのバチバチとした視線の間で、ナオトはぐったりと頂垂れた。
(…..なんで、俺が“飛ぶ魚”の奪い合いに巻き込まれてるんだ)
だがーー
図書室の静けさのなか、笑い声がこぼれた。
ナオトの笑い声だった。
「もう…….どっちもバカじゃん」
「バカじゃない!!」✕2
ふたりの声がハモって、再び司書の先生に「静かに」と叱られる羽目になった。
けれどその日、ナオトは少しだけ思った。
“飛びたい”って言ったのは、
ももだけじゃなかったのかもしれないーーと。