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藤翔太──一瞬、美少女に間違えてしまうこの青年が曲者であった。
「まっすぐ立てよ」
「ちゃんと並べろ」
開店したものの一向に客の来ないパン屋のレジカウンターに突っ立って、早くも腰をさする星歌の背をパシッと叩く。
焼きたてクロワッサンをトレイに並べる作業を背後からじっと監視する。
都度、何かしら文句を言って声を荒げるのだ。
「美味しく見えるようにキレイに並べるんだよ」
「へいへい」
「並べるときは、ちゃんと角度を揃えて。ああ、もぅっ!」
「何このスパルタ。ハイハイ、どうせ私は曲がりくねった性根の持ち主だよ。パンすらまっすぐ並べられない女だよ」
聞こえないようにブツブツ呟く。
「……何か言ったか、お前」
もうお前呼ばわりである。
オーナーと紹介されたモノホン王子は奥の厨房にすっこんでパン作りに没頭しているようだし、第一、名前すら教えてもらっていない。
早くも星歌は軽はずみにバイトを承諾したことを後悔していた。
突然雇われることになったものだから、ユニフォームの予備すらないというではないか。
着ていた服そのまま、ワンピースの下にジャージのズボン、そしてヒールという謎の出で立ちの上に、たまたまあった赤いエプロンをつけただけの姿である。
客よ、どうか誰ひとり来ないでくれと祈るしかないわけだ。
しかし彼女のそんな願いは次の瞬間、無残に砕け散ることとなる。
カラン──。
扉の上部につけられた小さな鐘が音を立てたのだ。
「い、いらっしゃいま……」
入ってきたのは若い男だ。
安物のスーツを着ていてもそこだけ華やぐように目立つのは彼の整った容姿と、聡明な光をたたえる視線故か。
その目が店内を見回し、薄笑いを浮かべた新人店員のもとで止まり──驚愕に見開かれた。
「星歌、こんなところで何やってんの?」
行人である。
──ズルイ! いつも姉ちゃんって呼ぶくせに、たまに名前呼びするの。
星歌と名を呼ばれ、ドキリと高鳴る心臓を押さえて彼女は「エヘヘ」と白々しい笑い声をあげた。
「やー、その、バイトだよ」
「バイトって……。そりゃ、星歌は失業したてだけど。だからってこんな急に……」
スニーカーの踵を床に打ちつけて近付いてきて、行人はあらためてじろりと店内を見渡す。
星歌の隣りでレジ打ちを教えていた姿勢のまま止まっている翔太を見下ろすと「フッ」と鼻で笑ってみせた。