コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
僕は兄がいた頃の記憶を思い出す。僕が兄と過ごしてきた16年間、その中でも印象深かったのは、彼がテストの答案を僕に見せてきたときのことだ。
ある日の夜、僕が中学生で兄が高校生だったとき、兄がいつかのテストの答案を見せつけてきた。数学だったと思う。とにかく、その答案には丸が一つもなく、強いて言うなら丸に近い形の0がある、いわゆる0点だのテストだった。しかも全部埋めての、だ。兄はそれを誇らしげに見してきて、こういった。
「こんなに頭が悪くたって生きていける」
僕はそのとき何を馬鹿なことを、と兄を軽蔑していた気がする。でも、底抜けて明るい兄のことを、僕は心のどこかで慕っていた。
もう一つ、大事なできごとがあった。僕が高校生に入りたてで、兄は高校を中退したくらいの時だ。ある日、とある飲食店で、僕と兄は隣に座り、そして向かいには女の子が座っていた。僕の好きな人であり、兄の好きな人であったのだ。僕はその日の少し前、その女の子を「一緒にご飯でも」と誘ったが、そのとき彼女は笑って、「やっぱ似てるなー」と笑った。そう、兄はそのまた少し前に彼女を誘っていた。しかも、同じ日に。彼女はそれをどちらにも秘密にし、待ち合わせ場所に来てみたら笑う彼女と兄がいた、ということだ。僕と兄はやけに緊張して、普段は頼まないパスタなんか頼んで、彼女の話を聞いていた。なぜなら、僕たちは適切な話題を思いつかなかったから。彼女は食べ物の話をした。「私、秋が好き。おいしいものいっぱいあるじゃない。特に、松茸ご飯。あんなにおいしいものはないと思うの。大好き」
彼女はそう言ってキラリと笑い、僕と兄は眩しさに目をそらした。その後あやふやに時間は過ぎ、間もなく解散となった。
兄が亡くなってもう1年が経とうとしている。彼は山の中に1人で入り、クマに襲われて死んだ。外傷はあまりないものの、クマの拳を頭に食らい、倒れ、後頭部に岩を打ち付けて即死した、らしい。なぜ彼が急に山に入ったのか、僕はいまだに分かっていなかった。僕の家族も、兄の友人も、首をかしげるばかりだった。僕は当時ひどく落ち込んだ。兄と僕と一緒にご飯を食べた彼女も、一度あっただけなのに、とてつもなく泣いた。僕は彼女と同じ感情を共有したことで距離が縮まり、今はお付き合いをさせてもらっている。しかし、どちらも兄の話題を出すことは無かった。ある時1回だけ、兄の話になったことがある。
彼女はいつでも三つ編みをしていた。僕が彼女と知り合った頃は別に三つ編みでは無かったけど、僕と付き合い始めてからはずっと三つ編みだ。その理由を彼女に聞くと、「お兄さんに聞いてみなよ」と返ってきた。その理由は分からないままだ。
今日僕は松茸を買ってみた。偶然お店に残っており、彼女が大好物と言っていたので、彼女を家に招待して松茸ご飯でも作ろうとしたのだ。一応ある程度の料理はできたので、松茸ご飯もどうにかなるだろう。
彼女は呼ぶとすぐに来た。
「松茸はどこ?」
と目を光らせた。少し後、僕は松茸ご飯を完成させて彼女の前に置いた。だが、彼女はなかなか食べ始めない。僕は「早く食べなよ」というけど、彼女はなにやら苦しそうな顔で考えている。そしておもむろに顔をあげ、こういった。
「私、お兄さんが山に行った理由知ってるの」
突然の告白にびっくりした。なぜ、どうして、と色々疑問が浮かぶ。兄はなぜ、山へ行ったのだろうか。
「初めて3人であったとき、私が松茸ご飯が好きっていったでしょ」
「うん」
「お兄さんは山に、松茸を取りに行ったの」
「え?」
「私にプレゼントするために、山にまで行って、大きい松茸を探しに行ったのよ」
僕の目からは自然に涙が出ていた。兄は頭が悪かった。松茸が希少なものということは知っていたのだろう。スーパーに売っているはずもない、と確認することもなく山を登って、愛する人の願いのために一生懸命松茸を探したのだろう。結果、山の奥深くで兄はクマに襲われて亡くなった。
「私はその時、私の事をそんなにも愛してくれる人が死んでしまったことが分かったの。だからとても泣いたわ。そして決して、お兄さんを忘れてはいけないと思ったの」
「だから、あんなに泣いていたんだね」
「私の三つ編みはね、私と、君と、お兄さんの三本でできているの。そうやって、いつも3人でいられるように、私はずっと三つ編みでいるの」
彼女の三つ編みにはそんな意味があったのか。僕は兄をバカにしていたが、彼は僕なんかよりもよっぽど相手を思って行動できる人だったのだ。相手の返事を待つだけの僕とは違かったのだ。
僕は兄と昔行った動物園の事を思い出す。兄は様々な動物を見ながら、「俺はお前のいい兄でいたい。だから今日はお前を動物園に連れて行ってみた。でも俺は頭が悪いから、お前のいい兄にはなれないかもしれない。だからもし俺が死んだら、遺骨を動物園に連れて行ってくれ」
「どうして?」
「動物は英語でアニマルだろ。つまり、兄、丸、なんだ。俺の精一杯の”兄”に、丸をつけてやってほしいんだ」
僕はあの時兄が見せてきた、バツばかりのテストを思い出す。兄の部屋は生前と変わらぬまま保管されていた。散らかっているが、書類は全部引き出しに詰め込まれていた。僕はその中から例のテストを探し出し、赤ペンを持って彼女のところに持っていった。
「兄貴、満点だ 」
「お兄さん、満点です」
そう言って僕らはテストにかかれた彼の名前に大きな花丸をつけたのだ。