テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
『花が散るまでの距離』
1話.春の始まり
桜が咲くと、街は少しだけ優しくなる気がする。
通学路の坂道を上りながら、
そんなことをぼんやり考えていた。
昨日まで何もなかった枝に、
淡い色が乗っている。
それだけで、世界はこんなにも軽く見える。
__春だな、って思う。
新しいクラスの名簿をポケットに突っ込んだまま、昇降口に入る。
靴を履き替えながら、 周りのざわめきを聞いていた。
「同じクラスだね!」
「え、まじ?よかった〜!」
そんな声があちこちから聞こえる。
楽しそうだな、と思うけど、
特に混ざる気にもなれない。
まあ、いつも通りでいいか。
そう思って顔を上げたときだった。
「……あ」
小さな声が、すぐ近くで聞こえた。
振り向くと、ひとりの女子が立っていた。
長い髪が、少しだけ風に揺れている。
手には同じクラスの名簿。
俺と同じところを見て、目を丸くしていた。
「同じクラス、だよね」
そう言って、少しだけ笑う。
初対面なのに、不思議と柔らかい空気だった。
「ああ、たぶん」
俺がそう返すと、
彼女はほっとしたように息を吐いた。
「よかった。知ってる人、いないかと思ってたから」
知ってる人、って。
俺も別に知り合いじゃないけどな、と思いながらも、否定するのはやめた。
「俺も似たようなもん」
「じゃあ、一緒だね」
そう言って、彼女は少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑い方が、妙に印象に残った。
教室に入ると、窓際の席に座った。
外を見ると、
校庭の端にある桜がちょうど満開で、風が吹くたびに花びらが揺れている。
その景色をぼんやり眺めていると、隣の席が引かれる音がした。
「ここ、いい?」
さっきの女子だった。
「ああ」
短く答えると、
彼女は「ありがと」と言って座る。
少しだけ沈黙があって、
でも気まずくはなかった。
「ね、名前なんていうの?」
先に口を開いたのは彼女だった。
「……悠真(ゆうま)」
「悠真くんね」
彼女は一度その名前を口の中で転がすみたいにしてから、
「私は、春(はる)」
そう名乗った。
一瞬だけ、言葉の意味を考えてしまう。
「春って……季節の?」
「そう、それ。わかりやすいでしょ」
くすっと笑う。
そのとき、ちょうど窓の外で風が吹いた。
花びらがふわっと舞い上がって、
教室の窓をかすめる。
「ね、春ってさ」
彼女__春が、外を見ながら言った。
「一番好きな季節なんだ」
どこか、遠くを見るような声だった。
「なんで?」
なんとなく聞いてみると、
春は少しだけ考えるように間を置いてから、
「終わりがあるから、かな」
そう言って、また笑った。
その言葉が、少しだけ引っかかった。
でも、その理由を聞くことはなかった。
たぶん、聞かない方がいい気がしたから。
それに__
そのときの俺はまだ、何も知らなかった。
彼女が、
どれくらいの時間を抱えて笑っているのかも。
この春が、どれだけ短いのかも。
チャイムが鳴って、担任が教室に入ってくる。
新しい日常が、静かに始まる。
その隣で、
春はいつも通りの顔で前を向いていた。
まるで、何も隠していないみたいに。
だけどきっと、その笑顔の奥には、
俺がまだ知らない“何か”がある。
そんな気がした。
__ただ、それだけだった。
コメント
3件
春ちゃん名前からして可愛すぎる子っていうのが滲み出てて最高
長編小説です。 まだ話続きます🙇🏻♀️՞