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「高嶺!? 何故お前がここに!?」
驚きの余りだろうか。風見が上司であるはずの高嶺尽のことを呼び捨てにして。
尽はそれを完全に無視すると、風見が何か言い募るのも聞かず大股でソファへ近付いた。そうして無言のまま風見を掴み上げて天莉から引き剥がすと、投げ捨てるように床へドサリと転がしてしまう。
本音を言えば、追い討ちで一・二発ぶん殴るか、蹴り飛ばすかして制裁を加えてやりたかった尽だ。
だが、ここへ突入する際、尽は直樹から【決して誰にも暴力を振るわないこと】を散々約束させられたのだ。
『お前がそんなことをしようものなら、減刑の材料にされかねない。相手が許せないと思うなら、絶対に手を上げたりするな! 分かったな!?』
勤務時間内であったにも関わらず、あえて直樹が秘書としてではなく、友として忠告してきた言葉に、尽はグッと奥歯を噛んで了承した。
『もしそれを守れないようなら、突入はお前には任せられない。僕が行く』と言い切られてしまったのもある。
室内にいる天莉の状態が分からなかったから、いくら信頼している直樹相手でも、これ以上自分以外の男を中へ踏み込ませたくないと思ってしまった尽だ。
もちろん、何の防御もなくいきなり自分が天莉と対面するのだって、本当に正解かどうかも分からなかった。けれど、少なくとも辛い思いをしているであろう天莉の姿を、これ以上他者の目に触れさせたくなかったのだ。
はやる気持ちを抑えるようにして、室内へ押し入ってみれば、幸い天莉はまだ服をまとっていてくれて。
素肌に直接ワンピースを着ず、下着でワンクッション設けていてくれたことが不幸中の幸いと言うべきか、背面のファスナーを完全に下ろされていても尚、天莉の肌はむき出しにならずに済んでいた。
でも――。
本来ならばそんな姿でさえ、他者に見せるようなものではない。
尽だって、自分以外の人間が天莉のあられもない姿を目にしたんだと思うと、腹立たしさに腑が煮え繰り返りそうなのだ。
そんな無体を強いられた天莉の気持ちを思うと、こうなる前に駆けつけられなかった自分の愚かさに心底腹が立つ。
風見を押し退けるなり見えた天莉の泣き濡れた顔から、相当怖い思いをさせられたのだと悟った尽は、愛しい女性をこんな目に遭わせた者達全てを地獄へ突き落してやりたいと思った。
そうして、その処罰対象の中には天莉を危険から守ってやることが出来なかった自分も含まれていると思った尽は、グッと唇を噛んで己の不甲斐なさを悔やみながら、スーツのジャケットを脱いで天莉を覆い隠してやる。
「……遅くなってすまなかった」
ジャケットで包み込むようにして壊れ物を扱うみたいにそっと天莉を抱きしめたら、尽の腕の中、天莉が涙に濡れたまつ毛を揺らしながら不安げに尽の方を見上げてきた。
「……め、なさ………」
そうしてボロボロに傷ついているにも関わらず、懸命に声にならない声で尽に謝罪の言葉を述べようとする。
『ごめんなさい』のたった六文字すらうまく紡げないことがもどかしくてたまらないという風に、今にも再び泣き出してしまいそうな顔をする天莉に、尽は胸がギュッと締め付けられて。
それと同時――。
抱きしめた天莉の身体に力がこめられる様子がないこと。
簡単な単語ですらうまく発することが出来ずに苦戦しているようにしか見えないこと。
そうして、そんな状況にも関わらず、天莉の表情が熱に浮かされたように艶めいて見えることで尽は悟ってしまった。
恐らく直樹から、いま天莉の様子を見て心に浮かんだ疑念を確信に変えられる最悪の報告が上がってくるだろう。
だとしたら、やはり真に詫びるべきなのは――。
「――謝らなくていい。天莉は何も悪くない。むしろキミに謝罪せねばならんのはこっちの方だ。俺のせいで本当にすまない」
言いながら、尽は天莉の背中へ回した手で、ワンピースのファスナーを上げてやった。
そんな尽の背後にいつの間にか直樹が来ていて、尽に耳打ちをしてくる。
尽はそれを聞くなり「やはりそうか」と答えることしか出来なくて。
ウジ虫どもの始末は必ずつけるとして……今はとりあえず、自分が手掛けた開発途中の薬を盛られてしまった天莉のケアをしなければならない。
天莉を抱く腕にグッと力を込めて、「直樹、悪いが上に部屋を」と切り出した尽に、秘書モードの直樹が「既に手配済みです」という言葉とともにカードキーを手渡してくる。
いつもながら痒い所に手が届く直樹の有能ぶりに感心したと同時、薬の調査をつけてきた直樹がそれをするのは当たり前だな、とも思ってしまった尽だ。
先ほど天莉の様子を見て「まさか」と感じた懸念を、直樹の報告で裏付けされた尽は、天莉の身体から今すぐにでも薬の副作用を取り除かねばならないと思った。
***
尽が来てくれて、彼の腕の中に包まれて、天莉はホッと胸を撫でおろした。
それと同時、身体の中にこもったままの熱が、尽の温もりを求めてキュンと疼いて……。
天莉は、今はそれどころじゃないのに!と身のうちで燻る情欲に戸惑いを覚えずにはいられない。
恐らく、これも飲まされた薬の影響に違いないのだけれど。
そんなものに支配されて尽を求めてしまうとか、自分はなんて淫らな人間なんだろうと思った。
そもそも、つい今しがたやっと、貞操の危機を回避したばかりだと言うのに。
頭の中ではまたこんなことが起こる前に、愛しい尽に全てを奪い去って欲しいと思ってしまっている。
こんな思考回路、どうかしているとしか思えないではないか。
そう気が付くと、今、尽に抱き上げられていること自体、とてもイケナイことに思えてきてしまった。
もっと悲惨な状態にされた後でなくて良かったと思うのと同じくらい、尽以外の男の手で好き勝手されてしまったことが情けなくて仕方がなくて……泣きたくなった。
もう一度最初からやり直すみたいに、尽が優しく脱がしてくれたなら、このモヤモヤした気持ちは払拭出来るだろうか。
(いっそ、そうして欲しい)
今、着ている服を一刻も早く嫌な記憶とともに脱ぎ捨ててしまいたい。
そこまで考えて、天莉はハッとした。
(ダメ、私、変なことばかり考えちゃってる……)
せめて重石のように乗っかっていた風見が排除されたとき、すぐにでもこの劣情にフタをするように、自分で身づくろいを出来たら良かったのだけれど、それすら出来ないことが情けなくて。
尽が、そんな天莉に何も言わずに自らの上着を着せかけてくれたことで、彼も天莉の現状をどうにかしないといけないと思ったんだよね、と容易に推察できてしまったから。
余計に何も出来ない自分が、消え去ってしまいたいほど恥ずかしかった。
尽には一度裸を見られているけれど、あの時とは違って、今回は触れられたくもない男達によってこんな格好にされてしまっているのだ。
そのことが、ただひたすらに情けなくて恥ずべきことに思えて。
そもそも、江根見紗英には今まで散々な目に遭わされてきたのだ。
自分自身、(江根見さんには気を付けるようにしなきゃ)と思っていたのに、今回もまんまと騙されてしまったことが、危機管理能力の低さを痛感させられるようで、自責の念に拍車をかける。
つい、あんな子でも長いこと面倒を見てきた後輩だから……と言う甘々なフィルター越しに見て、隙を与えてしまった。
博視はもう彼女のモノになっているのだし、これ以上紗英から何かをされるだなんて、天莉は思いもよらなかったのだ。
それを油断と呼ばずして、何と呼べばいいのだろう。
まさかいくら紗英でも、ここまで天莉に対して酷いことが出来るとは思っていなかったと言ったら、尽や直樹から『どこまで甘ちゃんなの?』と叱られてしまうだろうか。
――人を傷つけるくらいなら、自分が傷つけられる方が何億倍もマシ。
天莉はずっとそう思って生きてきたのだけれど、今回のコレは自分のせいできっと、尽のことも傷つけてしまっている。
(私、尽くんの足を引っ張ってばっかりだ……)
初っ端の出会いの時からしてそうだったけれど、尽には迷惑ばかりかけてしまっている。
そう思ったのと同時、尽が今ここにいるということは、自分のせいで彼が今日やるべき仕事でさえも邪魔をしてしまっているのではないかと気が付いて。
「……め、なさ………」
尽の腕の中。
懸命に謝罪の言葉を口にした天莉だったけれど、未だに自分の身体が思うように動かせないことに焦りが募る。
今すぐにでも尽を会場に戻してあげないと。
尽の背後に伊藤直樹の姿だって見えるし、何なら彼に全てを委ねてくれたって構わない。
『お願い、尽くん。私のことは良いから早く会場に戻って?』
そう言って送り出してあげたいのに、尽は天莉の謝罪を拒絶すると、今回の件に関しては自分が悪いのだと、逆に天莉へ謝ってくる。
それはきっと、天莉が飲まされてしまった薬のことと関係があるんだろう。
でも――。
作ったのは尽だとしても、彼がそれを悪用するような人だとは思えない。
何の目的があって、尽がこんな風に服用者の自由を奪う作用の出る薬剤を開発したのかは分からない。
分からないけれど、天莉は尽のことを信じたいと思っている。
尽は何やら責任を感じているようだけれど、天莉は元より尽が悪いだなんて思っていない。
何なら今でも変わらず尽のことを支えたい気持ちに溢れているし、彼の仕事の邪魔だってしたくないのだ。
そんなあれこれを余すことなく尽に伝えたいのに、うまくしゃべれないだけで、溢れ出る思いの数々を目の前の相手に伝える術のないことが、物凄くもどかしく思えて。
ならばせめてと思っても、身体も自由に動かせないからジェスチャーや筆談ですら無理とか。
一体何の悪夢だろうか――。
「じ、んく……。わ、たし……は、だぃ、じょぶ、だから……お、仕、ごと……」
それでもやはり何もしないではいられなかった天莉は、しどろもどろ。
懸命に単語と単語を繋ぎ合わせるようにして、自分を見下ろす尽にそう言ったのだけれど。
「玉木さん、心配なさらなくとも大丈夫です。本日の高嶺常務の業務はほぼ終了しています。もちろんいくつか残っているものもありますが、それらは他の人間でも対応できるような些末なことばかりです。なので今は彼にしっかり責任を取って頂いて、ご自身の回復に努めて下さい。貴女が元気になって下さらないと、その男は使い物になりません。……正直ポンコツ過ぎて会場には戻せないと、わたくしは考えています」
尽が口を開くより先。ソファ上で尽に抱き締められたままの天莉に視線を合わせるように少し身を屈めた直樹が、どこかおどけたように言って、柔らかい笑みを向けてくれる。
本音を言うと、尽にずっとそばへいて欲しいと思っていたことも確かだ。
天莉は、もしもそれが許されるならば、そうさせてもらえると嬉しいな、とぼんやり思って。
「直樹、お前……」
「真実でしょう? それに、貴方のことだ。残務に関してはあの方々に根回し済みなんでしょう?」
「……ああ、どうせ後から合流するつもりでいたからそのついでに頼んできた。悪いがあっちのサポートをしてやってもらえるか?」