テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
87
#恋愛
ばたっちゅ
18,826
#オリキャラ
月咲やまな
83
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
翌朝、洗面所で柚乃と鉢合わせした時の私の笑顔は、自分でもそれと分かる程ぎこちないものだった。
けれど、柚乃はそれについて何も言わない。
姉が気づかずにいるのならそれでいいとほっとしながら、私は朝食の席についた。
食事を終えた後は、私も柚乃もそれぞれの部屋で過ごしていたが、昼近くなって、父が帰って来たことを母の声で知り、階下に降りた。
すでにリビングに向かっていた父に、私たちは口々に労いの言葉をかける。
「お父さん、お疲れ様」
「お帰りなさい。疲れたでしょ?」
父は嬉しそうに笑う。
「ただいま、柚乃、詩乃、お土産買って来たぞ」
父はリビングに入って早速、いかにも中身は土産と分かる紙袋をダイニングテーブルの上に置いた。
母が紙袋の中をのぞき込み、にっこりする。
「これ、買って来てくれたのね」
「まぁね。母さんの故郷のお菓子だし、久しぶりだろ?」
「ありがとう。午後のお茶の時に食べましょ」
母は紙袋を大事そうにカウンターの上に移動させてから、私たちの顔を見回す。
「それじゃあ、お父さんが着替えてきたら、お昼にしましょうか」
ラフな格好となって戻って来た父と、数日ぶりに一緒の食卓を囲んだ。
食後に冷たい麦茶を飲み干して、父はおもむろに立ち上がる。
「俺は、部屋に行くな。少し、仕事を片づけておきたい」
「あら、大変ね。後でコーヒーでも持って行きましょうか」
「あぁ、頼もうかな」
父が書斎に行った後、私と柚乃は母を手伝ってテーブルの上を片付けた。その後三人でリビングに移動して、なんとなくつけたテレビに流れる午後の情報番組を眺めていたが、番組が後半に入った辺りで柚乃があくびをした。
母が呆れたように笑う。
「柚乃、夕べはそんなに遅く帰って来たの?」
「別にそんなに遅くもないよ。十一時過ぎたくらいだったと思うから」
柚乃は答えながら二度目のあくびをかみ殺した。
「日付が変わる前に帰って来たのなら、まぁ、良かったわ。別に門限がどうこうって、うるさく言うつもりはないけど、ただ、近頃は色々と物騒だからね」
「分かってるから大丈夫だよ。昨日もちゃんとタクシーで帰って来たし」
「そう言えば、夕べは講義の人たちとの飲み会だったわね。ということは、この前送って来てくれた男の子も一緒だったってこと?確か、ご近所だとか言ってたわよね。夕べもその子と一緒に帰って来たの?」
「夕べ?一人で帰って来たよ」
柚乃は即座に、しかもひどくあっさりとした調子で答えた。
私は怪訝に思いながら、姉の横顔をそっと盗み見た。母は、柚乃、そして私が戸崎と知り合いであることを知っている。隠す必要などないはずなのに、柚乃は嘘をついた。昨夜のあの後、何かがあったのではないかとの疑念が生まれ、悶々とする。
これ以上この話は続けるつもりはないと言わんばかりに、柚乃はさっさと話題を変える。
「ねぇ、詩乃。今日これからって、何か用事ある?なかったら、買い物行かない?」
「え?えぇ、別に用事はないけど……」
いつもの私であれば、こういった場合の姉の誘いには迷わず頷くのだが、心を乱す出来事の連続で、気が乗らない。
私の胸中に気づかない様子の姉は話を続ける。
「今年の花火大会も浴衣を着るでしょ?私、新しい帯がほしいの。だって、今持ってるの、高校生の時からのなんだもの。もう少し大人っぽいのがほしいのよね」
「確か二人の浴衣って、高校生の時に一緒に買ったものよね?」
母が会話に入ってきた。
「だったら、二人とも、浴衣一式新しく買ったら?おこづかいで足りない分は、特別にお母さんが出してあげるわよ」
「ほんと!?」
柚乃がぱっと顔を輝かせた。
「それなら、お母さんも一緒に出かけない?私と詩乃の浴衣の柄、見立ててほしい」
「そうねぇ。久しぶりに娘と外出するのもいいわね。じゃあ、お父さんに声をかけてくるわね」
「じゃ、決まりね。詩乃、私たちも出かける用意をしよう」
「え、う、うん……」
うきうきとした様子の柚乃を見ていたら、二人で行ってきたら、とは言えなくなり、私は作り笑いを浮かべながら頷いた。母も一緒だから、柚乃に対する気まずさも多少は紛れるだろうと気を取り直し、姉の後を追おうとしてソファから立ち上がった。
その時、テーブルの上の姉のスマホが鳴った。
「あ、忘れてた」
柚乃はリビングのドアに手をかけようとしていたが、戻って来てスマホを取り上げた。画面を見た途端、表情を固くする。
「柚乃、どうしたの?」
姉は私の声にはっとしたように瞬きをし、画面を見たまま答える。
「今、家の前にいるんだって」
「誰が?」
私の問いに、姉はぼそりとした声で答える。
「戸崎さん」
「え?」
予想していなかった名前を聞いて、私は動揺した。どうして柚乃の連絡先を知っているのか、どうして柚乃に会いに来たのか、今すぐ知りたいと思ったが、感情を抑えて訊ねる自信がなかった。だから、柚乃の言葉を鸚鵡返しに繰り返す。
「戸崎さん?」
柚乃の顔に苦笑が浮かぶ。
「夕べの飲み会の時、私、店で学生証を落としたらしいの。それを戸崎さんが拾ってくれて、持っていてくれたみたい。それを渡したいから、って。だから、ちょっと外に行ってくるね」
そこに母の呆れ声が飛んでくる。
「柚乃、学生証を落としたの?大事なものでしょ?」
「連絡をもらう今の今まで、全然気づいていなかったけどね」
「まったく……。知り合いが拾ってくれたの?」
「うん。話したと思うけど、戸崎さんって言う、同じ大学の学生がね」
「あぁ、この前柚乃を送って来てくれた人ね。その人は今、家の前にいるの?受け取っただけで帰さないで、冷たいお茶でも飲んで行ってもらいなさい」
柚乃は母の提案に戸惑う。
「それは、しなくてもいいんじゃないかな……」
「いくら近所とは言え、この暑さの中、わざわざ届けに来てくれたんでしょ?それなのに、そのまま帰すなんて気の毒だわ」
「……分かった。一応は言ってみる」
柚乃は渋々と頷いてから、私に残念そうな顔を見せる。
「今日はもう、買い物には行けないかもね。とにかく行ってくる」
柚乃は面倒くさそうにのろのろと出て行った。
姉を見送った後、母と共にお茶の準備を始めた私は、食器棚を鏡代わりにこっそりと笑顔を練習する。昨夜のことがあったからと言って、彼を好きだという気持ちも、彼に会いたいという気持ちも何一つ変わっておらず、少しでも彼の目に可愛く映りたいと思う。
けれど、リビングに入って来たのは柚乃一人だった。せっかく用意したお茶もグラスもお菓子も出番を失う。
私はがっかりした。しかし、それを顔には出さない。
怪訝な顔で母が柚乃に訊ねる。
「あら?届けてくれた人は?」
「お母さんに言われた通り、お茶に誘ったんだけど、この後用事があるからって言って、帰っちゃった」
「そう……。なんだかわざわざ申し訳なかったわねぇ」
「でも、ちゃんとお礼は伝えたから大丈夫だよ。だから、出かけよう」
柚乃はにっと笑って母と私を促した。
支度のために私は柚乃と共に二階へ向かう。
姉の後ろ姿は私に昨夜の光景を思い出させ、私の心を焦りと不安でいっぱいにする。戸崎が姉の連絡先を知っていること、家まで訪ねて来たことは、二人の関係の変化の始まりのように思えてならなかった。