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あの日は、脳みそが茹だるような猛暑だった。風も蝉も僕の鼓膜に届かず、静かな夜の森 で、それなのに、耳鳴りが僕の脳みそに騒音を与えていて、煩わしかった。懸命に体を動かしていたから、熱中症になりかけていたんだろう。とにかく暑くて、騒がしい夜だった。そして、そんな夜に僕は、父親の死体を埋めていた。息は切れて、腕は震えて、足だって骨が軋むくらい痛いのに、僕は深い穴を一心不乱に埋め続けた。バレてはいけない。バレてはいけない。その一心で。
それ だから、人の気配にまるで気づかなかった。
「お前、なにしてんだ……?」
耳鳴りの隙間を縫って、微かに知った声が僕の脳を刺激した。それは、僕の、親友だった。
「……はっ……はっ……」
酷く疲れたせいか、驚きのせいか、声を出そうとしても、呼吸だけが先走っていて、背後にいる親友を見ることもできなかった。
こいつも殺してしまおうか。きっと今なら何も感じない。そう思ったから、シャベルを握りしめ、振り向こうとした時。そいつは、自分の手で土を掬って、死体に投げつけた。
「早く埋めるぞ。」
親友はそれだけ言って、呆気に取られる僕も、汚れる自分の手も無視して、さっきの僕のように穴を埋め始めた。
「これさ、俺も共犯だよな。 」
穴が塞がり、くたくたになった僕に話しかけてきた。『共犯』その言葉にただ、「うん」とだけしか返さなかった。ここで、首を横に振る回答をしていれば、きっと僕は捕まる。そんなことを思ったからだったと思う。
「俺、捕まりたくねぇな……」
僕の横にドカッと座って、少し滲んだ月を見上げた。その横顔は、困ったような笑顔を浮かべていたような気がする。
「じゃあ、通報すればいいだろ。僕がお前も一緒にやったって証言するかもしれないけど。」
不貞腐れた声を出して、死体を埋めた場所を見つめた僕をそいつは笑った。
「そうじゃねぇ 」
続く言葉を求めるために親友を見ると、薄暗い森で目が合う。俺を見るのを待っていた、そんなことを言いたそうな目だった。
「一緒に、逃げるか。」
「……は?」
逃げる選択は父親を殺した瞬間から決まっていた。
僕の家族は父親一人で、そいつが消え失せればすぐ問題になるから。あの男は外面がいいからきっと尚更で、築いた信用は行方不明届けに変わる。街の監視カメラを確かめれば、 息子である僕が犯人だとすぐにわかってしまう。
「お前は家族いるだろ。犯罪者になんてなる必要ない。」
「俺も埋めた。だから、共犯だろ。違うか?」
「……そう、だな。」
僕が悪いことをすればいつもこうだった。俺もやった、俺も乗った。そうやっていつも僕と一緒に怒られて、目を合わせて笑って、二人で帰路につく。今回も一緒だ、今までと違うのは、僕にだけ帰り道がない。それだけだった。
「よし。そうと決まれば。」
親友は勢いよく立ち上がり、ポケットからスマホを取り出した。「俺ってスマホ依存じゃん?」にひひと笑い、大きめの石目掛けて思いっきり投げつけた。ゴッと鈍い音がした。
「おま、お前!馬鹿!」
自分のスマホじゃないのに馬鹿より早く駆け出し、スマホの無事を確かめる。人類の叡智は、数百年の自然には勝てなかったようで、画面は割れてフレームは歪んでいた。
「バイト代で買えたって喜んでたくせに、何してんだよ……」
半年前にようやく買えた、 とはしゃいで僕に散々自慢した物体はもう戻ってこない。呆れた僕と反対に、ゲラゲラと親友は笑って「これが噂のデジタルデトックスだろ」なんて言うんだから、僕も吹き出していた。
「さて、逃亡のための下準備しないとだな」
ひとしきり笑って、親友はすくっと立ち上がり僕の手を引いた。そう、準備をしなくては。
「お金はある。父さんの銀行から下ろしたし、僕のバイト代も十二分。」
二人分にしたとしても、一ヶ月は生きていける。
「俺もバイト代あるし、二人の金合わせれば結構生きてけそうだな。」
「じゃあ、朝五時にここで。」
そう交わし、二人で最後の帰路へついた。
ガチャリと解錠し、玄関に足を踏み入れた。「おかえり」その言葉は懐かしい。十年、下手すればそれ以上も前に聞いただけだ。この家の幸せは不幸に汚染され、もう美しくはない。それが本当に嬉しい。幸せがたった一つでもあったなら、僕はきっと父さんを殺せなかった。ずっと、ずっと苦しいまま生きて、僕の方が先に死んでいた かもしれない。
土足で廊下へ上がり、そのままシャワーを頭から浴びる。ずっと悲しい雨音だったその音も、今では不思議と歓声に聞こえる。罪悪感も今流れて行ったようで、心のもやが晴れた。風呂場を出れば、時刻は朝三時。森は近いとはいえ、ゆっくりしている暇は無い。着替えて、三日分の食事と私服を詰め込む。
玄関のドアノブに手をかけ、振り向かずに、ただ、さようならを。