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とうとう悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。
我ながら、何とも獣のような声だった。
気にする必要はない。 これを咎(とが)める者なんて居ないのだ。
滅茶苦茶に泣き喚(わめ)いて、従姉妹の名前を呼んだ。 祖父や幼なじみに呼びかけた。
神という神に、大呼(たいこ)して救いを求めた。
けれど返事はない。
待てども待てども返事はない。
いくら叫んだところで、応じる者など一人も居ない。
その内に、喉の奥が裂けるような痛みを訴えはじめた。
終(しま)いには、血を吐いてしまうのだろうなと察しつつ、それでも尚、叫ぶのを止(や)めない。
止めてしまえば、世界との繋(つな)がりが絶たれるような、世界に見放されるような、そんな気がしたのだ。
「ぇぐ……っ!」
しばらくすると、思った通り私の喉は限界を迎えた。
火のように熱くなった喉笛が、どうにか酸素を取り込もうと、忙(せわ)しく痙攣を繰り返した。
構わず、私は絶叫に乗せて、息を吐き続けた。
この酷使が祟(たた)り、激しく咳き込んだ。
頭がぼんやりとして、思考が著(いちじる)しく損なわれた。
都合が良い。
もう、なにも考えたくない。
もう、どうでもいい。
すべてが、どうでもよくなった。
「風邪うつすなよー?」
「え?」
ふと声を聴いて、意識を戻す。
ところは自宅のリビングであると、すぐに知れた。
とは言え、見慣れたリビングとは言い難(がた)い。
近頃リフォームを終えたばかりのため、まだどこか落ち着かないと言うか、新鮮な気持ちが先(さき)んずる。
「なぁに? なんて?」
「や、タケに風邪うつすなって」
「あ、咳? 大丈夫、ちゃんとマスクしてるから」
視線を上げると、真新しいキッチンカウンターの向こうから、夫が顔を覗かせた。
今さら弁ずることでも無いが、よく日に焼けた顔色はどことなく野性味を帯びており、学生時代の印象とは打って変わっている。
彼の役回りは現場仕事。
職場は青天井のため、仕様がない。
「病院行った?」
「大丈夫、行かない。 それよりさ? 今日はどっち行くんだっけ?」
「あー、古墳。 ほら、山のほう」
「そかそか、暑いから気をつけてね?」
「おう! そっちも無理すんなよー?」
史跡の修繕・保存に携わる仕事は、割合に気苦労の多いものだ。
管理者との折り合いはもちろん、関係学会との意志疎通も重要で、常に柔軟な具体策を提示しておく必要がある。
また、扱う代物がひどくデリケートなため、いつ如何(いか)なる時も細心の注意が要求される。
いつの日だったか、心配になって訊(き)いたことがある。
『他にしたい事ある? 別の仕事、探してもいいよ?』
しかしながら、彼は昔ながらの子どもっぽい笑顔で、これをピシャリと拒絶した。
とくに無理をしている様子は無いが、入り婿という立場は、やはり肩身の狭いものである。
それゆえに、本心を押し隠しているのではないか。
そういった頓着(とんちゃく)を知ってか知らずか、彼はいつでも誠実に、時には茶目っ気を多分にして、私を支えてくれる。
愛する旦那さまだ。
「たあちゃ~ん」
「お? 起きてる?」
「うん。 いま起きたー」
手近のクッションを覗き込むと、幼い息子が嬉しそうに破顔した。
小さな手をぎこちなく動かして、抱っこを所望する。
本当に可愛い。
可愛くて仕方がない。
それはもう、食べてしまいたいくらいに。
「ほんじゃ、ぼちぼち行くわ」
「うん! 行ってらっしゃい」
幸せというものは、思ったよりも簡単に手に入る。
彼と結婚して、息子が生まれて、それを初めて知った。
どこかで誰かが笑っているようだった。
それはもう、けたたましい声だ。
金属を引き裂くような、大判のガラスを立て続けに打ち割るような。
「えぇなぁ、お姉さん。 気に入って、もたわ。 ホンマに、可愛いらしよ。 そらもう、食べてまいたい、くらいやわ」
婉然(えんぜん)とした口前は、当面のバカ笑いがしゃっくりのように尾を引いており、声音の妙とは裏腹に、ひどく聞き苦しいものだった。
涙と涎に塗(まみ)れた女性は、これを恥じらう素振りもなく。 その場にガックリと膝をつき、やがて頭を抱えて絶叫した。
あらゆる感情が濁流のように流れ込んだせいで、もはやパンク寸前の胸中を、少しでも目減りさせようと、体がそのように計らったのかも知れない。
「あぁー、おもろ……」
「なにを……、なにをしやがった……っ?」
「えぇ? いまと違う人生、体験させたったんやしぃ」
「人生、だぁ……?」
潤む目元を無理やりに奮(ふる)い、力の限り前方を睨みつけたところ、葛葉の肩先に、撓垂(しなだ)れるようにして取りつくあの姫君の姿があった。
狂った瞳は相変わらず。
長やかな大笑を経てもなお、肌は少しも上気せず真っ白なままだった。
「あんたが、やったのか……?」
「えぇ? 卦体(けったい)なこと言うなぁ? あたいの他におれへんよ、こんなこと出来んのん」
「そうかよ。 そんなら話は早ぇや……」
「へぇ?」
痛烈に奮起した女性は、充血した眼に殺意という殺意を詰め込んで、手元の重機を唸らせた。
弄(もてあそ)ばれた恥辱よりも、義憤に等しいものが胸中を占めていた。
今さら人道を説く気はないが、あのやり様(よう)は、さすがに一線を越えている。
しかし、どんな妖術だ? 人の人生を新たに敷き直す? 規格外にも程がある。
いや、これもまた、天国作刀に付与されるという神通の一端か。
ともすれば、あの少女は恐らく。
「………………っ」
嫌な考えが浮かんだ。
先ほど、自分が真っ二つにした刀。 まさか、あれにも……?
「どうでもえぇけどお姉さん」
麗しくも悍(おぞ)ましい声が、幸か不幸か気重な思考を頓挫させた。
咎(とが)めるように見ると、何やらわざとらしく眉根を歪めた姫君が、じつに不安げな表情を装っている。
その口が続けて発した言葉を聞いて、女性はさっと血の気が引くのを感じた。
「それ、そんな風に扱うてえぇのん? えらい泣いたあるで?」
思えば、先頃から違和感があった。
どちらと言えば、気付かない振りを決め込もうと、心のどこかで躍起になっていた節がある。
耳に障る噪音、これは鎖鋸の稼働音とは似ても似つかない。
それに、この感触。
これは紛れもなく
「………………」
恐る恐る確認すると、当方の掌(たなごころ)に抱(いだ)かれた赤ん坊が、大いに泣きわめいていた。
その顔貌(かおかたち)は、さっきの
「あぁ……っ? あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
たちまち崩れ落ちた女性は、身も世もなく喚(な)き叫んだ。
声にならない声を上げ、地面を力の限り打って打って打ち抜いた挙げ句、今度は爪が砕けんばかりに土塊を掻きむしった。
「……主さん、行こよ?」
そうした模様に、どのような心延(こころば)えを得たのかは知れない。
わずかに顔を背けた姫君は、依然として項垂(うなだ)れる葛葉の肩をつんつんと突いた。
「今やったら首とれるし。 早よ楽にしたろ?」
「……任せるよ、そっちは」
「ほん?」
いつになく覇気のない声が返ってきた。
小首を傾げるようにして覗き込むと、いよいよ伸長を果たした牙が、唇にあさく傷をつけていた。
いまだ柄前を握ったまま、これを一向に離そうとしない手元を確認すると、刃のような爪が、手のひらに食い込んでいるのが見えた。
「……私は、治してやらないと。 この子、はやく」
「そら無理や。 折れたモンはもう」
「できるよ……」
「あたいらみたいなモンやったら、そら磨(す)り上げっちゅう手もあるよ? けどな、弟くんみたいな特殊な造り込みのモンは、さすがに」
「できるって」
こらアカン。 主さんが使いもんならんようなってもた。
や、どっちか言うたら、スイッチが入ったっちゅうべきなんか。
このまんま放(ほ)っといたら、どうなるんやろ?
大鬼になるか、大天狗に化けるか。
もしくは、八岐の頭尾に変じるか。
習合っちゅうのは便利やけど、難儀なもんやなぁ。
けどそれにしては、角が生えてこぉへん。 どういうこっちゃろ?
まぁでも、それもえぇかもな?
そんな主さんと一緒に、暴れてまわるんも楽しいかも知らん。
この世界焼けてから、もうどんくらい経ったっけ?
ほんならここいらで、もっぺん壊してまわるんも、楽しいかも知らんしなぁ。
「バカ野郎! 戦(や)るまえから負けてんじゃねぇぞ!!」
その時だった。
混沌とするグラウンド場内に、勇ましい叱咤が木霊(こだま)した。