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ただ静かにエーミが落ち着きを取り戻すのを待つ。
「ごめんね。話を中断させちゃって。もう大丈夫だよ」
しばらく沈黙が続き、エーミが涙の事情を話すつもりはないことを皆が察する。泥濘のように少し重い空気の中で切り出すのには部外者がうってつけだ。
「ええっと、エーミちゃん。巫女ハーミュラーに会いに行くにしても」とヘルヌスがソラマリアの方を窺いながら話す。「機構の坊主どもは常に神殿やその周囲をうろついてるぜ。奴らに知られずに巫女に会うのは至難の業だろうな」
「うん。どちらにしてもすぐに会おうとは思ってないから」エーミは両手で擦るように涙を拭う。「ヘルヌスさん、だっけ? 大王国の人がシシュミス教団に潜入している、でいいんだよね? 良ければ何か異変があればハーミュラーの様子を教えてくれない?」
「別に構わないが。下っ端の俺が巫女様を目にすることはあまりないからな。期待しないでくれよ。異変ってのは具体的になんだ?」
「なんでもいいよ。何をしたとか、何を言ったとか、どこへ行ったとか、いなかったとか。普通の人がしないことならなんでも」
「なんでも、ね。分かった。気にかけておくよ」
ヘルヌスは気障な笑みを返す。
「いやに協力的だな」とソラマリアが棘を刺す。
ヘルヌスも負けずに言い返す。「協力しろって言われてっからね。シシュミス教団の下っ端としても」
大王国の工作員としては? と聞きたかったが答えてはくれないだろうと思い、ユカリは黙っておく。
そして本題へ。
「そういうわけでエーミとカーサは川辺を捜したけどベルは見つからず、私と合流した」とユカリは説明し、エーミと目が合い、お互い頷く。「正直なところ、一度ビアーミナ市に帰還する選択が最善だったかどうかは自信がない。これがグリュエーが消えたことに関係する事柄なのか別件なのかも分からないし、もう一度戻って探すべきかとも考えた。ただ二人が探しても痕跡は見つからず、ベル自身が何か残しておけない状況、というのは私たちだけでは手に負えないと思った。それと――」
「待って。やっぱりエーミが言うべきだったよ」とエーミが口を挟む。「ユカリの気遣いには感謝するけど皆が納得できてないように見える」
ユカリは市民の顔色を窺う政治家のようにレモニカ、ソラマリア、ヘルヌスの顔を順に見るが、疑念が表情に出ているのはレモニカくらいだ。その眉根を寄せている様子を見るに、皆かどうかはさておいてもエーミの指摘は正しいらしい。
ユカリは小さくため息をついて譲るように少し身を引く。
「できなさそうだからやらなかったと仰るユカリさまは想像しがたいですわね」とレモニカは疑念を言葉に呟く。
「その通り」とエーミが肯ずる。「ユカリの人となりはまだよく知らないけど、初めユカリはベルニージュを探しに戻ろうとしたよ。けどカーサがエーミのことで忠告してくれた。機構に遭遇すればベルニージュの働きが水の泡だってね。だからユカリはエーミをここに連れてくることを選んだ。その選択を責めないであげてね。そしてユカリ、改めて助けてくれてありがとう」
ユカリは微笑み、僅かに頷く。本当は今すぐにでも戻りたかった。しかしユカリとて考えなしではない。
透明蛇のカーサが部屋のどこかでユカリの心を見透かしたように喋る。「どちらにしても時間がかかり過ぎた。戻って探して赤髪の娘が見つかるとすれば、彼女自ら戻ってきた時だけだろうな」
蛇の言葉だ。ユカリだけがその慰めを聞けた。カーサなりの気遣いだろう。
「いずれにしても闇雲に人探しできるような土地ではないだろう」とレモニカの背後でソラマリアが指摘する。
「かといって探さない訳にはいかないですよ」とユカリは反抗的に聞こえないように返す。
「探すなとは言わないが、あるいは我々で先んじて各地を解呪してまわった方がベルニージュにとって安全かもしれない」
一理ある。しかし抵抗もある。まるで魔導書を優先するもっともな言い訳を自分に言い聞かせているように感じる。
「ヘルヌス。ここまでで良いかしら?」とレモニカがヘルヌスに退席を促す。
ヘルヌスはレモニカを見、ソラマリアをちらりと見、「分かりました。下っ端の仕事に戻るとしましょう」
看守が囚人を移送する時のようにソラマリアの監視付きでヘルヌスは屋敷を立ち去った。ソラマリアが居間に戻ってくると魔導書の話を始める。
「その、巨大な飴坊は本当に神様なのですか?」とレモニカが疑わしげに尋ねる。
「そう言われても、正直よく分からないよ。神様なんて見たことないし」とユカリは答える。
少なくともかつてアルダニで対峙した月の《熱病》の方が神々しい姿だったようにユカリは思う。
「少なくともライゼンの神話では飴坊の姿の神など聞いたことがありませんわ」
「あ、でもベルが言うには土地神とか小さき神と呼ばれるもので神話の神々とは別だって言ってた。どう違うのかは分からないけど」
「それに関しては、ライゼンに伝わる神話では小さき神も語り継がれておりますわ」レモニカは探るように知識を取り出す。「霊峰ケイパロンに住む神々の内、原初からあった者たち、その者たちから生まれた者たち、低き野原から召し上げられた者たちに分かれています。最後が小さき神々ですわね」
「出自の違いということかな」とユカリは呟く。
「格の違いでもあるだろう」とソラマリアが言い足す。
「その祟り神と化した土地神さまをユカリさまが調伏した、と」レモニカは恐れ多そうにユカリを見つめていた。
ユカリは念を押すように、「私とベルでね。私が水を吸い取って、ベルが呪いを浄化したんだよ。そうしたらこの魔導書が現れた」
ユカリはもう一度机の上で赤く煌めく耳飾りに目を落とす。
「呪災を浄化すれば魔導書を獲得できるはず、と以前に言っていたが、間違っていたのか」とソラマリアが指摘する。
「間違いというか勘違いというか」ユカリは少し拗ねて自己弁護する。「あの時も土地神様がいたんだと思います。マルガ洞の中に。それでマルガ洞が崩れたお陰で調伏できた、んじゃないかなあ」
状況からはそう推測できるというだけのことだ。現時点では誰も確信を持てないでいる。
「それで次の行き先はどうされますか?」とレモニカがユカリに判断を求める。
「それなんだけど、南の馬の棲み処領で良い? 一応ベルがいなくなった川はそこまで流れているらしいし。流されちゃいないとは思うけど、念のために」
誰にも反対意見はなかった。ただしレモニカの表情からは、その美貌のめりはりになる程度の反意が読み取れた。
「それはよろしいとして、まさかまたユカリさまが向かうのですか? であればわたくしは反対ですわ。お疲れでしょうに」
レモニカの心遣いに感謝しつつもユカリは即座に反論する。
「だって首飾りの魔導書はベルが持ったままだし、耳飾りの魔導書を持った人を一人で向かわせるわけにはいかないよ。もちろん防呪の魔術なしで向かうわけにもいかないんだから、魔法少女に変身した私と首飾りの魔導書で変身した誰かの二人で向かうしかない。それはソラマリアさんにお願いしたいんですけど、良いですか?」
ソラマリアは眉根を寄せ、言葉にすることなくあからさまに不服を表明する。「私にレモニカさまを一人にしろと言うのか?」
「いつまで子守でいるつもりなのかしら」レモニカが不服そうに声を上げる。「それよりユカリさま。わたくしでは駄目なのですか?」
もちろん子ども扱いするわけではないが、お姫様扱いはする。やんごとなき姫君を危ない場所に連れて行き、しかもその安全の全責任が自分にあるという状況をユカリは恐ろしく感じた。しかしそのような理由でレモニカを納得させるのも難しいと分かっている。
「問題は残留呪帯なんだよ」ユカリは深刻そうに説明を始める。「前回はベルの魔術的防衛を駆使して通り抜けたけど、ベルがいない以上別の方法をとらなきゃいけない。そこで一つ考えがあるんです」
ユカリは残留呪帯を突破するための方法を説明する。皆初めは真面目な顔で耳を傾けていたが、聞き終えた頃には呆れたような表情をしていた。レモニカでさえも。
「ユカリは魔法を舐めてる節がある」とエーミがちくりと刺す。
「そんな方法で突破できるなら誰も苦労しないだろう」とソラマリアはため息混じりに説く。
ユカリは負けずに反論する。「でも直接対象に作用する魔術はどんなに強力でも全て魔導書で防げるんです。その他の火を飛ばしたり風を起こしたりする魔術はあくまで現象に他者を巻き込むということなので、対応方法は魔法じゃなくても色々とあるはずなんです。それなら魔法以外で私たちにできることというと――」
「俺がベルニージュの代わりを務めようか? 彼女ほどの魔術師ではないが」とカーサが人の言葉で話に入るとソラマリアとレモニカが幽霊の声でも聴いたかのように視線を彷徨わせる。
既に挨拶は済ませているが二人ともまだ慣れないようだ。
「それは駄目です。残留呪帯に突入する人数が増えますし、なにより留守番がレモニカとエーミだけに――」
ユカリは発言の失敗に気づくが、ソラマリアが再び口を開く前にレモニカが先んじた。
「たしかに単純素朴な作戦ですが」レモニカはいつの間にか真面目な表情に変わっていた。「ユカリさまとソラマリアの二人が最も可能性が高いですわね。分かりました。ではよろしくお願いするわ、ソラマリア」
主にそう言われてしまうとソラマリアは従うしかない。
「心得ました」とソラマリアは簡潔に応える。
ユカリは素直に感謝する。「ありがとうございます。ソラマリアさん。心強いです」
「礼には及ばん。さすがに私も一人で向かえと言うつもりはない。解呪の魔術も数が増えればレモニカ様の呪いを解けるかもしれん。これも試練と思えば何ほどでもない――」
口を滑らせたことを示すソラマリアの表情はユカリにも見て取れた。
「試練? いったい何の試練?」レモニカは背後のソラマリアを振り返る。「まだありもしない罪を贖おうと考えているのですか?」
「いえ、私は……」とソラマリアは口ごもる。
要するにレモニカの呪いを運んでしまった件でソラマリアは深く罪悪感を抱いているらしい。一方レモニカは聖女アルメノンこと姉であるリューデシアに仕組まれたものだから気に病む必要はないと考えている。怒鳴り合ったりはしないがこの旅の間中にも何度か二人は衝突していた。というよりもレモニカが突っかかっている。素直に許されろ、というわけだ。
「一体何の話?」と事情を知らないエーミが尋ねる。
「そういえばこれから生活を共にするのですからエーミにも説明しておかなくてはなりませんね。わたくしは呪われていて……いえ、ご存じのはずですわね。囚われの身のケブシュテラと不良護女エーミは共に聖ミシャ大寺院を脱走した仲ですもの。……そういえばわたくし、あの時、自分がどんな姿に変身していたか確認していませんわ」
「ああ、あれね。」エーミは思い出して頷く。「エーミは詳しく聞いてなかったから、なんであんな変身をするのか知らないよ」
ユカリも話には聞いていたことを思い出した。
「良いですか? 呪いの条件は最も近くのそばにいる者の――」
レモニカが言い終える前にエーミは身を乗り出し、呪われた王女の方へと好奇心に染まった手を伸ばす。レモニカは瞬く間に変身し、その姿はエーミそのものになっていた。