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正直言って、遥はいい男だと思う。
彫りの深い顔をしているくせにバタ臭くなくて、あっさりとした二枚目。
身長だって180センチ越えで、程よく筋肉の付いたいい体。
その上頭の回転もよくてお金持ちで、パッと見欠点なんて見つからない。
しいて言うならば、俺様な性格と高いプライドが近寄りがたさを感じさせるくらい。
それも、一緒に暮らし本当の遥を知っている萌夏には何の短所にもならない。
「大丈夫か?」
朝一で遥のもとに朝食を運んだ萌夏が戻ってきたのを見て、雪丸さんが寄ってきた。
「ええ、大丈夫です」
確かに遥は弱っているけれど、ちゃんと乗り越えるはず。
このまま壊れていくような人じゃない。
誰よりも自分の立場を理解している遥だから、大丈夫。
そのためにも、
「主任、私にできることはありませんか?」
今は少しでも遥の力になりたい。
「人の心配をする前に、その顔をなんとかしろ」
「え?」
慌てて鏡を確認し、自分が泣きはらした顔をしていることに気づいた。
「すみません」
こんな顔で社内を歩いていたと思うと、恥ずかしい。
「いいさ、今は非常事態だ。気にするな」
「でも・・・」
朝っぱらから目を真っ赤にした萌夏を、雪丸さんがどんな風に理解したのか考えただけで恥ずかしい。
「なあ小川」
「はい」
「遥の周りで最近気になることはなかったか?」
「気になることですか?」
「ああ、どんな小さなことでもいいから思い出したら知らせてくれ」
「わかりました」
やはり、今回の騒動は遥を恨んでのことなのか。
でも、妬まれることはあっても恨まれるようなことはないと思うけれど。
***
時間がたってもネットの炎上は収まることを知らず、どちらかと言うと加速していくように見えた。
「それにしても酷いわね」
夕方、デスク周りを片付け始めた礼さんが悔しそうに吐き捨てる。
今日一日、遥はオフィスに姿を現さなかった。
雪丸さんは忙しそうに動き回っている。
そして、不思議なことに高野さんの姿も見なかった。
「上の人の思惑はわからないけれど、怪しい雲行きね」
「ええ」
すっかり活気のなくなったオフィスに、鳴りやむことのない電話の音だけが一日中響いている。
内部事情なんて一向に伝わってこない一般職員にも、よくない状況なのはわかる。
「礼さんは何か聞いていないんですか?」
遥や雪丸さんと親しい礼さんのことだから、何か知っているんじゃないかとカマをかけた。
「さすがに、何も知らないわ」
「そうですか」
いつもの調子で礼さんが聞けば雪丸さんだって少しは話してくれると思うのに、公私混同しないのが礼さんらしい。
ピコン。
ん?
珍しい、晶からのメールだ。
「すみません、ちょっと外します」
ちょうど終業時間を迎えたタイミングでもあり、萌夏は廊下の先にある休憩スペースへと逃げ出した。
***
『萌夏、平石建設に勤めているんだったわよね?随分騒がれているようだけれど、大丈夫?』
それは心配しているメールだった。
先日会ったときに、『平石建設で働いている』と話した記憶がある。
覚えていてくれたんだ。
『晶、ありがとう。でも、大丈夫だよ』
さすがに心配をかけたくなくて、強がってしまった。
『実は気になることがあるんだけれど、一度会えないかなあ』
え?
意外な申し出に戸惑ったものの、萌夏はすぐにOkの返事をした。
この春地元の大学を卒業した晶が、話がしたいとわざわざ東京へ出てくるからにはよほどのことだろう。
まずは会って話をしてみよう。
すでに東京へ向かっているという晶と待ち合わせの約束をし、一旦自宅へ帰って遥の夕食も用意した。
遥の好きな肉じゃがと、ハンバーグと、ゴボウのサラダ。
いつでも食べられるように多めに作ってお弁当箱に詰めて、再び会社へと戻った。
***
トントン。
「おじゃまし・・ます」
遥が泊っている仮眠室には姿がなかった。
机の上には広げられた書類の束と、開いたままのパソコン。さっきまでここにいた痕跡はある。
「わかっているのか、これは誰もが簡単に知ることのできる情報ではないんだぞっ」
廊下の向こうから聞こえてきた男性の𠮟責。
「しかし、遥だって被害者なわけですから」
言い返す声には聞き覚えがある。
「やめろ、空。すべては俺の責任だ」
これは遥の声。
廊下の向かい側の部屋から聞こえる男性たちの言い合い。
遥と、高野さんと・・・おそらくは社長。
「すみません」
普段は俺様で素直に謝ることのない遥が頭を下げているのが、聞いているだけでわかる。
「謝る必要はない。そんな時間があるなら何とかして解決する糸口を探れ。謝るのはそのあとだ」
「はい」
「いいか、これは遥一人の問題じゃない。平石建設に関わる何万人もの人の生活がかかっているんだ。そのことを自覚しろ」
とても強い言葉。
萌夏の知っている社長は、穏やかでにこやかでダンディーなおじさま。
多少軽薄な印象を受けるくらい優しそうな人だった。
でも、今聞こえてくるのは迫力ある厳しい声。
ここにいてはいけない。
萌夏の本能がそう告げる。
持ってきたお弁当を冷蔵庫にしまい簡単な伝言だけ残して、萌夏は部屋を飛び出した。
***
「晶」
大通りの向こうに見つけた親友の姿に大きく手を振った。
晶の方も振替して、小走りで駆けてくる。
駅前で合流した萌夏たちは近くの居酒屋へと入ることにした。
「ごめんね、急に呼び出して」
一杯目のレモンサワーで乾杯し大好きな枝豆を食べてから、晶の方が口火を切った。
「いいよ、そんなこと。それより何かあったの?」
今まで一度だってこんな風に晶に呼び出されたことはなかった。
萌夏自身もあまり社交的ではなくて友達も多くないが、晶もかなり個性的な性格。
外で人に会うよりも、家にこもってパソコンとにらめっこするのが好きなタイプ。
俗にいうオタクってやつ。
「今回の騒動で話題になっている平石遥って、萌夏の同居人でしょ?」
「う、うん」
確か、この前会ったときに『会社の御曹司と同居している」って話した記憶がある。
さすが晶、気が付いたんだ。
「そんなに性格の悪い男なの?」
「はあ?」
一体何を言い出すんだと、口を開けてしまった。
遥は素直でもないし、誰にでも優しいわけでもない。
でも、性格が悪くはないと思う。
「晶、どうしてそんなことを言うの?」
昨日からの一連の報道を見ていて晶がそう思うのも仕方ないのかもしれないけれど、唯一の親友に誤解されていることがショックだった。
「かなり派手に叩かれているようだから」
淡々と話す晶の言葉が、今の萌夏には突き刺さる。
悲しくて、悔しくて、枝豆に伸ばしかけた手がピタリと止まってしまった。
***
「ごめん、意地悪を言うためにわざわざ出てきたんじゃないからね」
動揺してしまった萌夏に気づき、晶がフォローしてくれる。
「うん、私は大丈夫」
遥自身が誰よりもつらい思いをしているのがわかっているから、平気な振りをする。
「実は、ネットの記事を調べていたら気になることがあって。それで出てきたのよ」
すでにジョッキを半分ほど開けた晶がカバンからパソコンを取り出した。
「気になること?」
「そう、見て」
目の前に広げられたパソコンの画面。
そこには遥に関する誹謗中傷が並んでいる。
嫌だな。
見たくない。
とっさに萌夏は目をそらしそうになった。
「ごめんね、でもここを見てほしいの」
晶が指さしたのは記事を投稿した人の名前とその後につずくアルファベット。
「何なの?」
見る限りでは何人もの人が遥の悪口を言い合っているようにしか見えない。
「これってすべて別人に見えるけれど、ほらここ」
「えっと・・・」
IPアドレスって言うんだっけ、並んだアルファベットの中にいくつか同じ配列がある。
「同じ人がいくつかのアドレスを使い分けて意図的に投稿しているんだと思うわ」
「それじゃあ」
やっぱり遥を恨んでのこと?
「それもやり方がかなり巧妙なの。おそらく情報通信系のエキスパートか、凄腕のハッカー」
「え?」
凄腕のハッカーって言葉に萌夏が反応した。
***
萌夏が生きてきた短い人生の中で、『ハッカー』って言葉で思い浮かぶのは晶だけ。
それだけ忘れられないことが、過去にあった。
今から10年前、萌夏と晶が小学校から中学に上がろうとしていた春。
周りの女子たちは初めて着るセーラー服に浮かれ、かわいい文房具を買いあさるように街へ出かけている時期だった。
「ごめんください」
玄関ではなく本堂の方から聞こえた声。
本堂へと向かう父さんのあとをこっそりついて行った萌夏は、柱の陰から覗いていた。
「住職、どうかうちの娘の根性を叩きなおしてください」
怒り気味にそう言う男性はお寺の檀家さんで、萌夏もよく知っている人。
「まあまあ、とにかく上がりなさい」
いつも通り穏やかな声の父さん。
おじさんに引きずられ本堂に入って行くのは同級生の山口晶。
サバサバした性格で男女問わず人気がある女の子。
それが、今は目も頬も真っ赤にしてうつ向いている。
本堂の床に正座した晶に
「お前は自分が何をしたかわかっているのか?」
おじさんはまだ怒り心頭の様子。
それに対して、
コクン。と頷く晶。
「そうか?何がいけないのよッて思っていないか?」
穏やかに聞いた父さんに、晶は返事をしなかった。
***
おじさんの話によると、晶は市役所のパソコンにハッキングをしたらしい。
当時の萌夏はハッキングがどんなものかなんてよくわからなかったけれど、晶が市役所のパソコンから住民のデータを盗んだってことはわかった。
「何でそんなことをしたんだよ」
と怒鳴るおじさんに、
「だって、住民のデータがあれば父さんだって仕事がしやすいでしょう」
晶はそんなに反省している様子がない。
「「は?」」
父さんとおじさんの声が重なった。
晶の家は町の小さな電気屋さん。
昔からのお得意様を大切に商売をしているけれど、進出してきた量販店に押され経営が大変だとは聞いていた。
「どこにだれが住んでいるのかわかれば営業だって楽でしょ?それにデータを分析すれば誰が何を欲しがっているのかだって傾向が見えてくるはずだし」
やはり、晶は反省していない。
「勝手に個人情報を覗かれた人のプライバシーはどうでもいいのか?」
「私、悪用なんてしないもの」
「晶、おまえっ」
おじさんの怒鳴り声。
「まあまあ、晶にはわしが話をするから」
そう言って、父さんがおじさんを本堂から出してしまった。
***
それから半日。
父さんも晶も本堂から出てこなかった。
「俺が甘やかしたからこんなことになって・・・」
「パソコンが好きだからって与えてしまったばっかりに・・・」
「もし、訴えるなんて言われたらどうすればいいんだか・・・」
おじさんはおじいちゃんに嘆き続けていた。
まだ小学生の晶がどうやってハッキングできたのかはわからないけれど、ものすごい才能と技術を持っているんだってことは理解できた。
暗くなってからやっと出てきた晶はしょんぼりと下を向きながら
「お父さんごめんなさい」
ちゃんとおじさんに謝った。
その後父さんとおじさんが動いて晶のハッキングは表ざたになることなく決着した。
***
「萌夏」
ん?
昔を思い出して物思いにふけっていた萌夏を晶が呼ぶ。
「ごめん、ぼーっとしていた」
「しっかりしてよ」
「はいはい」
「でね、書き込みの犯人なんだけれど」
「うん」
もしかして突き止めることができたんだろうかと身を乗り出した。
晶は持ってきた鞄からいくつかの資料を持ち出し、「ほら、こことここが一緒で」「この情報は内部の人間しか知らないものなの」などと解説をしてくれる。
一つ一つうんうんと頷く萌夏だけれど、
「結局、犯人は誰なの?」
しびれを切らして聞いてしまった。
「こいつ」
そう言って晶が見せてくれた携帯の写真。
「え、この人?」
年齢は30歳くらい。
一見優しそうな印象の男性。
それに・・・
「見覚えがある?」
「う、うん」
どこかで・・・
「南幸助、31歳。3か月前までHIRAISIに勤めていた人よ」
HIRAISIと言えば、平石財閥のメイン企業。
遥のお父様が社長を務めているはず。
「3か月前に解雇されているの」
「解雇?」
「そう。元々システムエンジニアだったからパソコンには詳しいし、仕事はできる人間だったみたいだから社内の情報にも精通しているわ」
フーン。
だから社内情報を流出できて、いかにもそれらしい談合疑惑をでっちあげることができたんだ。
「でも、何で遥を恨むんだろう」
「それがね、私にもわからないの」
晶も首を傾げる。
***
知らない人間から見れば遥はお坊ちゃんで、何の苦労もなく育った人に見えるのかもしれない。
解雇されたHIRAISIを恨む気持ちが遥に向かったってことも考えられなくはない。
でも、それにしては少し過激な気もする。
「この男と平石建設との接点と言えば、最近になって平石建設が手掛けるベーカリーカフェについての中傷記事をアップするようになったことくらいかな」
平石建設の手掛けるベーカリーカフェって、
「それって、『ウイング』?」
「そう」
ちょ、ちょっと待って、『ウイング』と言えば萌夏がバイトをしていたベーカリー。
ってことは・・・
「ごめん、もう一度写真を見せて」
今度はじっくりと男の顔を確認する。
うん、似てる。
この人だっていう自信はないけれど、すごく似ている。
「ねえ晶、3ヶ月ほど前に『ウイング』の本社に従業員の態度が悪いって書き込みがあったはずなんだけれど、その書き込みをした人と南が同じ人物かわかる?」
「調べてみればわかると思うけれど」
「お願い、調べて」
もしかして、今回の件とあのストーカーが関係あるのかもしれない。
「ただ問題があってね」
チラッと萌夏を見ながら、晶は言いにくそうに言葉を止めた。
「何?」
「こいつが犯人ならすべてのつじつまが合うし、犯人で間違いないと思うのよ。でも、証拠がないの。今私が見せたデータも非合法に集めたもので、表には出せないし」
なるほど。
また、昔のようにハッキングまがいのことをして集めた証拠ってことかあ。
それは、困った。
***
「晶、悪いけれど南幸助が今どこで何をしているか調べてくれる?もし連絡先が分かれば知りたい。それとHIRAISI退職の具体的な理由も知りたい」
「わかった」
まっとうな方法でやれば、晶一人で調べるよりも平石財閥の力を使った方が早いと思う。
それでも、晶の方が早く犯人にたどり着いたのは非合法な手を使ったから。
であれば、近いうちに遥や雪丸さんも南にたどり着くだろう。
出来ればその前に南に接触したい。
もし今回の件の動機に萌夏がかかわっているなら、自分がおとりになってでも犯人を捕まえる。
この時、萌夏は決心していた。
「ちょうど明日から週末でしばらくこっちにいるから、わかり次第連絡するわ」
「ありがとう」
証拠をつかみ、犯人を捕まえれば、遥の疑惑は晴れるだろう。
もしそのために遥と会えなくなってもかまわないと、萌夏は思っていた。