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翌日の夕方。
晶からの連絡は意外に早くやってきた。
『南の連絡先が分かったから送るわね』
入手方法も知らせることなく送ってきたアドレス。
萌夏はすぐに連絡を入れ、直接会う約束をした。
もちろん、何か罠を仕掛けられる可能性だってある。
それでも、今の萌夏には連絡を取ることしか現状を打破する手段がなかった。
「・・・夏、萌夏」
「え?」
「どうしたんだ、ボーッとして」
「ごめん、ちょっと考え事」
まさかこの後犯人に会うつもりだと遥本人に言うわけにもいかず、テへへと笑った。
騒動から3日たって社長の仮眠室にいた遥もホテルに移った。
それでも、終息に大きな進展はない。
雪丸さんも社長も、きっと高野さんも必死になって犯人を追っていると思う。
遥は朝から警察の聴取があったそうで、少し疲れているように見える。
「せっかく来たんだから、一緒に食べないのか?」
持ってきたお弁当を冷蔵庫にしまうのを見て、遥がさみしそうな顔をした。
「ごめん、この後約束があって」
「はあ?誰と」
「えっと・・・晶と」
「それって、地元の友達の?」
「そう。今こっちに来ているの」
少し前に晶のことを男の子だと誤解した遥とけんかをしてしまったが、その後女友達だと説明して誤解は解けた。
今度一緒にご飯でも食べましょうねって笑って話したばかりだから、文句を言われることはないと思う。
「ふーん」
なんだか遥は納得いかない表情。
***
「そうだ、明日は日曜だから早めに来ておいしい朝食を作るわ。最近出来立ての料理を食べてないでしょ?」
朝と夜に総菜やお弁当を運んではいるけれど、やっぱりご飯はできたてが一番。
ご馳走でなくても、その方が美味しいに決まっている。
「うん、でも、萌夏が一緒に食べてくれる方がうれしい」
「遥・・・」
思わず涙が出そうになった。
きっと今、遥はものすごくつらいんだ。
全てが敵に見えて、針のむしろの上にいるようだろう。
もし自分が遥の立場だったらと思うと、萌夏は胸が締め付けられる気持ちになった。
「ごめんね、遥」
これだけ追い詰められれば発狂してしまうか逃げ出すか、どちらにしても普通ではいられないと思う。
こうやって冷静でいられる遥はそれだけ心が強いってこと。
「遅くなってもいいから、ここに戻って来いよ」
そんな遥でも、一人になりたくないときはあるんだよね
「わかった。遅くなってもここに帰ってくるから」
「ああ」
ただの同居人のはずなのにと思わなくもないが、今は非常事態。
傷ついた遥のためなら、何でもしてあげたい。
***
遥に嘘をついて南と待ち合わせたのは都内のホテル。
遥が泊っているところよりずいぶんグレードは落ちるけれど、人が多いところがいいだろうとホテルのラウンジにした。
いきなりかかってきた電話に出た南は、「私、小川萌夏と言いますが」と名乗った萌夏にすぐに誰かわかった様子だった。
「お話がしたいので、お目にかかれますか?」と言うと、すぐに承諾してこのホテルを指定された。
きっと、「誰にも言わずに来てください」と言われると思ったのに、言われなかった。
そのことに、少しホッとした。
ピコン。
『あと10分ほどでつきますので、何か飲んで待っていてください』
まだ会ったことのない待ち合わせ相手からのメール。
やはり、南が犯人なんだろうか?
そうでないなら、理由も聞かずに萌夏に会おうとするのはおかしい。
ブーブーブー。
今度は着信。
あれ、高野さんからだ。
「もしもし」
出ない理由も見つからず電話に出た。
「萌夏ちゃん?」
「ええ」
どうしたんだろう、慌てている様子。
「今どこ?」
「えっと・・・出かけていて」
「だから、どこに?」
「高野さん?」
様子が、おかしい。
いつもの高野さんじゃない。
***
「何か、あったんですか?」
そう聞かずにはいられない空気。
「実は、会社の防犯カメラを確認したんだ」
「ええ」
社内情報が洩れているからには当然のことだと思う。
「この間、萌夏ちゃんが階段から落ちたことがあっただろ?」
「あぁー」
ちょっと嫌な予感。
もしかして、
「背中を押されたんだね?」
「それは・・・」
「犯人も映っていたんだぞ」
どうやら、なんでその時に言わなかったんだと叱られているらしい。
でも、押されたような気がしただけだし、恨みを買うような覚えもなかったし、
「たまたま警備員として派遣されていた男が、萌夏ちゃんの背中を押すのがはっきりと映っていた」
警備員として派遣されていた男って、
「犯人がわかったんですか?」
「ああ、HIRAISIにかかわりのある男だった。もしかしたら今回の件にも」
「南幸助?」
思わず口にした。
「ちょ、ちょっと待て、何で知っているんだ?」
やっぱり。
となると、今回の騒動の原因は遥ではなくて・・・
「おいっ、萌夏ちゃん。何で君が南を知っているんだ?」
「それは・・・」
困ったな、うまく説明できない。
「なあ、今どこにいるんだ?それだけでも教えてくれ」
「・・・ごめんなさい」
それだけ言って、通話を切った。
犯人の標的が自分だとわかった今、萌夏に迷いはなかった。
***
ピコン。
メールだ。
『すみません、小川さんに見ていただきたいものがあるので、客室の1107へ来ていただけませんか?』
え?
固まってしまった。
だって、危険すぎるでしょう。
南が犯人なのはほぼ確定的だし、萌夏を恨んでいるのも間違いない。
どうしよう・・・
悩んだ。
迷った。
でも、南に直接会うチャンスを逃したくない。
考えて考えて、萌夏は決心した。
行こう。
とにかく会ってみよう。
それでも、恐怖はある。
だから、
『今から南の泊まっているホテルの部屋で会います。大丈夫だと思うけれど、20分して電話がなかったら警察へ連絡してください』
ホテルの部屋番号を入れて晶にメールした。
会話は全て録音できるようにボイスレコーダーも忍ばせた。
よし、これで大丈夫。
ギュッと拳を握り、萌夏は指定された客室へと向かった。
***
「こんなところまでお呼びして、すみません」
南幸助と名乗った男は、穏やかな口調で萌夏を部屋へと通した。
「いえ、私こそ突然すみません」
表面だけの社交辞令。
内心は怒りと恐怖で震えながら、萌夏は南を見つめていた。
見た目は晶に見せてもらった通り、30歳くらいで中肉中背。
それでも一つ分かったことは、3か月前カフェで明奈ちゃんに因縁をつけてきたスト―カーと南が同一人物だってこと。
やっぱりあの時のことを恨んで、遥を攻撃したんだ。
「ここにいらしたってことは、僕のことを思い出したってことですよね?」
相変わらず淡々と話す南。
「ええ、カフェでお会いしましたね」
「そうです。僕が明奈ちゃんと話そうとしているのに、君が邪魔をするから」
「それは・・・」
この人は本気で自分は悪くないって言っているんだろうか?
もしそうなら、かなりヤバイ。
「あの時のことがあったから、だから」
こんなことをしたんですかと聞きたくて、言葉が止まってしまった。
「そうだよ。あの後、僕は生活のすべてを奪われたんだからね」
「え?」
「知らないとは言わせないよ。君があいつに頼んで、解雇させだんだろ?」
あいつって、おそらく遥のこと。でも、知らない。
「ごまかしてもだめだぞ。人事の人間から『平石遥の意向で解雇になる』と聞かされたんだ」
「嘘よ」
遥は卑怯なことなんてしない。
ガチャンッ。
萌夏が否定したのが気に入らなかったのか、南が持っていたグラスを壁に投げつけた。
***
割れたガラスが飛び散った床を見て、萌夏は恐怖が込み上げた。
この時になって初めて身の危険を感じた。
「どうした、震えているのか?」
小刻みに震えだした萌夏をニタニタと見る南。
この人は壊れている。
きっと、人がもがき苦しんでいる姿を楽しそうに笑える人。
まともに話をしても通じる人間じゃない。
「俺は仕事を失ったのに、お前はいいマンションに住んで平石建設に勤めて、坊ちゃんを手玉に取っているんだもんな」
「そんなこと・・・」
萌夏だって、こういう人の話は否定してはいけないとわかっている。
言えば言うだけ向かってくるのは想像できる。
でも、言わずにはいられなかった。
それに、
「あなたが今回の犯人だって認めるんですね?」
どうしても、そのことを確かめたい。
「さあ、どうだろうね」
録音されていることも想定内なのか、はっきりとしたことは言わない南。
そうだ、
「私のこと、階段から突き落としましたよね?」
「知らなーい」
ふざけたように茶化そうとしている。
「画像が残ってますよ」
「え?」
南の顔が変わった。
「防犯カメラの画像が残っていたんです。だから、すべて話してください」
これで認めてくれればすべて解決。
この時の萌夏は、楽観的に考えていた。
***
「こんなところまで1人でやってきて、まさか無事に帰れると思っているわけじゃないよな」
さっきまでの気持ちの悪い笑顔は引っ込めて、鋭い眼光で萌夏を見ている。
ここに来たのは間違いだったのかもしれない。南の顔を見て萌夏は思った。
だからといってもう逃げ出すことはできない。
「お前って本当にバカなんだな」
そうね、そうかもしれない。
トントン。
ドアをノックする音。
南も萌夏も動かない。
ドンドンドン。
さらに強く叩く音。
「おい」
立ち上がった南が萌夏の顔前にナイフを向けた。
キャッ。
悲鳴をあげそうになって、寸前のところで飲み込む。
萌夏だって危険を承知でここに来たはず。それでも心のどこかに、自分に危害を加えられる事は無いはずと油断があった。
「こうなったら道連れだ」
まずい、逃げなくちゃ。
萌夏は南のいない方向へと走り出そうとした。
しかし、一瞬のうちに腕を取られ力ずくで引き寄せられた。
「離してっ」
お願い私に触らないでと、抵抗する。
その時、
ザグッ。
南は何のためらいもなく、萌夏の左腕にナイフを刺した。
「キャアー」
今まで生きてきた中で、最大限のボリュームで萌夏は叫んだ。
痛い痛い、痛ー。
ちょうどその時、
ドンッ。とドアをけ破る音。
テレビでしか見たことのない武装した警官が部屋へと入ってきた。
***
「動くな。動いたらこいつの命はない」
そう言って萌夏の首に手をまわすと、南のごつごつと骨張った指が少しずつ萌夏の首に食い込む。
う、うぅう。
息ができなくなる苦しさと恐怖で、萌夏は動けなくなった。
一人で乗り込んできたことに後悔の思いはない。
どんなことをしても遥を助けたかった。
でも身の危険を感じてしまうと、やはり怖い。
「南、その手を放せ」
警官が数人、部屋の入り口で叫んでいる。
「うるさい、そこをどけ。近ずくな」
段々声が大きくなっていく南。
刺された萌夏の左腕からは真っ赤な血が流れ続ける。
もしかしたら、本当に死ぬのかもしれない。もう二度と遥に会えなくなるのかもしれない。
痛くて苦しい状況の中で、なぜか遥の姿を求める自分がいることに萌夏自身が驚いていた。
たった数ケ月前まで全く知らない人だったはずなのに、今は誰よりも身近でかけがえのない存在。
遥のためなら、
バンッ。
突然鳴り響いた鼓膜に響く大きな音。
一瞬のうちに室内は煙に満たされ、何も見えなくなった。
バタン。ガタガタ。ドン。バンッ。
もみ合い争う音が聞こえる。
腕の痛みは消えないものの、首に回されていた指が離れ南の気配が消えたのが分かった。
助かった。
そう思った瞬間、萌夏は意識を手放した。