テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
無名
27
桜城
#失恋
霞月 つむぎ 🌌🐈⬛🪽
6,118
6
『怖い話あるけど、聞きたい?』
社会人になった今でも、時折そんな電話がかかってくる。
もちろん、電話の主は坂本だ。
霊感が強すぎるせいなのか、昔から妙なものに遭遇することの多い彼は、オカルト好きの私にその体験をよく話してくれる。
『仕事終わりに、先輩と飲みに行った時の話なんだけどさ……』
いつものように、ごくありふれた日常の一場面から話は始まった。
「明日休みだし、街まで飲みに行かね?」
金曜日の仕事終わり、普段から親しくしている先輩に誘われた坂本は、そのまま街へ飲みに出た。
当時は新型感染症の影響がまだ色濃く残っており、外出にも何かと気を遣う時期だったが、長く続いた自粛生活にうんざりしていたこともあり、その日は久しぶりに酒を楽しんだらしい。
とはいえ、遅くまで騒いでいたわけではない。
適当な時間で店を出ると、先輩とはその場で別れた。
そこから坂本のアパートまでは少し距離があり、歩いて帰るのは億劫だったため、多少の出費には目をつぶってタクシーを拾うことにしたものの、こういう時に限ってなかなか通らない。
仕方なく大通りを歩いているうち、少し先にタクシー乗り場が見えてきた。
5台ほどが列を作って待機しており、客の姿はない。
(すぐ帰れそうだな)
そう思って足を速めた坂本は、先頭の一台がはっきり見えるところまで近づいた途端、足を止めた。
いや、正確には、止めざるを得なかった。
早く帰りたい気持ちはあったものの、すぐには乗ることはせず、先頭の車を避けるため、しばらく離れた場所で時間を潰すことにしたのだ。
タクシー乗り場では、基本的に先頭で待機している車に乗らなければならないため、誰か先に利用してくれる客が現れるのを待った。
しかし、人通りそのものが少ない時期だったこともあり、10分以上経っても乗り場へ近づく者はいない。
このままでは埒が明かない。
(しょうがない……)
坂本は諦め、覚悟を決めて先頭のタクシーへ乗り込んだ。
「……どちらまで?」
運転手は振り返ろうともせず、低く沈んだ声で尋ねてきた。
「××町までお願いします」
車で20分ほどの距離にある自宅の住所を伝えるが、運転手は返事もせず、そのまま静かに車を発進させたという。
乗って間もなく、坂本は異変に気づいた。
「あの……××町なんですけど」
もう一度、目的地を告げる。
道を一本間違えたという程度ではない。
タクシーは、坂本のアパートとはまったく逆の方向へ走っていた。
しかし、運転手は何も答えない。
聞こえていないのかと思い、今度は声を強めた。
「すみません、こっちじゃないですよ!」
反応はなかった。
速度を落とすことも、進路を変えることもなく、タクシーはそのまま街から離れていく。
「止まってください! 絶対、道違いますよね?」
それでも運転手は前を向いたまま、何度声をかけても、こちらの存在そのものが認識されていないようだったという。
さすがに気味が悪くなり、運転席から視線を外したその時、もう一つ妙なことに気づく。
運賃メーターが動いていなかったのだ。
(やっぱり乗るんじゃなかった……)
その瞬間、タクシーへ乗り込む前に感じていた嫌な予感が、確信に近いものへ変わったらしい。
とはいえ、走っている車から飛び降りるわけにもいかない。
運賃メーターが作動していない以上、少なくとも金銭面で揉めることはないだろう――そんなことを考えながら、ひとまず車が止まるのを待った。
歓楽街の明かりは次第に遠ざかり、窓の外には人気のない道が続く。
どれほど走った頃だったか、タクシーはようやく停車した。
(やっと止まった……)
窓の外を見ると、街中からはずいぶん離れた暗い田舎道だった。
そして、その時。
それまで何を言っても反応しなかった運転手が、突然こちらを振り返った。
「ここ……どこですか⁉」
「は?」
あまりに予想外の言葉に、坂本も返事ができなかったという。
だが、運転手の混乱はそれどころではない。
「あなた、誰ですか⁉ ここはどこですか⁉」
さっきまでの無反応が嘘のように、大きく目を見開き、青ざめた顔で周囲を見回している。
どう見ても演技ではない。
坂本は仕方なく、自分がタクシー乗り場から乗ったこと、××町まで頼んだにもかかわらず逆方向へ走り続けたこと、何度呼びかけても返事がなかったことを順番に説明した。
話を聞くにつれ、運転手の顔からどんどん血の気が失せていく。
「……まったく、記憶がありません」
普通なら、こちらまで恐ろしくなる言葉だろう。
けれど、それを聞いた坂本は驚くより先に、
(やっぱりか……)
と思ったらしい。
「タクシー乗り場で待機してたところまでは覚えてるんです。でも、あなたを乗せた記憶も、ここまで運転してきた記憶も……何もないんです」
怯えきった運転手の顔を見て、坂本はむしろ少し安心した。
その顔に普通の人間らしい表情が戻っていたからだ。
そして何より――タクシー乗り場で視えていたものが消えていた。
先頭のタクシーを見た瞬間、坂本が足を止めた理由、それは、運転手の身体に、黒い影のようなものが絡みついていたからだった。
運転手に何かが憑いていると、乗る前から確信していたため、坂本はそのタクシーを避けようとしていたのだ。
車が停まった今、その黒い影はどこにもいない。
坂本は窓の外へ目をやり、改めて辺りを見回した。
そして、運転手に尋ねた。
「運転手さん」
「……はい」
「最近、この辺で動物を轢きませんでした?」
運転手の表情が固まる。
「猫とか犬とか……イタチかもしれませんけど」
しばらく沈黙したあと、運転手は小さな声で答えた。
「……どうして、そのことを?」
坂本には心当たりがあった。
タクシーが停まった辺りは、山から下りてきた動物が車に轢かれることの多い場所で、時にはイノシシや鹿といった大型の動物との接触事故も起きる。
運転手にも、思い当たる出来事があったらしい。
何を、いつ、どのように轢いたのか、そこまでは坂本も聞かなかったという。
ただ、
「気をつけてくださいね」
そう告げると、運転手は青い顔のまま何度も頷いた。
それからようやくタクシーは本来の目的地へと走り出し、今度は何事もなく坂本をアパートまで送り届けたという。
以前、坂本から「動物の霊は人に憑くことがある」と聞いたことがある。
有名な降霊術であるコックリさんについて話した時も、「狐そのものを呼んでいるわけじゃなくて、近くにいる動物霊みたいなものが寄ってくるんじゃないか」と言っていた。
もちろん、本当にそうなのかは私にはわからない。
あの夜、運転手に絡みついていた黒い影が、轢かれた動物の霊だったのかも知る術はない。
ただ、もしそうだったのなら、黒い影は山へ帰りたかったのだろうか?
電話口でそう尋ねると、坂本は少し笑った。
『まあ、悪い霊じゃなくてよかったよ』
「よかったって?」
『だって悪いやつだったら、運転手ごとどっかに突っ込ませて、心中させられてたかもしれないじゃん。ハッハッハッ!』
笑い事ではない。
一歩間違えば命を落としていたかもしれない話を、楽しそうに笑っている坂本の方が怖かった。
もし自分が同じ目に遭ったなら、こんなふうに人に話せるまで相当な時間がかかると思う。
鳥肌の立った腕をさすりながら、そろそろ電話を切ろうとした。
すると坂本が、思い出したように言った。
『あ、そうそう』
「何だよ」
『タクシーってさ、助手席のところに運転手の顔写真と名前が載ってるプレートがあるじゃん?』
「ああ、あるな」
私の返事を確認し、坂本は何でもないことのように続けた。
『乗る前に見えてた運転手の顔と、その写真の顔――ほとんど別人だったんだよ』
そこで電話は切られた。
コメント
1件
視世陽木さん、第2話拝読しました。 冒頭の「怖い話あるけど、聞きたい?」という電話のくだりから一気に引き込まれました。運転手が突然「ここどこですか?」と正気に戻るシーンのギャップが印象的で、坂本さんの「やっぱりか…」という落ち着きにも思わず笑ってしまいました。最後の「別人だった」で電話が切られる締めも絶妙で、余韻がじんわり残ります。続きがすごく気になります!