「うふふ。驚いた?リタお姉様」
「ライラ……!?」
まさかリタだとは思わなかったから驚いた。
「大広間から出ていくお姉様を偶然見かけて。追いかけてきたの」
イタズラが成功して喜ぶ少女のようなリタの笑顔を見ていたら、緊張が和らぐ。
「そうだったんだ……びっくりした。ライラもクドリガ公爵の夜会に呼ばれてたんだね」
「私というより、お父様が。私はついてきただけよ」
(そういえばスクライン公爵とリタは、しばらく本土に滞在するって言ってたっけ)
この前会ったときの会話を思い出していると、リタから視線を感じた。
「ライラ?」
「あ、ごめんなさい。お姉様のドレスがとても素敵だから、見入ってしまって」
私が着ている薄紫の生地を使った袖とスカート部分にボリュームのあるドレスを、リタがうっとりと見つめる。
「すごく似合っているわ」
「あ、ありがとう……」
「まあ!そのブレスレットも綺麗……!」
リタは私の手首にあるブレスレットに気づくと、さらに目を輝かせた。
「珍しいデザインだけれど……これは特注したものかしら?」
「あ、これはユージーン王にいただいたもので……」
とっさにブレスレットを片手で隠して答えた。
「へえ、そうなのね。……ユージーン王が」
「というか、ライラだって素敵なドレスだよ。大人っぽくてすごく似合ってると思うけど」
上から下に向かって艶のある濃いピンクがグラデーションがかった生地が特徴の、体のラインがわかるドレスをリタは身につけていた。
デコルテと肩が開いていて、いつもより色っぽく見えて綺麗だ。
素直な感想を伝えると、リタは唇の両端を綺麗に上げる。
「うふふ、ありがとう。本土のドレスショップには最新のデザインのものがたくさんあるから、ついお父様におねだりして買ってもらってしまったの」
「そっか」
「……ところで、気になっていたのだけど。婚約パーティーのこと。……あのあと、ユージーン王に怒られたりしなかった? 大丈夫だったの?」
周辺に人はいないけれど、用心するように声量を落としたリタが心配そうに聞いてくる。
「いろいろ噂になっているけれど……実は何かお
咎
(とが)めがあったのではと、心配で」
「リタ……心配してくれてありがとう。でも大丈夫」
悲しげに眉を下げるリタを覗き込んで、安心させるように微笑んだ。
「そう……ならよかったわ。……けれど、私どうしてもわからなくて。お姉様はなぜあんなことをしたの?」
改めて理由を聞かれると困ってしまう。
「あのときは……ユージーン王が恐ろしい王だって周りに言われているのが嫌で……無我夢中っていうか」
保科くんのことを伏せたままどう説明したらいいのかわからず、ぼんやりとしたことしか伝えられない。
「でも本当に、ユージーン王はみんなが考えているような人じゃないの。その、お城での姿とか見ていて私がそう感じただけなんだけど……」
どんな顔をしていたのか自分ではわからなかったけれど、必死に言葉を繋げる私を見ていたリタが、はっと何かに気づいたように口を丸く開けた。
「もしかして……お姉様、ユージーン王のこと好き、なの?」
「えっ!?」
動揺のあまり、大きな声で反応してしまった。
慌てて口を押える。
「な、なんで……!?そんな私は……」
あっさり気持ちを見抜かれ、ボボッと顔が赤くなった。
うろたえているとリタがくすくす笑う。
「誤魔化そうとしても、その様子ではバレバレよ。……好きなのね、ユージーン王のこと」
これは……否定するほうが嘘になってしまう。
断言された以上ちゃんと言ったほうがいいと思って、照れながら頷いた。
「……そうなの。一緒にいるうちに、その……いつのまにか」
「まあ、なんて素敵なのかしらっ……!お相手がユージーン王というところが少し驚きだけれど……私、応援するわ!お姉様の恋」
興奮気味にリタが私の両手を握って、お互いの腕がくっつくくらい体を近づけてくる。
「え……?」
テンションが急上昇したリタに面食らう。
「だって最初に会ったときよりも、とても可愛らしい顔をしているんですもの。……やっぱり恋をするって素敵なことなのねっ」
「ライラ……」
リタに気持ちを打ち明けたら、どんな反応を返されるんだろう……と不安だったから、好意的な言葉が返ってきてほっとする。
「でもそれじゃあ……“例のもの”はもう探さなくていいのかしら?お姉様の気持ちを知ってしまったら、必要ないとも思うのだけれど」
(元の世界に戻る方法か……)
私の正直な思いは、探さなくていいでもあるし、探してほしいでもある。
ユージーン王の中で、私が元の世界に帰ると決定しているのに、勝手に探さなくていいと決められない。
こんな中途半端な状態は嫌なのに、すぐにはどうにかできなくて黙ってしまう。
するとリタは握っている私の手を慰めるように指で撫でながら、優しく言葉を続けた。
「ごめんなさい。意地悪な質問だったわね。好きな気持ちも、帰りたい気持ちも、すぐには割り切れないのに。……“例のもの”は探し続けておくから、もし必要なくなったら言って。私、あなたにできることは何でもしたいから」
「ライラ……本当にありがとう。けど、もしも私が探さなくていいって言ったら、ライラはどうするの?」
緊張しながら質問すると、リタはにこっと軽く微笑んだ。
「私のことは気にしないで。お姉様がずっとここにいるなら、私は王ではなく心から好きになった方と一緒になれるのよ? 何も問題ないわ。……むしろ、大変な役目をあなたに押しつけてしまうことが心苦しいわ」
「そっか……。ううん、私はもしそうなっても大丈夫。ありがとう」
リタと別れたあと、私は外の空気を吸うためにクドリガ公爵邸の中庭に来ていた。
人に見つからないように、 生垣(いけがき)の陰に置かれたベンチに座って夜空をぼうっと眺める。
(流れでリタに自分の気持ちを伝えちゃったけど……本当にあれでよかったのかな)
明るい星を見ながら、急に罪悪感が湧いてくる。
自分の正直な気持ちを話したとき、不安の裏で、実はもしかしたらリタなら応援してくれるかも……と期待していた自分もいた。
(リタ、応援するって言ってくれたけど……。もしかしたらダメなんて言えなかっただけなんじゃ……)
先に言ったほうが勝ち、みたいなズルをしてしまったような気がして自己嫌悪に陥っていると、背後でガサッと音がした。
ビクリと肩を震わせて振り返ると、ユージーン王が立っていた。
「リタ嬢、ここにいたのか」
「ユージーン王……」
目元をふっと和らげて、ユージーン王が私の隣に座る。
「あっ、申し訳ありません。私、また勝手に行動してしまって……」
「気にするな。ここに向かったというのは、さっきライラ嬢に会って聞いたからな」
いつ他の人がくるか警戒しつつも、ユージーン王は小さく息をつき、詰め襟の一番上のボタンを外した。
「それにリタ嬢はご令嬢たちの相手をしていただろう。疲れるのも無理はない。……俺もこういう場は気疲れしてしまう」
「そうですね……少し疲れてしまいました」
話を合わせて頷くと、ユージーン王は私の顔を見つめて怪訝そうな目をする。
「……本当に疲れているだけか?いつもと様子が違うように見えるが……」
「え……あ、だ、大丈夫です。何もないですよ。外で暗いのでそう見えるのかもしれません」
ユージーン王のことで悩んでいるなんて、本人に気づかれるわけにはいかない。
「……」
無理やり笑っていつもどおりを装うけれど、疑いの目が私を捉えて離さない。
「……リタ嬢、もし悩んでいることや抱えていることがあるなら何でも言ってくれ。俺にはあなたを守る責任がある」
(……守る責任か)
真剣にそう思ってくれているとわかっていても、胸が少しだけ苦しい。
「本当に責任だけ?」と聞いてしまいたくなる。
でも頭の中の私が、「その前に話すことがあるでしょ!」とビシッと指差してくる。
(今ここには誰もいないし……あの話をするチャンスかも。お城に戻ったら、いつ話せるかわからないし)
「リタ嬢?」
「あの……ほ――」
ガサガサッ
「わっ!?」
バサッ
(な、何?)
すぐ後ろの生垣が、いきなり激しく揺れた。
ビクビクしながら後ろを見ると、「キュッ」と鳴き声がして小さな生き物が生垣の上に顔を出した。
くりんとした丸い目を左右に動かしたあと、そのまま走り去って姿を消す。
「あれは……リスだな」
「リス……」
リスが消えていったほうに向けていた体を戻して、はあーっと息を吐く。
「びっくりした」と独り言を漏らしていると、ユージーン王が笑う気配がした。
「くっ……リタ嬢、髪に葉がついているぞ」
「え! ど、どこに?」
さっき生垣が揺れたときに葉っぱが飛んできていたから、それだ。
葉っぱを取ろうと手をあちこち動かしていると、ユージーン王がおかしそうに肩を震わせた。
「違う。ここだ」
そっと顔が寄って、ユージーン王の指が私のほうへ伸びてくる。
ユージーン王が葉っぱを取ってくれる、乾いた音がした。
「あ、ありがとうございます……」
他意はないとわかっていても、ユージーン王の存在を一段と近くに感じる距離にドキドキしてきてしまう。
「ほ、他にもついてますか?」
おそるおそる視線を上げると、まっすぐな目が私を見下ろしていて、ただでさえうるさい心臓がさらに大きな音を立てた。
「……」
私を見つめる雰囲気が、いつもと違う気がしてくる。
ほんのわずかな熱をはらんだようなユージーン王の瞳。
その中に映る自分の姿が、静かに近づいてくる。
「――あ、……の! ユージーン王……!」
「!」
瞳の中の自分が曖昧になるくらい近づいた瞬間、無意識に声が出ていた。
ユージーン王は意識を取り戻したみたいにはっとして、勢いよく私から離れる。
「……すまない。葉はもう取れたから大丈夫だ」
顔を手で隠しながら立ち上がって、背を向ける。
「俺はもう戻らねば。リタ嬢は休んでから戻ってきてくれればいい」
「あ、ユージーン王……!」
そう言うと、私の呼びかけが間に合わないほど足早にお屋敷へと行ってしまった。
(結局あのこと言えなかった……。でも今の……なんだったんだろう)
頭から離れないユージーン王の熱っぽい瞳と残り香のせいで、私の心臓はしばらく落ち着きそうになかった。
「…………」
落ち着くのをしばらく待ってから、私は大広間へと戻った。
先に戻ったユージーン王を探し、誰かと話しているところを見つけた。
「ユージー……」
声をかけようとしたとき、ユージーン王の体に隠れていた話し相手の姿が見えて、私は足を止めてしまった。
(あれは……リタ?)
「――――」
「――――」
(何を話してるんだろう)
なんとなく近づきにくい雰囲気があって遠くから様子を見ていると、別の貴族から話しかけられてしまう。
少し答えてからもう一度2人を見ると、どちらももう別の人と話し始めていた。
(……私、なんで2人のところに行けなかったんだろ)
この違和感が、自分の身に波乱が起きる始まりだったなんて……このとき私は少しも思っていなかった。