「おや、初見さんとは珍しいですね。どうぞお好きな席へ」
カフェ【老後の嗜み】へと入ると、カウンター越しに、マスターと思われる男から声をかけられた。
店内はそれほど広くはないので、マスターの正面、カウンター席に座る。
他に客はいない。それでいてマスターの見た目は、執事服が似合いそうなナイスシルバーな老齢の男性。
……当たりなのかハズレなのか判断が難しいところ。
「他に客、いないんですね……」
つい不安になり口に出してしまったが、マスターは柔らかい物腰で答える。
「趣味でやっているものでして、営業日も不定期なのですよ」
それでいて、裏路地という立地……客がいないのも頷ける。
「……食事ってできますよね?」
「本日のおすすめ以外メニューがございませんが、よろしいですかな?」
「じゃあそれでお願いします」
おすすめ以外がないなんて、自信の表れなのだろうか。
まずはテーブルに水が出てくる。
お酒は別で頼んだほうがいいのだろうか……
(でも棚にあるボトル……全部高そうなんだよなぁ)
マスターの後ろの棚にあるお酒は、色鮮やかなボトルばかりで頼むのはちょっと怖い。
「おいエル、この水……氷が入ってるぞ」
綺麗なグラスに注がれた水には、小さめの氷がいくつか入っていた。
実はすごく高いお店なのではなかろうか。
「……お金足りますかね?」
「ほっほっほ、それはサービスになります。いくらでも飲んでいただいて構いませんし、食事代もお二人合わせて青銅貨1枚でけっこうです」
一人銅貨5枚と考えたらすごい良心的な価格だ。
だがその分、質素な内容になるのではなかろうか。
マスターが大鍋のフタをとると、中からは濃厚かつ豊かな香りが漂い始める。
煮込み料理でこの強い香り……さきほどまでの予想を裏切り、期待に唾液の分泌量が増え始め……
「お待たせいたしました。本日のおすすめ、キングブルシチューにございます。そのままでも大丈夫ですが、パンを浸してもおいしいですよ」
あまりにも丁寧な配膳……気分はまるで高級レストラン。
そして出てきた料理のこの香り、見た目。間違いない……ビーフシチューだ。
そしてパンはかなり硬めのようだ、だがそれがいい。
スプーンでそっと肉に触れるが、それはもはや液体の一歩手前のような柔らかさだった。
そして、スープと一緒にそっと口へと運ぶ。
「――――ッ! シチューが……消えた?」
たしかに先ほどまでそこにあったはずのシチューが、空になっていた。
「何を言っている、一心不乱に食べていたではないか」
見ればリズさんの皿にはまだ半分ほどシチューが残っている。
「ま、たしかにこれは絶品だ。夢中になってしまうのもわかる」
胃が満たれている感覚で、記憶が呼び起こされる。
たしかに、体はキングブルシチューの味を覚えているようだ。
まさか……この僕に食レポを忘れさせるほどだと……?
「ほっほっほ、恐縮にございます」
このマスター……只者ではない。
「ごちそうさまでした。ホントに二人で青銅貨1枚でいいんですか?」
「もちろんです。不定期ではありますが、また機会がありましたら是非お越しくださいませ」
夢中すぎて断片的にしか記憶が残ってないが、体は絶品の満足感で満たされている。
「絶対にまた来ます……」
店を出ようとすると、新しい客が扉を開けた。
「おっと、まさか先客がいるとはな。失礼、お嬢さん方、どうぞ通ってくれ」
会釈だけして、先に通してもらう。
気さくな感じだが、雰囲気に気品があるように感じる。
50代ぐらいだろうか……お店のマスターよりやや年下に感じる男性は、店内へと消えていった。
「……どうしました? リズさん」
リズさんは、男性が通った扉をジッと見ていた。
「先ほどの男……かなりの手練れだ」
「そうなんですか? よくわかりますね」
こちらは気品を感じたが、リズさんは戦闘力を感じ取ったようだ。
「あぁ、それにマスターもまるで隙がなかった。不思議な店だな」
たしかに……あの料理の腕は只者ではない。
◇ ◇ ◇ ◇
「知らん顔だったな、認識阻害は切ってたのか?」
「いえ、ちゃんと機能しておりましたよ」
「にも関わらずこの店に気づいたのか、そんな手練れならどこかで顔ぐらい見たことあってもおかしくないんだが……」
カフェのマスターは、皿を洗いながら本日3人目の客の相手をしていた。
「赤髪の剣士の方は、以前オルフェン王国で見た覚えがありますね、その時はたしか近衛騎士だったかと」
「近衛騎士ねぇ……じゃあもう片方の嬢ちゃんは?」
はて……、っと顎に手をあて、マスターは考える素振りを見せる。
「もう一人は男の子だったかと思いますが……」
「……えっ? あぁ……うん、気づいてたし……お前を試したんだよ」
「…………そういうことにしておきましょう。あの子は手練れ……とはちょっと違うようでしたが、精霊に近い存在を感じましたね」
「ほう……そいつは興味深いな」
注文は受けていないが、マスターは客の前にグラスと酒を注ぐ。
「ま、でも今はそれどころじゃないか」
「やはり、東のほう……ですか?」
「あぁ、大分キナ臭いな。ユア湖で邪神像まで見つかったらしい」
「……忙しくなるかもしれませんね」
「だろう? なのにこんな時にジギルの野郎、学者を一人貸せだとよ」
「そんな状況で、こんな辺鄙な店に来ているあなたもどうかと思いますよ」
「息抜きだよ、それぐらい許されるだろ」
男性客は、グラスに注がれた酒を一気に飲み干す。
マスターは、仕方ありませんね。っとややあきらめた顔で、釘だけ差しておく。
「ほどほどにしておいてくださいよ、エルラド公」
◇ ◇ ◇ ◇
翌日、リズさんと一緒に街を見て回っていた。
闘技場は今日は閉まっていたので、主に住宅街がメインだ。
住宅街と言っても、小さなお店や工房などはちらほらと見かける。
あとは平屋の民家、ちょっと裕福だと二階建て、貴族や商人の住む屋敷、階数の多い集合住宅等々……。
高低差がある上に、道が入り組んでるので迷子になりそうだ。
「見晴らしの良い場所が多いな」
「そうですね。日当たりの良い家が多いし、水路もあって景観も綺麗だと思います」
手押しポンプのついた井戸も時折見かける。
「扉に木札がかけられた家がいくつかありましたね」
「空き家だろうな、札に商会名が書いてあるはずだ」
なるほど、宿は1泊銀貨3枚で割高だし、パーティホームを考えるならお世話になるかもしれない。
日当たりが良くて井戸も遠くなくて、風呂がついてて治安の良い物件があれば……高そうだな。
「……いくらぐらいするんでしょうね」
「さぁな、だがこれだけ大きな街だ、安い家から高い家までピンキリだろうな」
安い家は、それはそれで怖い。
慎重に考えないとね。
子供達の賑やかな声、どうやら水路で遊んでいるようだ。
「ここの水路って綺麗な水なんですかね?」
糞尿垂れ流しとかは嫌だよ。
「見たところ綺麗なようだな、別で下水でもあるんじゃないか?」
もしそうなら安心だ。
ついでに、電気とガスのインフラも誰か発明してくれないだろうか。
(偉大な発明家がこの世界に転生してくれたら……)
その時はサインでももらうとしよう。
水路を辿っていくと、他の水路と合流し、川となる頃には農業区に入っていた。
街の外、高い壁の向こう側にも畑等はある。
それに引き換え内側にあるのは、景観を意識しているのか果樹園が多かった。
そして産地直送の果物を使ったパイが楽しめる、オープンテラスなカフェ。
もちろん立ち寄らないわけにはいかな――――
「エル、向こうでワインの試飲ができるようだぞ。モタモタしているとなくなるかもしれん」
襟を掴まれ引きずられて行く……あぁ愛しのスイーツよ、また会う日まで……
かくして、この日は景色が赤みを帯び始めるまで、観光を楽しむのだった。